2011年5月31日火曜日

田中正造の嘘

田中正造に批判的な立場から足尾鉱毒事件を描いた『直訴は必要だったか―足尾鉱毒事件の真実』(砂川幸雄著)を読んだ。

田中正造による嘘、誇張、独善的行動の数々を、数々の資料を駆使して描き出した本。

全体像を示さず、細かな事実を次々に並べていくスタイルの記述なので、理解するのにちょと苦労する。

だがおそらく、取り上げられている個々の事実は、著者が主張する通りなのだろうと思う。

佐々木が『田中正造文集』から感じ取った正造のキャラクターから言っても。

ただ著者は、正造を崇拝するあまり正造の嘘、誇張、独善的行動に目をつぶる多くの研究者に批判的なあまり、正造の業績や人格を、必要以上に貶めているようにも思えた。

政治運動、大衆運動における嘘や誇張や独善については、実証レベル(「それは本当か」)の検討だけでなく、もっと本質レベル(「それにはどんな意味があるか」)の検討も必要だと思った。

2011年5月30日月曜日

接客時代

去年大阪で仁徳天皇陵を見てきて以来、日本史のある時期に、支配者の墳墓をできるだけだけデカくしかも上空から見てあの前方後円型になるように建造することに国をあげての情熱が何百年も注がれた時代があって、しかもその国をあげての情熱があるとき突然失われてしまい、後世「古墳時代」などと呼ばれるようになってしまったという事実が強く心に残り、現代において同じように国をあげて注がれている情熱が将来突然失われて、後世「○○時代」などと呼ばれるようになることってあるんだろうかとずっと考えているのだが、最近その可能性の一つとして考えるのが、現代の日本における、あの接客態度向上への情熱。佐々木が小学生の頃は、レストランに行ってもスーパーに行っても娯楽施設に行っても、店員さんはあんなにキビキビハキハキしていなかった気がする。あの接客態度向上の流れは、これからも続いていくんだろうか。それともどこかで「もうばかばかしいからやめようよ」となったり、「もういいかげん無理!」となったりするんだろうか。

2011年5月29日日曜日

セルシウスの温度計

『熱の動力についての考察』(サヂ・カルノー著、広重徹訳)の冒頭には、熱力学の発展に関する、訳者広重による丁寧な解説が掲げられている。

その解説の中に、今日温度計の目盛として広く使われている摂氏目盛を考案した、スウェーデンの天文学者アンデルス・セルシウスが使用したという温度計の写真が載っている。

温度計の目盛は、手書き。

その手書きの温度目盛を一目見て打たれた。

長さや重さに関しては、おそらく先史時代から、それなりに合理的な単位が考案され定着していた。

しかし温度に関する合理的な単位が定められたのは、18世紀半ばになってから。

温度の単位を定めるのがいかに難しかったかだ。

その難しい仕事を推し進め人類の歴史に名を残した精神の、力強く生々しい息づかいが、その温度計に記された手書きの文字からは伝わってきた。

2011年5月28日土曜日

熱素説

古典読破計画。

先月はサヂ・カルノーの『熱の動力についての考察』(広重徹訳)。

この本は、当時受け入れられていた熱観、「熱素説」に基づいて書かれている。

カルノー自身は、熱素説に疑問を感じていたようだが。

現代の物理学の教科書では、熱素説は、物理学の進歩によって克服された説として紹介されている。

地動説によって克服された天動説と同じで。

しかしカルノーの理論を追うためには、いったん熱素説の世界観の内側に入らなければならない。

これが難しい。

熱素説を一般的に理解するのは簡単だが、具体的な事象を熱素説で理解しようとすると、やたらと複雑な思考が必要になる。

天動説を一般的に理解するのは簡単だが、具体的な惑星の運動を天動説で理解しようとすると、やたらと複雑な思考が必要になると一緒。

あとそもそも、熱力学というのがなかなか理解しづらい分野というのもある。

佐々木は高校時代物理が大好きだったが、熱力学にだけは苦手意識があった。

2011年5月27日金曜日

自説への固執

これまでなぜか縁がなく一度も降り立つことがなかった福島県を仕事で初めて訪れ福島駅前のカフェに入ったところ男女一人ずつ二人の若い店員さんがびっくりするぐらいの美男美女。瞬間的に頭にひらめいた命題が「福島県のカフェの店員は全員美男美女である」。この命題が頭にひらめいた瞬間からもう自分で可笑しくって仕方がない。冒頭に「これまで佐々木が見た」という限定を加えれば間違いなくこの命題は真である。だがこの限定を取り払い佐々木が見てもいないその他数千軒だかのカフェの数万人だかの店員さんにまでこの命題を一般化するのはナンセンスそのものである。そんなことを考えていたら奥で休憩していたらしいもう一人の男性店員さんが出てきた。どちらかと言えば三枚目タイプのお顔。だが「福島県のカフェの店員は全員美男美女である」という命題を思い付いた頭脳は必死にその男性店員の美男たる所以を探し出す。するとその三枚目店員さんもなんだかそれなりに美男に見えてきた。しばらくするとさらにもう一人女性店員さんも出てくる。女性の容姿に辛辣な人間からは相当厳しい評価もされ得るであろうお顔。だが「福島県のカフェの店員は全員美男美女である」という命題を思い付いた頭脳にかかればそのお顔も愛らしさそのものに見えてきた。脳が自説に固執する力の強さが可笑しかったり驚きだったり。

2011年5月26日木曜日

クリスティーヌ・ラガルド氏の声

昨日IMF(国際通貨基金)次期専務理事への立候補を表明したフランス財務相のクリスティーヌ・ラガルド(Christine Lagarde)氏は、声がむちゃくちゃ佐々木の好みである。

