2011年2月28日月曜日

超困難超苦手分野原稿執筆中

どうにもこうにも難しくてしょうがない、何をどう書いてもおかしなことになる、というタイプの原稿について、自分が「もうこれしかない!」と思った書き方は、必ず、自分とは感覚や考え方が違う人たちからボロックソに批判されたり書き直しを命じられたりボツにされたりすることが予想される書き方でもある。

そういう予想をしながら難しい原稿を書いていくのは、何種類もの異なる困難との闘いになる。

ただいまそういう超困難・超苦手分野の原稿を執筆中。

2011年2月27日日曜日

引っ込み思案

取材前に昼食を取りに入った横浜駅西口地下街南モールのレストランで、壁に10枚ほど掛かっていた、深緑の背景で様々な花のアップを描いた絵?写真?に、こりゃすげぇ!ほんとにすげぇ!と感動してしまって、ぜひ作者を知りたいと思ったのだが、ランチタイムのあわただしく混雑した店内で「あの壁に掛かってる絵が誰の作品かわかりますか?」とか聞くのは店員さんにちょっと迷惑のように思えて、その場の雰囲気から言ってもなんだか場違いに思えて、なによりそういう質問をすること自体がえっらく気障ったらしいことのように思えて、結局聞けないまま店を出てしまった。

この引っ込み思案はなんとかしたほうがいいのだろうと思う。

2011年2月26日土曜日

なんとも言えない

「コクのある味」と言うときの「コク」を『例解新国語辞典』で引いてみたら
《ふかみのある、なんとも言えない いいあじわい。》
と出ていて、爆笑してしまった。

「なんとも言えない」って。

国語辞典が言語による説明を断念するな。

2011年2月25日金曜日

偉い俺

結婚相談所のホームページコンテンツ製作の仕事で結婚相談員の方を取材したとき、「婚活女性は相手男性のプライドを尊重しなければならない」という趣旨のアドバイスを、何度も聞いた。

一般的に男の「俺は偉い」「俺はすごい」と信じていたい感情の強さには、女の想像を絶するものがあるらしい。

2011年2月24日木曜日

ウメちゃん

近所では満開の梅の木が多くなってきた。

花を咲かせた梅の木を見ていると、それぞれに、こういう雰囲気の女の子っているよなぁと思う。

そういう木って、ほかにあまりない。

今生まれた女の子に「ウメ」という名前を付けたら、「おばあさんの名前みたい」と言われるだろう。

「ウメ」=「おばあさんの名前」というのは、ある種すでに、マンガの世界のお約束と化している。

だがかつては現実に「ウメ」という名前のおばあさんが大勢いた時代があったのだろう。

あたりまえだが、「ウメ」おばあさんたちは、生まれたときからおばあさんだったわけではない。

「ウメ」おばあさんたちが生まれた当時は、女の子に「ウメ」という名前を付けることが、ものすごくセンスのいいことだったに違いない。

今女の子につける名前として流行している名前が、「おばあさんの名前」と認知される時代が、やがては来るのだろうか。

女の子に「ウメ」という名前をつけることがセンスのよいことと認知されるような時代が、また来ることはあるのだろうか。

2011年2月23日水曜日

立派な泣き言

我輩は自信がないのである。

こう自分で書いてみると、笑ってしまう。

なんなんだ、この自信満々のもの言いは。

文体と内容の著しい齟齬は、人をして口腔内の飯を噴出せしめる。

格調高く威厳に溢れた文体で世の不正、非道、堕落を告発する文章には、思わず襟を正される。

だが最近、この手の悲憤慷慨系の文書を目にして、つい吹き出したくなることも増えている。

“今の世の中では自分(たち)が幸福になれないことの証明”など、それがどれほど真実を抉っていようが、どれほど格調高く語られていようが、身も蓋もない言い方をしてしまえばすべて“泣き言”である。

