2011年10月25日火曜日

こだわりでも努力でも苦労でもなく

「こだわり職人」とか、「職人のこだわり」とかいう言葉は、肯定的なイメージを持つ表現として、すっかり定着している。

先日、佐々木が和菓子職人の方をインタビューした時も、「職人としてのこだわりの部分を聞き出してほしい」と、事前にクライアントからリクエストがあった。

なので聞いた。

聞いた感想。

たしかにその和菓子職人の方は、一般的に「職人のこだわり」と表現されるようなものを、追究し実践されていた。

こちらの予想をはるかに超えて追究し実践されていた。

しかし佐々木が強く感じたのは、「この方の姿勢や行動を、“こだわり”などという安っぽい言葉で表現するべきではない」ということだった。

「こだわり」というと、何か規範とか信条とか価値観とかに近い、頭で作り上げるもの、という感じがする。

「こだわる自分、ステキ」みたいな、自己陶酔の目的化のニュアンスも感じられる。

その和菓子職人の方の認識や行動のあり方に、そういう観念的なものや自己陶酔は、まったく感じられなかった。

食べ物の話にこんなたとえをするべきではないのだが、あたかも尿意を催すように「最高に美味しいお菓子を作りたい」という欲求が起こって、尿意を解消するように最高に美味しいお菓子を作ってしまっているとでもいうか。

話を聞くとずいぶんな努力も苦労もされているのだが、おそらく実践中のご本人には「努力」とか「苦労」という認識はなかったのではないか。

我々が尿意を解消するのにあまり努力とか苦労とかをしないように。

あのような認識や行動のあり方を表現する、よい言葉はないものだろうか。

それから、なぜ「こだわり職人」とか「職人のこだわり」とかいう言葉がこれほど肯定的なイメージで一般に定着してしまったのかについても、少し深く突っ込んで考えてみる必要があると思った。
 
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