今のところ佐々木が好きな声ナンバー・ワンである。

声にゆがみ・不調和・破綻・未熟さがない。

それが人格にゆがみ・不調和・破綻・未熟さがないことの現れなのかどうかは、佐々木にはわからない。

フランス語、聞き取れないし。

この人のこと知ったの、つい最近だし。

だが人格にゆがみ・不調和・破綻・未熟さがないことを想像させる声で話せるというだけでも、すばらしいことだと思う。

2011年5月25日水曜日

冷房

佐々木は基本的に、強い冷房が苦手である。

さすがに電力不足が叫ばれるこの夏は、外で強い冷房に苦しめられることもないのではないか。

と、それだけは楽しみにしていた。

ら、数日前の晴れた日の日中電車に乗ると、天井のクーラーから肌寒いぐらいの強風が吹いていた。

しかも「節電のため」と車内の灯りを消して。

なにやってんだと思った。

2011年5月24日火曜日

大事

怪我したけど軽傷で済んだ、という人に掛ける
「大事に至らなくて何より。お大事に」
という言葉が、面白いと思った。

大事にして欲しくないのか。

大事にして欲しいのか。

どっちなんだ、みたいな。

自己マジレスすると、「大事に至らなくて何より」の「大事」の「大」は、相手の体が被った痛手の重大さ。

「お大事に」の「大事」の「大」は、相手の体自体の価値の重大さ。

「あなたの体が被った痛手が重大なものでなくて安心しました。あなたの体をふだん以上に重大なものとして扱い、一日も早く完治させてください」ということだ。

2011年5月23日月曜日

田中正造晩年の手紙

以下は、田中正造が死の前年、71歳の時に書いた手紙。宛先は正造の姪夫妻(原田勘七郎、たけ子夫妻)。
皆〃さまますます御健全に御くらし何より御目出たく、重〃うれしく存じ奉り候。御子供方さぞさぞ御成育、今頃見たら驚くのでしやう。勘七郎氏もひげづらになりたるをば或る処の写真にて見存候。たけ子さまも顔に少しは小じわも御出来なるべし。人生はただ心に年よらぬを専一の御事と存候。精神すら正しければ人の心は老ぬものにて候。
○さて正造の近年の事を少〃申上げて御一笑せん。三年ばかり前、即ち明治四十二、三年頃までは肉老いて心また衰えんとせしに、不図(ふと)した事のやうなれども、ありがたき神の御摂理、広島県人逸見様と申す方のしばしばのすゝめにより、または信州の人木下氏のさそひにより、岡田氏の聖座法を研究するを拝見いたし候て、少〃ずヽその道に志したるに、忽ち身体に変動及進化を来し、冬寒くなく、夏あつくなくなりたり。脳へののぼせもなくなり、耳、鼻、眼、口(く)ち皆爽快となり、腰(こ)しの曲りは改まりて直立となり、腹部は下腹に力(ちか)らをもち、胸すきて、歩行已前(いぜん)に一倍せり。三、四年前まで車と杖とを要せしに、今は車も急ぎの用にあらざればのらず。三、四年前は一日漸く一里なりしも、今三里位を歩行する方却(かえっ)て爽快を覚え来り候。演説は久しくやらねど、今日は二時間余の長時間に渉(わた)りて些(いささか)の疲れなく、汗も出でず、水なぞも多くは呑まず、音声も已前は破鐘(われがね)なりしに、今日は金鐘の音の如し。此くの如く身体に変動進化を覚えてより、平日の動静も静かなる方に傾きたり。飯は一度一椀を越えざりしも、顔の肉色は三、四年前三、四椀づヽ食する頃よりは遥かに色赤くなりたり。むかしの正造は黄土人種、今の正造は白晳(はくせき)人種なり。顔色の変化は何とも見事に候。他人見て曰く、姿勢一変せりと。七十二歳の正造の心もちは五十五、六年前の心もちとなり、十五、六より二十年(はたち)ばかりの時の如き心とはなりて候。
○百害頭上に落ち来るも常とす。百災身ぺんに迫るも着〃これを排斥せん事に努めり。西郷〔隆盛〕西南の戦破れ城山に死するは九箇月間の激戦の後(の)ちなり。日月多し。日露の交戦僅か二箇年、僅か二箇年に二十億を投じて百万の強兵を労せり。正造は少数の同志あるのみにて十一箇年の戦争を継続せり。これを明治二十四年よりとせば前後殆ど弐十一年間を継続せり。反対か敵かは左の通り、
一、足尾の猖獗は暴力多数なる事
一、農商及び内務中の銅山党の多数に対し
一、地方村〃に住せる銅山党の無形の秘密中傷委員、離間委員
一、地方要部要部の官吏、地方の銅山党、県会、郡会、村会の多数銅山党員
一、帝国議会の大多数
以上は大概憐れむべき物質富豪の奴隷にて、即ち良民、細民または被害民の敵、公然常〃百方迫害を加へつヽ人民をくるしめつヽあり。
一、正造は八箇年間は尾行巡査身ぺんをめぐり、正造の行動を妨げつヽあり。甚しきは宿泊を妨害せり、貸借を妨ぐる等にて、正造枕する処なきは近きもまた十年なり。歳費を辞してより、議員を辞してより却て彼等は甚しく、尚更(なおさ)ら警察巡査は正造の前後に附纏(つきまと)ひて、満八年余の長き昼夜を問はず、或(あるい)は金銭の貸借をも妨げて費用に困らせんとし、また甚しく宿泊を妨げて、交際を妨害する等をはじめとして、水毒被害貧民窮民と同時に、東京以北上野(こうずけ)、下野、常陸、下総、武蔵の河川沿岸と共に正造を虐げる事、苟(いやしく)も戦争あれば忽(たちま)ち深山を伐木し、言語に尽き難き事どもなり。而(しか)も尊き処は人の精神、自家の精神は他人の左右し得ざる事は勿論(もちろん)なり。予(よ)が二、三の信友(しんゆう)は神に近きものあり。イカナル暴力といへどもこれを奪ひ去るを得ざるなり。彼等の多力、多勢、過大の暴力は、たはむれにちからもちするを見る如し。彼等の術数と詐謀とは、恰(あたか)も品玉師の手わざを見る如し。また恰もパノラマ見る如し。この社会人情の縮図、悲惨の画をば幻灯会を見るなり。予に於ては寸毫(すんごう)も憂(うれい)とはせず。ただ彼等が罪のイカニセバ救ひ得らるゝかを憂うのみ。聖書に曰く、貧しきものは幸ひなりと。誠に然りです。己(おの)れ空(むな)しければ幸(さいわい)なり。己の心に一物あるものは、天国を挙げて己れの有となすを得ず。もしそれ胸中邪念悪意に富みて充(み)ち塞(ふさが)り、少しだも善意を容(い)るゝの余地なきものは、一寸(ちょっと)の幸ひをも入るゝ能(あた)はざるものなればなり。
○小事によく注意せよ。小事を侮るものは必ず大事成らず。
○婦人の徳は恰も衣類の裏(う)らの如し。男子は衣類の表(おも)てなり。女徳の裏強(つ)よければ、たとひ表て切れ破れても裏にて保てり。裏らは表より大ならず、ただ表と共に終身を全うするのみなり。たまたま表破るゝも、裏丈夫なれ。うらの丈夫は女徳の常にかくれて見えざるも、非常の場合に顕れて男夫の危(あやう)きをも救ふなり。
右いろいろ取りまぜて申上げたきまゝ申上げたり。ただ正造は憎まれものなり。その憎まるゝ、銅山及(および)官吏に多し、腐敗漢に多し。予が親戚縁類たるものは連座の憎(にくし)みを受くる事なかれ。
またソバ杖の災をうくる事なかれ。また疑をうくる事なかれ。正造は常に東西に奔走して十年、定れる家なし。乞食の風貌たり。而も救ひのみちに尽せり。退いては善事の伝道に努めり。進んでは毎日現世無限の細大四面の悪魔と戦ひ、退ては下級宗教心の実行に努めり。幸ひ身心は健康にして毫も病なし。またやめる心なし。見よ、正造は三十三年間新聞紙を読まず。読まぬは読むひまなければなり。但し文字はしらず、芸はなし、ただ精神の向ふ処にまかす。なるべく他人の誘道によらず、数十年人道の戦に倦まず、退かず。而(しか)も刀は已(すで)に折れたり。矢は已に尽きたり。而も尚(なお)心に怖るゝ処なし。ありがたしありがたし。神の力は鍛へたる刀より鋭なり。神の放てる弓矢は鎮西八郎に優る千万なり。この神の力に比するものはなし。人生神力を得ると得ざるとにあり。人事は多し。何(な)んの道(み)ちにおいても皆(み)な一なり。語に曰く、一(いち)以(もって)これを貫く。また曰く、陽気発処金石亦透(ようきはっするところきんせきもまたとおす)、精神一到何事不成(せいしんいっとうなにごとかならざらん)。
○人生斃れて而して止まざるべし。
以下追次(ついじ)に。草〃敬白
   壬子年大正元年十月二十五日夜  足利原田方にて灯下乱筆 正造 叔父
  原田勘七郎様内
   同 たけ子女子へ
 追進一言
 ○真人は無為にして而して多事なり。  正造
 ○富て而して克己(こっき)、貧にして而して楽天。 正造
「岡田氏の聖座法」というのを実践したら体調がよくなって、気分は15歳~20歳ぐらいの頃まで戻った、とあるのが興味深い。岡田虎二郎(1872~1920)という人が考案した、「岡田式静坐法」というメソッドらしい。