文体は、荘重。

内容は、泣き言。

我輩が、もとい佐々木が、世相一刀両断憂国慨世悲憤慷慨系の文章を目にして思わず吹き出す所以である。

2011年2月22日火曜日

平和

終日、家で仕事。

パソコンに向かいっぱなしなのも体に悪いので、時々外に出て散歩。

今日は日中、ずいぶん暖かかった。

久しぶりに冬用ダウンジャケットではなく、春秋用の背広襟ジャケットで外に出た。

快晴。

近所の梅は、七分咲き~八分咲き。

最近は地球のあちこちで動乱や革命や戦争が起きてるけど、やっぱり日本はまだまだ平和でいいなァ……と思った。

自分が属する社会が平和の真っ只中にあって、なおかつ、近い将来に平和が失われる可能性が高い状況で、佐々木が本当にやりたいことって、おおざっぱに、どんなことだろう。

「平和ボケ」の他人を侮蔑したり、嘲笑したりすることではない。

動乱の時代に突入する覚悟や準備を、他人にさせることでもない。

一つは、平和な時代ならではの自然や文化を、自分自身が、めいっぱい享受しておくこと。

もう一つは、自分が属する社会の平和が失われた時に、どのような人がいなければならないのかを想像し、自分がそのような人になるためにはどうすればいいのかを分析して、実行すること。

この二つは、表面的な印象ほどには、互いにかけ離れていないと思う。

平和な時代にあって自然や文化を享受する能力は、動乱の時代にあって必要とされる役割を果たす能力の、基礎になるはず。

逆に、動乱の時代にあって必要とされる役割を果たす能力は、平和な時代にあって自然や文化を享受する能力の、基礎になるはず。

2011年2月21日月曜日

路線バスのPASMO読取装置の位置

路線バスのPASMO(IC乗車カード)読取装置は、乗車時用が整理券発行機の横に、降車時用が運賃箱の上に、それぞれ設置されている。


神奈中バスのホームページより転載)


前ドアからバスに乗るとき、間違って、降車時用の(運賃箱の上の)読取装置にPASMOやSuicaをタッチしてしまっている人を、時々見かける。

佐々木も、何度か間違えた。

あれ、無理もないと思う。

当然ながら、バスに乗るとき、前回バスでPASMOを使ったのは、バスから降りたとき。

だからどうしても、PASMO読取装置は運賃箱の上にある、という記憶がある。

バスに乗る際、前ドアが開いた瞬間目に飛び込んでくるのは、ドア横の小さな整理券発行機より、むしろ正面の大きな運賃箱だし。

バスのPASMO読取装置は、乗車時用と降車時用が隣り合うように設置した方が、合理的だと思った。

2011年2月20日日曜日

目標を過程的構造像として描く

健全とか真っ当とかいうあり方は願望の対象にはなってもそれを体現している人々の現実が佐々木にはとても真似のできないもののように感じられて目標にはできずにいたのだが神庭純子さんの『初学者のための『看護覚え書』(1)』の第二章第四節「見事な看護の実力をつけるためになぜ弁証法の学びが必要なのか」を読んでいて「そうか目標は現象像としてではなく過程的構造像として描けばいいんだ」と腑に落ちるものがあって健全とか真っ当とかいうあり方の過程的構造像を思い描いてみたら案外すんなり目標にできる気がしてきて目標としての過程的構造が実現される過程的構造像も浮かんできた。

2011年2月19日土曜日

細胞経営

自分の脳や体を構成する細胞たちを、本当に社長が会社をマネジメントするような感じでマネジメントしないと、今引き受けてる仕事をこなしきれないと感じ始めている。

やっぱり漠然と体をゆるめただけでは、こなせる仕事の量にも質にも限界がある。

社員の心身をゆるめても会社経営にはならないのと一緒。

仕事の構造だとか仕事の発生の仕方の構造に見合う形で、うまいこと細胞たちを働かせ休ませ元気づけ成長させないといけない。

2011年2月18日金曜日

思考と結論

たとえば二人の人間がいて、一方は一度に一つのことしか考えることができなくて、もう一方は一度に四つも五つものことを考えられるとする。

で、一度に一つのことしか考えられないほうは、単に一度に一つのことしか考えられないだけでなく、一度に複数のことを考えられる人間がこの世に存在すること自体を、想像できないとする。

