2011年10月20日木曜日

首吊欲

プラスチック製の物干しハンガーをS字フックで鴨居に掛けて、シャツを干し、乾いたところでハンガーから外す。

あとに残るのは、鴨居からS字フックでぶらさがる、柔らかい物干しハンガー。



この光景を見ていると、このハンガーの中に頭を突っ込んで首を吊りたい、という欲求が、自分の首のあたりからムズムズと湧き起こってくる。

木のハンガーでも駄目。

針金ハンガーでも駄目。

なぜか、このプラスチック製の物干しハンガーに限って、そういう欲求を喚起する。

柔らかい輪っか状のプラスチックの、たわむ感じがよさげなのだろうか。

「首を吊りたくなる」のであって、「自殺したくなる」わけではない。

「死にたい」と頭で考えているかどうかとはまったく無関係に、体が勝手に「首吊り」を試みたがる。

たとえ仕事も私生活も充実しまくって、毎日生きてるのが楽しくてしょうがない、という気分の時であっても。

むしろ強度の鬱状態で自殺の可能性をまじめに検討しかけた時は、体のほうはあまりにも無気力で、首を吊ってみたいという意欲(?)さえ湧かなかった。

何なのだろう、この首吊欲の正体は。

4つの仮説を考えている。

仮説その1。体はイメージしたことは実行したくなるようにできてるから。駅のホームで通過していくコンテナ貨物列車を見て体が吸いよせられるような感覚を覚えるのと同じ。

仮説その2。これまで体験したことのない運動感覚を体験したいという欲求が体にあるから。たしかに首を吊る体験なんてこれまで一度もしたことがない。どんな感じなのか知りたいという欲求があることは否定できない。

仮説その3。性的嗜好としてのマゾヒズムが抑圧されているから。鞭で打たれたり蝋燭を垂らされたりして性的興奮を覚える人々がいるのだから、首を吊ることによって得られる性的興奮というのがあっても不思議ではない。

仮説その4。そもそも生物の個体は生殖によって生命を次代に引き継ぎ生殖年齢を過ぎた後は死ぬようにプログラムされているから。いくら頭や心は生の継続を望んでいても、体のほうはいつまでも生きてることを望んでないのかも。
 
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