正造の手紙、この頃から、心なしか文体が柔らかい。

さすがに70歳を越して、少し人間が丸くなってきた、ということもあるのかもしれないが、「岡田氏の聖座法」で心身の状態が整ってきた影響もあるのだろうか、と思ったり。

その後に続く「敵」への怨嗟を読むと、闘争心はいっこうに衰えていないようだが。

末尾の正造自身への鼓舞は、ほとんど神がかり状態。

しかし死の直前まで保たれるこの闘争心には、憧れる。

以下は同じ年に、支援者の一人、林一蔵に送った手紙。
先日は久〃にて植野村の途中で御目にかかりましてうれしくて候。さてさて貴下の御年十七、八、九才の頃のいまだ一人前の人にもならぬとき、わたくしの議員の選挙を御助けの御働きの事をば、その当時犬伏の川島治平氏より、またその余の人〃よりくれぐれ伝承いたし、今以て耳に心に深くきざみ付けて居りながら、たちまち数十年以前のむかしのはなしとはなりまして候。わたくしその当時当時の皆〃の御働きの万部の一にもとは心がけては、また少しも怠りはなく、議員をするとせざるとには少しもかゝはらずして、出来ぬまでも出来るだけ、尤(もっとも)正造今政治の方はやめてただただ身のためと人のためにならぬ事をせぬ一心にかけて居り、夢のまに七十二の坂をばいつのまにか越えて候。人の一生と申せば長いやうでまた短い、誠に人生一夢の如しです。ただ一生よいゆめ見るとわるいゆめ見るとの別(べ)つのみです。よい夢即ちよい事をしてなるべくよい夢を見んとするのみ。
夢にいろいろあり。雲にのり山の上にのぼり、また盗賊に追れて足(あ)しすくみて逃げられぬやうな事もありです。その雲にのり、海をわたり、山の上に飛び上る心もちのよいゆめみたくと心がけますのみ。みな常〃の心がけとしておもひ込んで、爾来また数十年この夢の中に居ります。たとへ小中に数十年居らざるも、魂ひは常に小中の川原や林(はや)しの中をかけめぐります。安蘇郡に居らぬとも心は常に村〃をめぐる事恰も明治十三、四年の頃の如くで、唐沢山の桜も見える、氷室〔山〕の雪(ゆ)きも手に取る如くで、宝来山にも毎日行けばまた彦間山にものぼるのです。越名の沼、渡良せ、旗川、秋山川、菊川、才川も毎日毎朝顔を洗ひ手を洗ふやうに近く見えるのです。人は心一つ、人は精神一つ、人もし心なければ食物をたべても味(あ)ぢしらず、何もかも対岸の火災で、何もかも人として先(ま)づ我れの事をしらず、また人の事にも無関係の人となり、孤立となり、人の事は己れに通ぜず、己れの事また人に通ぜず不自由千万になり、終(つい)には安達ヶ原の一つ家の鬼ばゝの根性になりはてるのであるとは、物しらぬ、何(な)んにもしらぬ人〃にはさとし教えて下さいよ。但し強(し)ひて教へるはよろしからず候。静にそろりそろりとはなして下さいよ。人としてはまずまずこの事を油断すると、渡良せ川の如きむかしより見た事もない毒なぞが流れ込んで田畑も荒れ、人の命(いの)ちもちヾまる、これみなよい心がけの怠りより来るのです。よい事にすゝむは何より利益であると教てくだされよ。篠崎、関根、林、板橋、石井、小堀諸氏、先(ま)づ宮の下八間南丁よりそろそろ御はなしを願ます。
右は小中回復の一助としてなりとも先輩の人〃に御図り下されたく候。
○来る十三日はうつの宮にて谷中人民の裁判あり。二十六日また東京に谷中の民事裁判あり。これに付ては看護婦となり、谷中人民様の御付添です。
○たまたま書して往年の回想を交へて、御無音の御詫びです。頓首敬白
   壬子大正元年十一月二十一日   いばらき猿島郡方面より 正造
                          乱筆たりとも謹言
 旧の大恩人
  林一蔵様
《夢のまに七十二の坂をばいつのまにか越えて候。人の一生と申せば長いやうでまた短い、誠に人生一夢の如しです》の言、佐々木自身が70歳過ぎまで生きていられれば、きっと同じ感慨を抱くのだろう。