一度に一つのことしか考えられない人間にとっては、思考すること、イコール、一つの結論を出すこと、である。

一つの結論が出ていないこと、イコール、思考ができていないこと、である。

一度に複数のことが考えられる人間にとって、思考すること、イコール、複数の結論を併存させること、である。

結論を一つに絞ってしまうこと、イコール、思考ができていないこと、である。

男と女の間に感情的な行き違いが起こる原因の少なからぬ部分に、このあたりの事情がからんでる気がする。

2011年2月17日木曜日

陳腐化

意味内容の背景に存在する感情と、発音が惹起する感情とが、著しく乖離している言葉が存在する。

その代表の一つが、「陳腐化」である。

「陳腐化」は、基本的に恐怖の感情を伴って使用される言葉だ。

自社の製品・施設・サービスが、他社が投入してくる製品・施設・サービスや時代の変化によって、突然「陳腐化」してしまうのではないかという恐怖。

あるいは、大企業による「計画的陳腐化」によって、我々消費者が不当に収奪されているのではないかという恐怖。

で、発音が「チンプカ」。

「チン」、「プカ」って。

あえて視覚化するなら、男が素っ裸になって湯船につかり、両足をおっぴろげて湯船のへりにかけ、股間を湯面ぎりぎりまで持ち上げ腰をふりふり、といった光景だろうか。

忘我、慌惚、無防備の、極致。

恐怖の対極である。

意味内容の背景に存在する感情と、発音が惹起する感情とが、これほど乖離している言葉も珍しいと思う。

2011年2月16日水曜日

「赤ん坊の部分」の復活

自分の中で長い間眠っていたというか仮死状態にあったというか強度の抑圧状態にあった「赤ん坊の部分」が、もしかしたら復活しはじめているのかも、ということを、今朝目覚めたとき、布団の中でふと感じた。

ゆる体操を続けてきた効果か。

佐々木の仕事は肉体労働か精神労働かの分類で言えば精神労働なのだが、これは精神労働っていうより、完全に感情労働だろ、と思う仕事もたまにあって、そういうときにこの「赤ん坊の部分」が活躍してくれると、たいへんありがたい。

2011年2月15日火曜日

人を理解することとプライバシーを穿鑿すること

人を理解すること。

人のプライバシーを穿鑿すること。

この二つがどう違うのかに、興味がある。

佐々木自身がされた時の感情の違いで言えば、前者はされたくてもされないのが悲しいし、後者はされたくもないのにされるのが腹立たしい。

仕事でインタビューをする時、こちらが前者の目的で問いかけたことが、インタビュー相手から後者のように受け取られることが、ないようにしたい。

仕事を離れても、できれば前者を多く、後者を少なくできる存在でいたい。

相手を理解する仕方の違いで言えば、おそらく本質的な違いは、相手を内側から理解するか、外側から理解するかにある。

もちろん前者が内側からの理解、後者が外側からの理解。

あとはたぶん、相手に対する尊敬の有無だとか、多様な価値観の存在に対する理解の有無だとか、自分が成長し続ける意志の有無だとか、人生に対する真剣度の違いだとかも、関係してると思う。

2011年2月14日月曜日

三脚壊れすぎ

昨日の取材でインタビュー相手の撮影をしているとき、三脚の高さを調節するエレベーターの調整ハンドルをグルグル回していたら、ハンドルがポッキリ折れてしまった。

購入して、まだ5ヶ月なのだが。

しょうがないので以降は、三脚の脚自体を伸縮させて高さ調整。

その前に使っていた三脚も、取材の仕事が頻繁に入りはじめてから約5ヶ月で、雲台部分にひびが入り、カメラがぐらつくようになってしまった。

取材では、短時間でインタビュー相手をいろいろな角度・高さから撮影するので、三脚の高さ調整エレベーターは、グルングルン回しっぱなしになる。

使ってる三脚は全高1,480mm、4段式、縮長530mm、重量約1.5kg。

そこそこの大きさとはいえ、しょせん売価5千円程度のアマチュア用。

搭載機材重量は1.5kg以内。

そこに本体約800g、レンズ約400g、計約1.2kgの一眼レフカメラを載せるので、三脚の性能的には、けっこうぎりぎり。

カメラを装着したまま、三脚をひょいと持ち上げ脚の長さを調整することも多いので、雲台にかかる負荷も大きい。

やっぱり仕事で使うものはプロ用じゃなきゃだめなのかなーと思って調べると、アマチュア用の三脚とは、値段の桁が一つ違う。

正直そこまで三脚に投資できるほど、カメラじゃ稼いでない。

4年使えるなら5ヶ月しか持たない三脚より10倍高価でもO.K.、とも考えられるが、高価なだけじゃなくてデカい(縮長810mm)し重い(約4.8kg)。

どうしたものか。

考えてみれば、三脚をもっとていねいに扱うようにすれば、ハンドルが折れたり雲台にひびが入ったりといったことも、起こりにくくできるはず。

それこそ自分の体をもっとゆるめて、自分の体にセンターを通して、カメラと三脚のセンターを感じて、手も柔らかくゆるめて、エレベーター調整部のシャフトやハンドルのセンターを捉えながら回すようにして、と心がければ……。

