2011年10月6日木曜日

死は悲劇にあらず

意志の力で自分に強く信じさせていることを信仰と呼ぶならば、「死は悲劇ではない」ということは、佐々木にとって重要な信仰の一つである。

死が悲劇であるとすれば、それは本人にとってか他人にとってかのどちらかである。

本人の死を死んだ本人が悲しむことはできないのだから、死はもはや本人にとって悲劇ではない。

死の悲劇は、他人にとっての悲劇である。

この悲劇は、当該人物との関わりにおける、現在から未来への期待の喪失と、過去に対する後悔から成る。

どちらも、当該人物の生前において、当該人物に対してどのような行動を取り、どのような認識を持つかによって、大きくもなれば、小さくもなる。

ある人物に対し、どのような行動を取り、どのような認識を持っていれば、その人物の死は悲劇でなくなるのか。

そのように自分に問うこと自体が、自分に取らしめる行動、自分に持たしめる認識が、自ずと、その人物が生きていることの喜びを最大化させると同時に、その人物が死んだ時の悲しみを最小化させるような気がしている。

簡単には、自分が愛着を持つ人物一人一人に、心の中で時々、「今日あなたが死んでも私は悲しみません」と呼びかけておくことだろうか。

ついでに、「今日私が死んでも私は後悔しません」とも。

幸いにもそのような習慣を持つようになって以来、身近に愛着を持つ人物の死を経験していないので、果たして思惑通りの結果になるのかはわからないのだが。
 
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