《よい夢即ちよい事をしてなるべくよい夢を見んとするのみ》の心がけ、自分のものとしようと思った。

2011年5月22日日曜日

田中正造の手紙

田中正造文集』(編集:由井正臣、小松裕) から、印象に残った手紙などをいくつか。

まずは正造が明治39年(1906年)、65歳の時、義理の甥である原田勘七郎(正造の25歳年下の実業家で、正造を支援し続けた)に送った手紙。

(「~ハ」「~ニ」等は、「~は」「~に」等に書き換えた)
手紙かくのひまなきまゝに、過般いたゞきたる五十○〔円〕の御礼状もさし上げませんで、○その内に足利の変動あり。いろいろまた大御苦労になり候。その事も如何なりしや、その後(の)ち足利に伺もせず甚だ不都合のみにて候。但し正造谷中人権、国法、経済、政治、人道の諸問題のために云〃。また県会腐敗、土木吏の暴行に対して云〃。別途にまた一身に取りては公判あり。この公判は来る十二月中旬ならんか。尤(もっとも)その時は帝国議会開け、これを兼、このたびは島田三郎氏に厄介になる覚悟に候。弁護士は依頼なきも、ありがたく宇都宮に六人づヽ二回来られ候。公判の前日は政談演説も開いてくれ、東京その他より有志十八人集まりて、公判も中〃にぎやかでした。無理に一箇月と十日、罰金七円です。東京控訴院は極く質素にやる心得にて候。いづれになるも一身上の事故(ことゆえ)御心配下さるまじく、また足利の革命は直に正造一身上に大革命来りたり。けれどもこれもまた神の摂理として、寧ろ正造の主義の神に近(ち)かよるの経路ならん。定助殿もまた研究の一階級、高き月謝払うたとおもへばよろしです。正造は今より神の教への形(かた)ちを造るはよろしからずの説にいよいよ近くなりました。凡(およそ)人は家あれば形あり、財産あれば形ちあり、党あれば形あり。形なくして形あるを要す。世界を一家族とせば、形なくして形ありで、これ神の道ちにして、しかもその大いなるものなり。正造漸くこの点に進み至らんとす。回顧二十七年前、即ち〔明治〕十一年のとしに、社会共通経済を以て自己の主義とせしものなり。即ち養子を返し、財産を公共に投じ尽すの予算一箇年百二十円づヽとせしはこの時に決定す。爾来この理を一貫す。然るに定助殿一箇所より救助を得たるは、一角ありて形に偏す。今より見ればこれ間違にてありし。今や止むなく一身上の革命に接して、止むなく無形となる。今より尚質素を守り、肉体を以て犠牲とし、出来る事を為すべし。よりて愛を受くる事もあらん。愛の道ちによりて御救助あらばありがたくいたゞかん。余りあれば人にも遣らん。
蓼沼氏近頃よく小生の一身上につき、蔭にても世話をなさる。但し、正造は谷中村に一昨日来投じたるは七百円を越えたり。正造の小遣は一箇月二、三円に過ぎず。夜(よ)るも着たまゝなり。枕あるの夜は稀(ま)れなり。また二泊せし事は少なし。飯は麦めしを以(もって)最上とす。ただ湯はあります。衣類の汚れたるは却て見よし。この境遇に加え、巡査の虐待、汚吏の侮辱、殆んど人類を以てせられず。而して県民これをしらざるなり。しらざるは新聞が冷かすためなり。我日本国の中に此くの如き魔境ありて正造はここにあり。去る三十五年より堤防は破れたるまゝ、水浸五箇年に及び、穀実を得るなく、常に船にて村を歩行(ある)く。何ともかとも人間住居すべき処でない。而も天災にあらで悪人のためにこの災害を受けつゝあり。この窮民の一人を救ひ得ば、正造はここに死して少しもうらみなし。誠に道(み)ちのためなればなり。人生苟(いやしく)も道によりて死すは、死するにあらず生きるなり。
○天はしばしば正造に神の道ちを教へたるは正造の歴史なり。若きよりしばしば牢獄に入りたるは、皆この厄を以て悔を改めさせる神の道ちなり。故に正造は難に逢うごとに精神をばみがけて候。此くして幾回も厄に逢うて幾回も神に近くなり、老いてますます精神は若きに復し候。肉体は年〃に劣ると反比例、精神は年〃に優る。今の正造は二十三、四、五才の頃の元気よりも盛んなり。但し肉体は六十六才相当の疲労とはなりまして候。このたびの公判後、谷中問題解決の後(の)ちはそろそろ演説に出かくべく候。○このたびの公判は、二十にても三十にても今村力三郎氏に願(ねがい)ます。光次郎氏にも御伝言ねがいます。光次郎氏に久しく御無音にて申わけなし。去年は大坂田附氏より金一百円貰ひました。その御礼も未だ申上げません。多罪。うつの宮公判は蓼沼氏五十円ばかり下されました。石澤千代吉氏にも二、三十円ばかり散じましたやうす。木下尚江君よりは三百円、谷中にて貰ひました。この人にしてこの大金、実に心魂に深く痛みました。但し、当時大必要ありてです。正造の事はドウシテモ形はよろしからず。歳費の辞退も形を失うて形を得るの法。
日本人の根性小さく、このへぼ団体を以てして、形によりて外あるをしらず。僅(わずか)に満州を得て喜ぶ。笑ふべきのみ。正造の愛は一己(いっこ)なりともこれを推して世界に及ぶなり。天上の星(ほ)し地上の砂、皆悉く我有なりとは、誠に愛の博愛を云ふなり。人一人を救へば、その愛や世界に及ぶなり。満州を得て満足するものゝの心の小にしてその業の賤き事憐むに堪へたり。
以下追〃申上たく候。御面倒ながら御通読下されて、あしきは御教へこし下さるべく候。
早〃頓首
   三九 十一 二十六日                  正造
  原田勘七郎様

《正造は今より神の教への形(かた)ちを造るはよろしからずの説にいよいよ近くなりました》、《世界を一家族とせば、形なくして形ありで、これ神の道ちにして、しかもその大いなるものなり》といったあたりから、正造が、教団の形をとらない宗教や、ある種の共産主義の実現を理想としていたことがうかがえる。

いろいろと思想的についていけないところはあるが、65歳にしてこの意気軒昂さは憧憬に値するし、希望にもなる。

2011年5月21日土曜日

『田中正造文集』を読んだ

来月、取材で栃木県佐野市に行くことになった。

佐野市の観光案内のサイトを見ると、同市は田中正造の生まれ故郷とのこと。

せっかくなので、復元された生家と、彼に関する資料を所蔵する郷土資料館に立ち寄ることにした。

百科事典やネットで、田中正造や足尾銅山鉱毒事件について、簡単な下調べをした。

岩波文庫から、田中正造の書簡、日記等を納めた『田中正造文集』(一)(二)(編集:由井正臣、小松裕)が出ていたので、買って目を通した。

ネットで調べている段階では、佐々木は田中正造の思想や行動について、かなり懐疑的なスタンスだった。

田中正造が歴史の教科書に偉人として載るようになった背景には、当然、戦前の日本政府や財閥のあり方を貶めようとする連合国軍最高司令官総司令部の政策があっただろうし。

一般に「民衆の味方であれば善」という発想にも、ついていけないものを感じていたし。

だが『田中正造文集』に目を通して、とりあえず、正造の人生に対する気合い、情熱、己の良心への忠実さは、ホンモノだと思った。

正造の頭の働き、心の働き、(行動という意味での)体の働き、すべて、佐々木の頭の働き、心の働き、体の働きからは、かけ離れている。

自分の頭の働き、心の働き、体の働きの方を肯定して、正造の頭の働き、心の働き、体の働きの方を否定したい感情も、強く湧いてくる。

が、正造の頭の働き、心の働き、体の働きをいったん肯定したうえで、自分の頭の働き、心の働き、体の働きを捉え直したほうが、間違いなく自分のためになるはず。

2011年5月20日金曜日

「前向き駐車」

駐車場でよく見かける、「前向き駐車」という看板。

「必ず前向きに駐車してください」とか、「近隣の方の迷惑になりますので前向き駐車でお願いします」とか、「前向き駐車」を強く要請していることは伝わっているのだが、肝心の「前向き駐車」の定義がよくわからずにいた。

前進して駐車スペースに入ってそのまま停めれば、「前向きで駐車した」ことになる。

しかし駐車された車は、テールを通路側に向けて停まっているわけだから、これは「後ろ向きに駐車している」とも解釈できる。

発車時の進行方向に着目すれば、バックで駐車スペースに入る停め方こそ、「前向き駐車」とも言えるだろう。

先日17年ぶりに車を運転するにあたり、ペーパードライバー向けのハウツー本に目を通したら、「前向き駐車」というのは前進して駐車スペースに入る停め方だと書いてあった。