取材現場のバタバタの中では、おろそかになりがちだけど。

アマチュア用の三脚、既にもう一台買ってあるので(取材先に向かう途中で電車の網棚に三脚を置き忘れて取材直前にあわてて買ったやつ)、こちらはなんとか1年持たせるように工夫しようと思う。

2011年2月13日日曜日

『見せるだけで売れてしまう「事例広告」の方法』(村中明彦著)を推す

株式会社カスタマワイズという、日本で唯一、事例広告(いわゆるお客様インタビュー記事)の製作を専門にしている会社がある。

佐々木の業務マニュアル製作事業(ビー・ドキュメント)の、お客様でもある。

詳しくはこちら

そのカスタマワイズの社長の村中さんが、このたびダイヤモンド社より『見せるだけで売れてしまう「事例広告」の方法』という本を出された。



内容は、なぜ売りにくい(=値段が高い、目に見えない、説明しにくい)商品が事例広告で売れるのか、とか、事例広告の使い方とか、事例広告の作り方とか。

佐々木は、自分の業務マニュアル製作事業のホームページに、この事例広告を使っている。

これ

事例広告4本中、2本はカスタマワイズさんに作ってもらい、2本は自分で作った。

他にも、お金をいただいて、他の会社さんの事例広告を50本ぐらい作った。

なのでこの本に書いてあることが本当であることが、よくわかる。

というか、この本に書いてあることが「売りにくいものを売る」ためにどれほど役立つかは、実際に自分で事例広告を作ってみないと、わからないだろうなと思う。

「お客様の役に立つ」商品と「売れる」商品は、必ずしも一致しない。

事例広告は、お客様の役に立つにもかかわらず売れずにいる商品、本来売れるべき商品を売れるようにする、すばらしい広告手法である。

プロに製作を頼めむと何万円、何十万円と掛かる事例広告が、この本を読めば、自分で作れるようになる。

いい世の中になったものである。

(2月14日(月)~2月15日(火)にAmazonキャンペーンが行なわれる)

2011年2月12日土曜日

言葉が存在するという救い

言葉が存在することが救いになっていることは、少なくない。

たとえば、もし「嫉妬」という言葉(嫉妬という感情を表現する言葉)が存在しなかったら、嫉妬の苦しみは、もっと救いようのないものになっているはず。

「嫉妬」という言葉が存在して、その言葉の意味がわかるからこそ、人々は自分が抱く嫉妬の感情を客観視して、苦しみのスパイラルから脱することができる。

「嫉妬」という言葉は子供の頃から知っているが、「他責的」という言葉の存在を佐々木が知ったのは、たぶんここ数年のこと。

「他責的」。

この言葉もまた、存在し、その意味が理解されることで、人々を苦しみのスパイラルから救う言葉だと思う。

言葉の意味を理解するというのは、辞書的な意味を知ることだけでなく、その意味する事象が自分の中に存在することが、自分自身や周囲に対してどのような意味を持つのかを、全体的かつ構造的かつ動的に把握することまでを含むのだが。

