2011年10月11日火曜日

民主主義ごっこ

アルビン・トフラーの『第三の波』を読んでいるとこれまで自分が違和感を感じてきた様々な社会現象・小社会現象が大きく「農業革命」「産業革命」「情報革命」の3つの波の相克という人類史な現象として見えてくる。たとえば佐々木より10歳~20歳以上年上の知識層の日本人によく見られる「民主的制度体系」や「民主的手続き」に対する滑稽なほど形式的な執着心。ご本人達はああういう制度体系を構築したり儀式的手続きを墨守したりすることが正義にかなったことで若干の皮肉を込めて言えば知的なことでもあるとも考えているようなのだが佐々木の目にはああいう「民主主義ごっこ」に熱中できること自体がご本人における大志の欠如と知性の不足と時間の余剰を徴証しているように思えてならない。あの執着心の原因を佐々木はなんとくなく第2次世界大戦後の日本における民主主義教育に求めていたのだが考えてみればあのような民主主義教育が戦勝国たる米国において構想されたのは必ずしも米国の国益増進のみが動機ではなくそこには人類史的理想の実現というある種崇高な動機もあったはずでそのような理想が世界的に共有されるようになった過程的構造を把握しなければ問題の全体像は見えてこない。『第三の波』を読むと民主主義が世界的に理想として共有されるようになった現象自体が産業革命がもたらした「波」の一つのあり方として見えてる。佐々木があのような「民主主義」への形式的執着を滑稽と感じるようになったこと自体が情報革命がもたらした「波」の一つのあり方として見えてくる。
 
QLOOKアクセス解析