一応納得。

「前向き駐車」の看板が掲げられている駐車場での、大多数の車の停め方を見て、うすうすそうだろうとは思ってたけど。

世の中には、ヘンと言えばヘンだけど社会的に通用しているんだから考えても仕方ない、という類の言葉がある。

簿記における「借方」とか「貸方」とかもそう。

「前向き駐車」も、その類の言葉として受け入れるべきなのかもしれない。

が、どうも釈然としない。

そもそも「前向き」であるとはいかなることか。

人間の体で考えれば、下半身の向きと視線の向きが、ほぼ一致していることである。

「後ろ向き」であるとは、下半身の向きと視線の向きが、ほぼ逆向きであることである。

そこから類推すれば、車が「後ろ向き」であるとは、車台の向きと運転席の向きが、ほぼ逆向きであるということである。

そんな状態になる車があるだろうか。

あることはある。

たとえば戦車とか。

だが街中の駐車場に戦車が駐車することはありえない。

「前向き駐車」という表現は、やはりナンセンスである。

直接見たことはないが、「前進駐車」という表現をしている看板もあるらしい。

こちらのほうがよっぽどいいと思う。

2011年5月19日木曜日

呻吟中

ある若手有名マーケティングコンサルタントの宣伝を目的とした、インタビュー記事を執筆中。

某高級アパレル商社の2年掛かりの社内改革物語を、女性経営者および女性社員へのインタビューを中心に展開。

感性と理論の両面からの指導により、社内の雰囲気をワクワクと前向きなものに一変させるのが、彼の持ち味。

当然インタビュー記事にも、ファッションセンスだとか、美的感性だとか、時代を読むセンスだとか、ワクワク感だとかが充溢していなければならない。

でも“ファッショナブル”とか、“イケてる”とか、“ワクワク”とか、佐々木のキャラクターからは最もかけ離れたもの。

目指す雰囲気を記事に出せず、呻吟。

このジタバタを通して、佐々木のキャラクターにも少しは“ファッショナブル”とか“イケてる”とか“ワクワク”とかの要素が備わればいいのだが。

2011年5月18日水曜日

常磐線特急の車窓から

福島に向かう東北新幹線の車窓から、地震の爪痕として目についた、瓦屋根を覆うブルーシート。

昨日水戸に向かう常磐線特急スーパーひたちからも、目についた。

江戸川を越えるあたりからぽつりぽつり。

利根川を越えると、かたまってるところは4、5軒かたまって。

水戸近くで、数百軒に1軒ぐらいの印象。

東北新幹線で言うと鬼怒川を超えたあたりに近い感じ。

インタビューさせていただいた水戸付近にお住まいの方によると、あのブルーシートが掛かっている屋根の補修は、今一年待ちの状況なんだとか。

関西からも瓦職人が来ているらしい。

2011年5月17日火曜日

水戸へ

今日は仕事で茨城県水戸市へ。

ある医院のホームページに掲載される、利用者インタビュー記事制作の仕事。

去年佐々木が制作した同様の記事2本が、医院の利用者増に貢献したとのことで、今回3本目の受注。

ありがたいことである。

早めに現地に着き、水戸駅前を20分ほど歩く。

駅前のデッキ(広場を兼ねた歩道橋)にまだ何ヶ所か通行禁止の所があり、通行できる所もあちこちに補修跡がある。

駅前通りに並ぶビルの入口にはそれぞれ「応急危険度判定結果 調査済 ◆この建物の被害程度は小さいと考えられます。◆建築物は使用可能です。建築物名称:  注記:  整理番号:  判定日時:  水戸市災害対策本部 電話*******」の張り紙が。

壁面修理中のビルもあちこちに。

依頼主の医院は、駅前の8階建てビルの最上階。

地震の時は、普通なら重くて動かせない手術台が、壁から壁へと動きまくったのだとか。

院長は、もう自分の人生はこれで終わりかなと思ったらしい。

午後早くには仕事が終わったので、水戸駅前でレンタカーを借りて海辺に出てみた。

17年ぶりの運転で、しかもレンタカーを借りた瞬間にスコールのような雨が降ってきたので、残念ながら周囲を観察どころではなかったが。


「水戸の納豆記念碑」前で自分撮り

2011年5月16日月曜日

新幹線の車窓から

昨日福島市での取材のため大宮から福島まで乗った、東北新幹線。

車窓から沿線を凝視していると、瓦屋根の一部にブルーシートが掛けられた民家が、埼玉県久喜市のあたりから、ポツリ、ポツリと目につき始めた。

先日の地震で屋根瓦の一部が崩れ落ちたままなのだろう。

屋根にブルーシートが掛けられた家が、数軒かたまって目につくことが多いのは、地盤の影響で、そのあたりの揺れが特に揺れが激しかったということなのだろうか。

そのあたりの宅地を建築条件付きで分譲した工務店の耐震技術の影響みたいなものは、あるのか、ないのか。

新幹線が北上するにつれ、車窓から見えるブルーシートが掛けられた家の密度が、少しずつ上がっていく。

宇都宮の近辺でも、固まっているところは5、6軒固まってブルーシートが掛けられている。

鬼怒川を越すと、車窓から見える家の数百件に1軒ぐらいは、屋根にブルーシート。

那須塩原を越すと、百軒に1軒ぐらい。

一番ひどいのは、郡山の前後。

割合としては、数十軒に1軒ぐらい。

どちらを見ても、屋根にブルーシートが掛けられた家がある。

固まっているところは、十軒以上固まっている。

沿岸部の被害に比べれば、新幹線が走る内陸部の被害は、まだ小さいものだったはず。

地震から2カ月が過ぎ、発生直後から比べれば復旧もかなり進んだはず。

今ごろ新幹線で福島駅まで行って、駅のあたりをちょろっと歩き回っただけで、今回の地震の被害をこの目で見たことにはならないだろう。

佐々木の目に留まったのは、瓦屋根に掛けられたブルーシートとか、ところどころ崩れたままの壁ぐらい。

ただこの時期にいたって、内陸部でもまだこれだけの破壊の爪跡が残されたままという状況を実際に目にして、改めて被害のすさまじさを想像させられた面はあった。

2011年5月15日日曜日

福島市、花見山公園へ

今日は福島県福島市で取材。

ある会社のホームページに掲載される、お客様インタビュー記事制作の仕事。

3月下旬に予定されていたインタビューが震災で延び、その後も先方とスケジュール調節が付かず、ようやく今日できることに。

福島駅14時集合。

だが地震などで新幹線が止まるリスクを考え、大宮駅を8時25分に出る新幹線に乗って9時45分過ぎには福島駅に到着。

福島駅あたりのカフェで仕事するつもりで改札口を出ると、目の前に福島市観光物産協会の案内所があり、入口にイーゼルスタンドで掲示された手書きポスターに「花見山公園 東口バス乗り場から○○系統○○分 ○○下車」の文字が。

天気もいい。

せっかくここまで来て仕事だけして帰るのもなんだしと、ポスターの指示どおりのバスに乗り、花見山公園へ。

バスを降りると、ウグイスやカエルの鳴き声がひっきりなし。

なごむ。

公園内は、真っ赤なツツジや、黄味がかった白のオオデマリが満開。

山頂では、「ふくしま花案内人」というロゴの入った帽子とウィンドブレーカーを身につけた、地元のボランティアの方らしき60代ぐらいの男性が、「あの山が蔵王です」「あそこに見える雪が“雪ウサギ”です」と案内をされていた。

「ご覧のとおり、福島市は盆地なんですよ。だから放射能が高いんでしょうね(笑)」と冗談っぽくおっしゃる花案内人さん。

「放射能が降りてきて、風で抜けていかないんでしょうねぇ。もっと近いいわきや郡山は0.5ぐらいなのに、福島は1.7とかあるんだから」。

このあたりではマイクロシーベルト毎時を単位とする放射能測定値が、日常のあいさつがわりぐらいに交わされているらしい。

花案内人さんの説明を聞いていた年配男女のグループの中から、「来年ぐらいには、また何の心配もなく花見ができるかなぁ」の声が。

「できるといいですねぇ」と、しみじみお答えになる花案内人さんであった。


花見山公園のふもとで自分撮り


花見山の山頂で福島市街をバックに自分撮り

2011年5月14日土曜日

「なるほど」

マーケティングコンサルタントの竹内謙礼氏がどこかで、「なるほど」という相づちを何度も打たれると話しててイライラしてくる、という意味のことをお書きになっていた。

「なるほど」というのは、基本的に目上の人が目下の人に使う言葉なんだとか。

ほんとかどうか知らないが。

佐々木が「お客様の声」インタビューをしたときの音声を聞き返してみると、かなり頻繁に「なるほど」と相づちを打っている。

佐々木の相づちに、イライラしていた人もいたのだろうか。

「なるほど」ってけっこう便利な相づちなんだけど。

直接相手と向き合ってのインタビューだと、表情とか声のトーンとかで伝わってくる情報がかなり多いから、けっこう簡単に相手の発言内容を理解した気になってしまうんだけど、インタビュー記事ではそういう言語外情報がごっそり抜け落ちるから、よほど深く相手の発言内容を掘り下げて聞いておかないと、読者から見て、まったく説得力のない記事しか書けなくなってしまう。