2011年2月11日金曜日

yumehakanau

中小企業の社長さんへのインタビューは、いつも教えられることが多くて楽しい。

先日インタビューしたある工務店の社長さんは、自分のパソコンのログインパスワードを「yumehakanau(夢はかなう)」にしていると教えてくれた。

パソコンにログインするたびに「夢はかなう、夢はかなう」と自分に言い聞かせていると、本当に夢がかなうのだと。

おもしろいので、佐々木も自分のパソコンのログインパスワードを「yumehakanau」に変えた。

2011年2月10日木曜日

MD-90

愛媛県西条市での取材から帰宅。

帰りの飛行機は松山夜7時50分発。

羽田夜9時20分着。

今回乗った飛行機は、行きも帰りも日本航空のMD-90という機種。

去年から飛行機での出張仕事が入るようになってしばらくは、飛行場の景色自体が新鮮に感じられ、駐機中の飛行機、離着陸する飛行機を、一機一機熱心に眺めていた。

いろいろな機種の飛行機がある中で、一機種、最初のうち、ダントツに格好悪く感じられた機種があって、それがMD-90だった。

あまりにも格好悪く感じられたのでかえって気になってしまい、特別に熱心に眺めているうちに、今ではこの飛行機の姿が、妙に好きになってしまった。

格好悪さには、たぶん2種類がある。

格好良さを狙って外したがゆえの格好悪さ。

格好良さを追求しないがゆえの格好悪さ。

後者の格好悪さが、ある種の必然性を追求した結果である場合、その必然性が理解された途端、格好悪いこと自体が、格好良く思えてくることがある。

MD-90があまりに格好悪く感じられたゆえに、何度も凝視しているうちに、そのフォルムの必然性が理解されてしまったということなのだろう。

人間の魅力についても、そういうことがある気がする。

2011年2月9日水曜日

松山へ

明日は愛媛県西条市で取材。

なので今夜は松山市内に宿泊。

羽田夜7時過ぎ発の飛行機に乗り、松山夜9時頃着。

空港の荷物受取場職員、リムジンバスの案内職員・運転手、ホテルのフロント職員と、接する方々が総じて愛想よい。

しかも「仕事だからやってます」感が薄い。

愛媛の県民性なのだろうか。

「愛」とか「媛」とか、県名がラブリーな漢字ばかりで構成されている影響もあるのだろうか。



道後温泉本館前で自分撮り

2011年2月8日火曜日

願望は意志の敵

世界中でベスト・セラーになったビジネス書『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』("Good to Great: Why Some Companies Make the Leap...And Others Don't", Jim Collins)の有名な書き出し、
《Good is the Enemy of Great(良好は偉大の敵である).》。
「Good」を通過せずに「Great」に到達することはないのだろうが、「Good」を通過点にせず到達点にした途端、「Good」であることが「Great」になることの障害になる、ということなのだろう。

同様に、願望は意志の敵である、とよく思う。

願望を出発点としない意志など存在しない。

だが願望を願望のまま願望として抱き始めた途端、願望を持っていること自体が、願望の意志への転化を阻み出す。

自分との関係においてだけでなく、他人との関係においてもそう。

特に自分自身が極端に行動モードになっている時は、他人が願望を願望として語るのを聞くだけで、行動する自分の意志が、蝕まれるような気持ちになる。

自己実現に関わる願望を聞いても、他人や社会に対する願望を聞いても。

社会批判も、政治批判も、裏返しの願望吐露にしか聞こえなくなる。

2011年2月7日月曜日

飛び上がらんばかりに喜ばれる仕事

可愛らしいオリジナルのカスタム自動車を作っている会社を訪問。

ホームページのコンテンツ用に、社長さんのインタビュー&写真撮影。

インタビュー中、20代後半ぐらいのご夫婦が、注文していた車を取りに来られたところに遭遇。

車を一目見た奥さん、「わ~~~!!可愛い~~!!すご~~い!!嘘みた~い!!」と嬉しさで飛び上がらんばかりだった。

ちょっと感動してしまった。

世の中に、こんなに人から喜ばれる仕事をしている人がいるのかと。

仕事をして飛び上がらんばかりに喜ばれたことなど、佐々木は一度もない(たぶん)。

あと佐々木はあまり喜びとか表に出すほうではないが、含羞と体面と状況が許す限り、やっぱり喜びは表に出したほうがいいんだろうなと思った。

2011年2月6日日曜日

「領土獲得欲」

古典読破計画。

1月はマキャベリの『君主論』。

一ヶ所だけ、傍線を引いてしまったところがあった。
《実際、領土獲得欲というものは、極めて自然で当然のものである。能力のある者が領土を獲得するのは称えられることでこそあれ、非難されるものではない。しかし、能力のない者が是が非でも獲得しようとするのは、誤りであり非難に値する。》(第三章「複合的君主権について」)
の中の、「領土獲得欲」という言葉。

論旨がどうのこうではなく、単純に、言葉自体に違和感。

現代の常識からすれば「領土獲得」って、個人の「欲」の発露として行なうものじゃないだろう、と。

国家は徴税も公共事業も裁判も行なうが、「徴税欲」とか「公共事業欲」とか「裁判欲」とかいう言葉はない。

それと一緒で、「領土獲得欲」なんて言葉は、現代人はあまり思い付かないのではないか。

「領土獲得欲」という言葉が普通に使われていた時代の政治や国家のあり方は、そういう言葉が使われなくなった現代の政治や国家のあり方とは、だいぶ違っていたはず。

その違い方に、いろいろと想像をめぐらせた。

政治と経済がはっきりと分かれてきたのは、近代になってからのこと。

マキャベリの時代には、まだ政治と経済がはっきりとは分かれていなかった。

簡単に言えば、当時の政治家は、現代の政治家と起業家・経営者の、両方の性格を併せ持っていた。

政治と経済が明確に分離された現代において、マキャベリの『君主論』は、むしろ起業家論として読まれるべき本ではないかと思った。

それからもう一つ、世の中の流れというのは基本的に行く所まで行き着くと逆転し始めるものだが、「領土獲得欲」という言葉が当たり前でなくなる時代へ、という流れが逆転して、「領土獲得欲」という言葉が当たり前になる時代へ、という流れが始まることも、あり得るのかもしれないな、なんてことも思った。