そのためは話し手に、なんとか深いところまで佐々木に理解させよう、という動機を持ってもらう必要がある。

佐々木が深いところまで理解できて嬉しいという気持ちを、話し手に伝えることも、そういう動機付けの方法の一つ。

「なるほど」というのは、そういう気持ちを伝えるために便利な表現なのである。

しかし相手をイライラさせる可能性があるとあっては、あまり頻繁に使うこともできない。

「なるほど」ではなく、なるべく、相手の発言を別の表現に置き換えて「~~ということですか?」と確認することで、相づちの代りとすることにした。

面倒ではあるが、より深いインタビューをしやすくはなった。

2011年5月13日金曜日

13日なのに初蚊

長袖でいるのがつらいほどの暑さ。

腕まくりして仕事をしていたら、蚊に刺された。



今年はじめての蚊。

ある時期から、蚊に刺されにくく、刺されても痒くなりにくく、痒くなっても痒さが残りにくくなった気がしている。

たぶん二十歳前後の頃から。

子供の頃はもっと、夏は頻繁に蚊に刺され、掻かずにいられないほどの痒みがいつまでも続き、しょっちゅう虫刺されの塗り薬(ムヒとかキンカンとか)を塗っていた記憶があるのだが。

虫刺されの薬なんて、成人してからは一回も使ってないんじゃないだろうか。

なぜだろう。

一般に大人になると、蚊に刺されにくくなったり、痒みが残りにくくなったりするのだろうか。

たまたま佐々木の体質が、何かの原因でそういう風に変わったのだろうか。

佐々木が痒みに対して鈍感になっているのだろうか。

生命力の強い蚊が生息する場所に、佐々木が近づかなくなったのだろうか。

蚊が生息できる環境が減って、生命力の強い蚊自体が減っているのだろうか。

2011年5月12日木曜日

信じるべきことを信じていないことと信じるべきでないことを信じていること

「無条件に正しいと信じるべきこと」を他人が正しいと信じていないことと、「無条件に正しいと信じるべきでないこと」を他人が正しいと信じていることとを比べて、後者のほうが前者より、よりイラッとさせられるということに、カントの『道徳形而上学原論』を読んでいて気づいた。
《道徳性などというものは、人間がうぬぼれによっていやが上にも高められた想像力を逞しゅうして拵えあげた妄想の所産にすぎないとして、これを嘲笑する人達がある。この人達には、義務に関する諸概念は、いずれも経験から引き出されたに違いないということを(なお我々は、安易を好むところから、これらの概念ばかりでなくそのほかのいっさいの概念も、やはりこういう仕方で成立したと思いこみがちである)、彼等に認めてやるのが、彼等にとっていちばん望ましい奉仕というものである、そうすれば我々は彼等を確実な勝利者に仕立てることができるからである。そこで私は、こういう人間愛の精神から、我々の行為の大部分はとにかく義務にかなっているということを認めよう。》
(第二章「通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き」、篠田英雄訳)
カントと佐々木は、たぶん互いに正反対のことにイラッときている。

2011年5月11日水曜日

極端に野心的な男にとっての妻の位置づけ

今朝の新聞(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)の2面は、次期米国大統領選挙への共和党からの出馬を表明しているニュート・ギングリッチ元米国下院議長の妻(不倫関係の末11年前に結婚した23歳年下の3人目の妻)の話題と、アーノルド・シュワルツェネッガー元米国カリフォルニア州知事の妻(故ケネディ元米大統領の姪、元NBCテレビリポーター)との別居の話題の、上下並び。



記事を読んでなぜか、アイン・ランドの『水源』におけるゲイル・ワイナンドとドミニク・フランコンの関係と、『肩をすくめるアトラス』におけるヘンリー・リアーデンとダグニー・タッガートの関係を、思い出した。

特に、ギングリッチ夫妻の話題の方に。

野心的な男にとっての、妻という存在の特殊な位置づけ、という観点で。

特に、妻の社会的ステータスではなく、妻との個人的関係自体が持つ、特殊政治的な位置づけ、という観点で。

日本でも、妻の社会的ステータス(元有名女優であったりすること等々)を集票に活用している政治家はいる。

シュワルツェネッガー氏の妻との関係は、ちょっとこれに近い感じ。

そんなに珍しい話でもない。

だがギングリッチ氏の妻との関係は、これとは真逆な感じ。

そうめったにある話じゃない。

『水源』におけるゲイル・ワイナンドおよび『肩をすくめるアトラス』におけるヘンリー・リアーデンにとって、妻および愛人(ならびに彼女たちとの関係)は、純個人的な観念的価値(プライド)と政治的な観念的価値(正義)が不可分に統合された、きわめて特殊な価値を持つ存在である。

ある種、妻や愛人を愛すること自体が、反伝統的な正義、反世論の正義の追求であるような。

現実にはこんな男たちはいない。

ランドが小説で描きたかったのは「現実の人間」ではなく「あるべき人間、あり得る人間」なんだし。

ギングリッチ氏自身、別に今の妻との関係に積極的に政治的意味づけを持たせようとしているわけではないだろう。

だかそういう政治的意味づけをムリヤリ持たせようとしている人々もいるらしい。

記事の最後はギングリッチ氏の妻の友人の次のような言葉で締めくくられていた。
"They're a great couple that had a nontraditional start."
(「あの二人もすばらしい御夫婦よ。結婚のいきさつが伝統的ではなかっただけで」
または
「あの二人は、非伝統的ないきさつで結婚した、すばらしい御夫婦よ」)

2011年5月10日火曜日

「徴税=窃盗」説

ロン・ポールの『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ―リバータリアン政治宣言―』(佐藤研一朗訳)は、次のように始まっている。
《「経済的自由」なるものは、実に簡単な道徳の原則から成り立っている。
誰でも、生きる権利と財産権を持っている。そして誰も、他の人のこの権利を侵す権限を持っていない。どんな人でも、この原則を受け入れている。
例えば、ある男が銃を片手に近所の家に押し入り強盗を働いたとする。いくらこの男が、自分は、この盗んだお金は世の中のために使うのだと主張しても、この男は泥棒として逮捕され、処罰される。しかし、なぜか同じことを政府がすると、みなが納得するところの道徳的な行動になってしまう。人々から税金を取ることは窃盗と同じなのである。》
ロン・ポールの主張には共感できる部分が多かったが、徴税と窃盗を同一視するこの発想には、佐々木はついていけない。

「小さな政府」の支持者には、こういう発想をする人が多いけど。

こういう発想をする人は、「独立した個人」というものが国家の登場以前に存在していて、「独立した個人」が集まって国家というものを作った、と考えているらしい。

そんなわけないじゃん、と佐々木は思う。

それでもこういう発想をする人が少なからずいて、しかもこういう発想をする人のほうが、実践的にはよりまっとうな提言をしていることが多いと感じられるということは、こういう発想にも、一定の有効性と必然性があると見なさなければならないということなのだろう。

古代社会には古代社会の、中世社会には中世社会の神話が必要だったように、近代社会には近代社会の神話が必要で、それがこの「最初から独立した個人が集まって国家を作った説」なのかも。

2011年5月9日月曜日

カントの尊敬論

カントが『道徳形而上学原論』で、ある行為が道徳的かどうかは、その行為が、道徳律に対する尊敬の念に基づいているかどうかによって決まる、みたいなことを書いている(カント自身の言い方は、こんなスッキリしたものではないが)。

で、道徳判断の問題に「尊敬」などという概念を導入することに関して、カントは、ぐちゃらぐちゃらと言い訳をしている。
《私が、理性的な概念を用いてこの問題に明確な解決を与えようとしないで、尊敬という語をいわば隠れ蓑にして曖昧な感情のなかに逃避したことは不都合である、と言って私を批難する人があるかも知れない。しかしたとえ尊敬が一種の感情であるにしろ、それははたからの影響を感受して生じた感情ではなくて、理性概念〔理念〕がみずから作り出した感情である。それだから、傾向性や恐怖に起因するいっさいの感情―換言すれば、第一の種類に属する〔受動的な〕感情とは類を異にするのである。私は、自分に課せられた法則として直接に承認したものなら、やはり尊敬の念をもってこれを承認する、いったい尊敬という語の意味するところは、私の意志が、私の感性に及ぼすはたからの影響を介さないで直接、法則に服従するという意識にほかならない。つまり意志が法則によって直接に規定されるということ、および意志がこのようにして規定されているという意識を尊敬と呼ぶのである。それだから尊敬は、法則が行為的主観の上にはたらいて生ぜしめた結果と見なされはするが、しかしかかる法則をはたらかせたところの原因と見なされるものではない。がんらい尊敬は、自愛の念を挫折させるような価値を表示するものである。ところで法則は、傾向性の対象や恐怖の対象といくらか類似する点をもっているが、しかしそのいずれとも同一視されるものでない。尊敬の対象は、実に法則にほかならない、しかもこの法則こそ我々がそれ自体必然的なものとして、我々自身に課するところのものなのである。ところで我々は、いささかも自愛の念に諮ることなく、法則を掟としてこれに服従する、しかしまた法則は、我々がみずからこれを自分自身に課するものとしては、確かに我々の意志から生じたものである。それだから法則は、第一の点―すなわち我々がこれに服従するという点では恐怖に類似し、また第二の点―すなわち我々がみずからこれを自分自身に課するという点では傾向性に類似している。また人格に対する尊敬は、本来は法則(例えば誠実等の)に対する尊敬にほかならない、つまり人格は、我々にかかる法則の実例を提供するのである。我々は自分自身の才能を開発することを義務と心得ている、そこで我々が豊かな才能を具えた人格に接すると、この人格においていわば法則の実例(自分もまた習練によってこれにあやかろうとする)を思いみるのである、そしてこういう事情が我々に尊敬の念を起こさせるのである。いわゆる道徳的関心の本質をなすものは、すべて法則に対する尊敬にほからないのである。》
(第一章「道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き」、篠田英雄訳)
道徳律に対する尊敬を道徳的行為に不可欠の条件と位置づけ、「尊敬は理念自らが作り出す感情だから普通の感情とは違う」、「尊敬というのは必ず道徳律への尊敬で、人格に対する尊敬も実際には道徳律への尊敬に他ならない」といった主張をするカントに、それこそ尊敬の念を覚える。

主張そのものには同意できないし、ぐちゃぐちゃしたわかりにくい物言いには大いに反発を覚えるけど。

2011年5月8日日曜日

カント『道徳形而上学原論』を読んだ

古典読破計画。

3月はイマヌエル・カントの『道徳形而上学原論』(篠田英雄訳)。

去年読んだマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』に、カントの考えでは、殺人者から友人を守るために嘘をつくのも不道徳、みたいなことが書いてあって、なんだそりゃ、と思ったのが、この本を読もうと思った動機。

まー難解。

まだたぶんこの本の内容の10分の1ぐらいしか理解できてない。

とりあえずおもしろいと思ったのが、「善悪は結果ではなく意志によってのみ判断されるべきである」という命題の証明の仕方。

要は、意志を遂行するには、理性が意志を統括するより、本能が意志を統括する方が、ずっとうまくいくはずで、にもかかわらず意志に理性が関与するように人間が作られているのは、神が人間に理性を授けた目的が、意志の首尾よい遂行ではなく、善なる意志自体を生じさせることにある証拠だから、みたいな。

書いてて自分でもわけがわからなくなってきた。
《実のところ理性は、意志の対象を実現したり、また我々の懐くいっさいの欲望(理性はこれらの欲望を、部分的にもせよ増加することさえある)を充足することにかけては、意志を確実に指導する力をもたないのである、むしろ人間に植えつけられている自然的本能のほうがずっと確実にこの目的を達成したであろう。それにも拘らず理性は、実践的能力―換言すれば、意志に影響を及ぼす能力として我々に与えられているのである。すると自然が自然的素質を遍く頒与するに際して、例により合目的な方法を採ったとすれば、理性の真の使命は、何かほかの意図を達成する手段としてではなくて、それ自体善であるような意志を生ぜしめることでなければならない、そしてこのためにこそ、理性が是非とも必要であったのである。それだからこの意志は、なるほど唯一の善或いは完全な善ではないにせよ、しかし〔人間にとっては〕最高の善でなければならない。》
(第一章「道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き」)
「神がこの世界を作った」ということにすると、こういう証明の仕方ができるのか、と、変な感心の仕方をしてしまった。

2011年5月7日土曜日

ロン・ポール『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ』を読んだ

米国連邦下院議員ロン・ポールの『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ―リバータリアン政治宣言―』("THE REVOLUTION: A MANIFESTO"、副島隆彦監訳、佐藤研一朗訳)を読んだ。

政治家としての著者の信念や誠実さが心に響き、胸が熱くなった。

訳もいいのだろう。

著者によれば、「人間は自由を望んでいない」という考え方は、アメリカでも一般的なのだとか。
《残念ながら、「自由」という考え方は、社会、メディア、政治、特に教育界において正当に扱われていない。私は、自分の仕事を通して多くの若者と話す機会がある。だが、彼らの多くが自由という私の信条を、それまで一度も聞いたことがないと言う。しかし私が、自由という哲学を説明し、アメリカの歴史をその哲学を使って解説すると、若者たちの瞳はすぐさま輝き始める。それまで一度も聞いたことがなくても、若者にとって自由の哲学、概念は感動的ですらあり、心を突き動かすもののようだ。彼らの求める理想に訴えるのだろう。若者たちには、それまで一度も自由という選択肢が与えられたことがなかったからだ。》
若者が自由という選択肢を与えられたことがない? あのアメリカですら? と、にわかには信じがたい気持ち。

しかしこの日本においては、「若者が自由という選択肢を与えられたことがない」という言い方が、少しも誇張ではない現実がある。

この日本でも、著者の言う「自由の哲学、概念」を、多くの人々と共有できたら素晴らしいと思った。

頭のレベルではなく、魂のレベルで。

それこそ「瞳が輝き始める」ぐらいのレベルで。

著者の勧めるミーゼスの『ヒューマン・アクション―人間行為の経済学―』も読んでみようと思った。

2011年5月6日金曜日

鉄道事業者共同制作「暴力行為防止ポスター」への違和感メモ5

鉄道の駅や車内に先冬掲載されていた「暴力行為防止ポスター」に感じた違和感の整理、続き。

職場における同僚との談笑が「守るべき幸福」の象徴とされていることに感じる違和感。

職場の幸福が、家庭の団欒のように描かれていることへの違和感。

この違和感の原因は、ポスターの作り手である鉄道会社の広報部門の人々の側にあるのだろうか? それとも、佐々木の側にあるのだろうか?

おかしいのは、鉄道会社の広報部門の人々なのか? 佐々木なのか?

鉄道会社の広報部で働く人々と佐々木は、所属業界や雇用形態という面では、かなり両極的だと思う。

運輸業と言えばバリバリの規制・許認可業界。

佐々木はと言えば、これまで規制・許認可業界で働いた経験がない。

鉄道会社の社員と言えば、おそらく基本的に年功賃金、終身雇用。

佐々木はと言えば、もう10年以上、月給というものを受け取ったことがない。定期昇給とかボーナスとかナントカ手当とか、これまで一度ももらったことがない。

職場というものに対する感覚がかけ離れるのも当然なのだが。

おかしいのは、どっちなのだろうか?