2011年2月5日土曜日

先見性、計画性

寒いから粕汁でも作ろう、と思ってスーパーで酒粕のコーナーに行ったら、棚が空。

メーカーの生産が追いつかないのでしばらく欠品、すみません、みたいな表示が。

そりゃそうだよな。

今は一年で一番、粕汁を作りたくなる季節。

おまけに、甘酒を作りたくなる季節。

この季節の品切れを見越して、酒粕は早めに買い込んどかないと。

こういうのを先見性がない、計画性がないというんだ、と反省。

今度の冬は、12月中に3ヶ月分の酒粕を買い込んでやる、と決意。

今年のスケジュール帳の12月のところに、「酒粕3ヶ月分購入」と書き込んでやった。

2011年2月4日金曜日

恋バナ15時間

だいたいにおいて男は女に比べて恋愛話をしないものであるが、中でも佐々木は特にしない部類である。

40年近く生きてきた中で佐々木がした恋愛話をすべて合わせても、おそらく1時間にも満たない。

下手をすると、30分未満かもしれない。

ここのところ、結婚相談所のホームページ・コンテンツ製作で、成婚者インタビューというのをやっている。

とりあえず依頼されたのが4件。

4件それぞれに、打ち合わせが1~2回。

打ち合わせも一種のインタビュー。

なのでインタビューが計10回。

それぞれが約1時間半。

計約15時間。

聞き出しているのは、ある種、恋愛話の精髄のようなもの。

数か月で、これまでの一生分の十倍以上の恋愛話をさせられている感じ。

佐々木は一方的に聞いているだけなのだが。

おもしろい。

話の内容がおもしろい、というよりむしろ、40近い薄毛のおっさんが、「彼との結婚を決めた理由」だの、「彼女と初めて会って感じたこと」だの、「女性の心をつかむプレゼント」だの、「交際中の二人に起きがちな行き違い」だのといった話を、工業用機械の機能や仕様や操作方法を尋ねるような調子で、神妙な顔をして尋ねている光景が、たまらなく可笑しい。

2011年2月3日木曜日

量産力

俺ももっと短い時間で大量の仕事をこなせるようになりたい……とかのんきに考えていたら、短い時間で大量の仕事をこなす能力が付く前に、短い時間で大量の仕事をこなさざるを得ない状況に追い込まれた。

能力というのうはこうやって向上していくのだろう、と思うことにする。

2011年2月2日水曜日

空載コンテナ貨物列車の通過

JR在来線の駅で電車を待っていると、コンテナ貨物列車がホームを通過していくのをよく見る。

ホームを高速で通過していく貨物列車に、コンテナが積まれていないコンテナ貨車が連結されていると、見ていて、ものすごく怖い。

足がすくむ。

プラットホームの高さと、コンテナ貨車の積台の高さは、ほとんど一緒。

プラットホームからコンテナ貨車に乗り移ること自体に、物理的な困難や障害は何も無い。

乗り移ること自体には。

実際に高速で通過するコンテナ貨車に乗り移れば、想像したくもない結果が待ち受けているわけだが。

ホームからコンテナ貨車に乗り移るという行為を、容易にイメージできてしまうこと。

その行為の実行が、想像もしたくない結果に帰結すること。

ホームを通過して行く空載コンテナ貨車を見て恐怖を感じるのは、単に、これらだけが原因ではない気がする。

鮮明にイメージできてしまった行為は、体が勝手に実行しようとする。

ホームからコンテナ貨車に乗り移るという行為をイメージできてしまった瞬間、体が勝手に、ホームからコンテナ貨車に乗り移ろうとする。

それが恐ろしいのだと思う。

体は、自己を破壊する行為さえ、イメージできてしまえば勝手に実行しようとする。

それならば自分の幸福に結び付く行為を鮮明にイメージすることに、もっと積極的になったほうがいいのかもしれない。

引き受けてしまった大量の仕事がバンバカ片づいて、仕上がりにクライアントも佐々木も大満足、イェーイ! みたいなイメージを、もっと持ったほうがいいのかもしれない。

2011年2月1日火曜日

クライアントにあきれられた

インタビューしていて相手の話に感動して泣きそうになることが時々あるのだが今日は本当にインタビュー中に泣いてしまってクライアントにあきれられた。
 
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