鉄道会社の広報部門の人々のほう? 佐々木のほう?

「おかしいのはどちらなのか」という問い自体が、そもそもおかしいのだとは思う。

それでもこの問いが頭から離れないのは、佐々木自身の仕事観や職場観の特殊性が、佐々木自身の大きな不幸に結び付いているのではないか? という不安をどこかで感じているからだろう。

2011年5月5日木曜日

鉄道事業者共同制作「暴力行為防止ポスター」への違和感メモ4

鉄道の駅や車内に先冬掲載されていた「暴力行為防止ポスター」に感じた違和感の整理、続き。

駅員や乗客への暴力を啓蒙によって抑止しようとするのはおかしいと思うが、それでもなお、暴力を啓蒙で抑止することを選択するとする。

暴力を啓蒙によって抑止するにしても、駅員や乗客に暴力を振るうほど鬱屈した人間が、屈託なく幸福そうな人物に自己を投影するのは難しいだろうから、「暴力を振るうことによって破壊される屈託なく幸福な人生」というイメージが、暴力の抑止に効果的とは思えないのだが、それでもなお、こうしたイメージによって暴力を抑止することを選択するとする。

で、最後の違和感。

職場における同僚との談笑が「守るべき幸福」の象徴って、ヘンじゃないか?

おおざっぱに言って、仕事には次のような意義がある。

1.顧客への貢献

2.金銭的な報酬(生活手段の獲得)

3.社会の維持

4.人類の進歩への貢献

5.所属欲求の充足(組織の一員であることの喜び)

6.協働欲求の充足(人と何かをすることの喜び)

7.意義あることをすることの喜び

8.何かをすること自体の喜び

9.自己成長欲求の充足

10.承認欲求の充足(人から認められることの喜び)

これらの中には、本質的な意義もあるし、本質的ではない意義もある。

「本質的である」ということは、「それがなければ成立しない」ということである。

仕事に喜びがないからといって、仕事が仕事でなくなるわけではない。

だから喜びというのは、仕事にとって本質的ではない。

で、あのポスターで「守るべき幸福の象徴」とされている「同僚との談笑」って、所属欲求の充足とか、協働欲求の充足とか、意義あることをすることの喜びとか、そういったことの現象形態なんだろうけど、こういうことって、「職場」という場においては、あまりに非本質的なことだと思うのだが。

ああいう非本質的なことが「守るべき幸福の象徴」にまつり上げられてしまっていることに、すごく違和感を感じる。

こんなことに違和感を感じる佐々木の方がヘンなのだろうか。

2011年5月4日水曜日

鉄道事業者共同制作「暴力行為防止ポスター」への違和感メモ3

鉄道の駅や車内に先冬掲載されていた「暴力行為防止ポスター」に感じた違和感の整理、続き。

「暴力の抑止は啓蒙ではなく警告によるべき」という判断の根拠として、「効果の観点」、「被害者の心情の観点」、「暴力を振るわない大多数の乗客に対する礼節の観点」の3つを挙げたが、その前に1つ、大事な観点が抜けていた。それは「社会正義の観点」。「単なる迷惑行為の実行者」と「犯罪(被害者が存在する犯罪)の実行者」を同列に扱うこと自体が、守られるべき秩序の侵害になるという観点も、たぶん大事。

で、それでもなお啓蒙によって暴力を抑止することを選択するとして、あのポスターはどれほど効果的なのかという話。主人公(ポスターを見る人に自己同一化させようとしている人物)らしきあの中年男性、表情に幸福感が溢れ過ぎているような気が。鉄道の駅や車内で駅員や乗客に暴力を振るうほど鬱屈した人物が、あんなハッピーそうな人物に自己を投影できるとはとても思えない。

2011年5月3日火曜日

運動総研講座「ゆる筋トレⅡ」に参加

本日、運動科学総合研究所の春期講座「ゆる筋トレⅡベースof上半身」(高岡英夫先生)に参加。

高岡先生の講座には、参加するたびに驚きがある。

メソッド自体やその効果への驚きだけでなく、体について「こんな見方ができるのか」という驚きが。

今回は、筋力トレーニング全般に対して思いも寄らなかった視座を与えられた。

筋力トレーニングの必要性や効果、特にゆるへの効果。

あるいは、一般的な筋力トレーニングの問題点と、あるべき筋力トレーニングのあり方。

こういったことを、生物の進化から捉える視座を与えられた。

今回の震災や津波を生き延びた人々の実例を踏まえながら、災害時のとっさの対応に、今回のトレーニングメソッドがどう役立つのかも教えていただいた。

寝っころがって自分の体をさするだけの、とても筋トレには見えない動作が、悲鳴をあげるほどきつい筋トレになるのも驚きだった。

2011年5月2日月曜日

鉄道事業者共同制作「暴力行為防止ポスター」への違和感メモ2

鉄道の駅や車内に先冬掲載されていた「暴力行為防止ポスター」に感じた違和感の整理、続き。

このポスターの目的は、鉄道の駅や車内での暴力行為を、抑止することである。

「啓蒙(=気づかせること)」か「警告(=おどかすこと)」かで言えば、「啓蒙」によって、その目的を達しようとしている。

たとえばヘッドフォンステレオの音漏れとか、座席の過大な独り占めとか、その程度のことなら、まだ啓蒙の範囲だと思う。

暴力は違う。

暴力の抑止は、啓蒙ではなく警告によるべきである。

書店によくある「万引きは警察に通報します」とか、駐車場によくある「無断駐車は1万円申し受けます」みたいに。

次の3つの観点で。

1.効果の観点

単純に、啓蒙より警告のほうが、抑止に効果を発揮しそう。

2.被害者の心情の観点

暴力には明確な被害者が存在する。加害者を過剰に「敬意を払うべき存在」として扱うことは、被害者の心情を傷つける。

3.暴力を振るわない大多数の乗客に対する礼節の観点

暴力を振るわないように、乗客全員に呼びかける姿勢で臨む、ということは、大多数の乗客を「潜在的に暴力を振るう可能性がある人間」として扱うことである。これは、暴力を振るわない大多数の乗客に対する侮辱である。

2011年5月1日日曜日

『肩をすくめるアトラス』3回目の読了

アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』(脇坂あゆみ訳)3回目の通読、完了。

すごい達成感。

この長く硬い小説を、社会人になって3回も通読できる人間って、なかなかいないと思う。

ありがたい境遇である。



上の写真で付箋が後半4分の1にほとんど貼られていないのは、途中から付箋を貼るのがめんどくさくなったわけではなく、付箋を貼りたくなるほど感銘を受けた箇所が、前半4分の3に集中していたから。

しょうがないよな。

ストーリー上、終盤はほぼ、世界がひたすら暗闇に突入していくありさまを描いているだけだから。

今この歳で『肩をすくめるアトラス』を読みかえして、本当によかった。

40代になったのと、震災とが重なって、自分自身がややふらつき気味だったから。

これからの人生を生きる上での、燃料と羅針盤と屋台骨を与えられた感じ。

主体的に生きる気力が低下してくると、つい、社会的に賛美・承認される行動ばかりを選択するようになってしまう。

そうした安易な選択が、自分自身の人生を、どれほど損なってしまうか。

自分自身の人生を損なうだけでなく、どれほど社会正義に反したことであるか。

そのことを、読者の頭と体に叩き込むようにわからせてくれるのが、この小説のすごいところ。
 
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