2010年2月28日日曜日

悪意と独自性

明らかに他人のコピーであるメッセージを、さも自分のオリジナルであるかのごとくに発しながら近づいてくる人には、警戒心を抱かずにはいられない。

そんなことを考えていたら、「オリジナリティのある悪意は、オリジナリティのない善意に勝る」という仮説が頭に浮かんだ。

仮説1。

浮かんでしばらくは、仮説1が真であるケースが少なくないように思えた。

「オリジナリティのない善意」に対して、ある種の食傷感と不信感を覚えることが、現実にあるから。

ただ続けて、「オリジナリティのある悪意は存在しない」という仮説が頭に浮かんだ。

仮説2。

オリジナリティのある善意は存在する。

オリジナリティのない善意も存在する。

だがオリジナリティのある悪意は存在しない。

悪意の実現手段にオリジナリティは発揮され得るが、悪意そのものの中身は常に平凡である。

過去の経験は、そのように示唆している。

仮説2は、どうやら真であるように思える。

なので仮説1は、偽ではないにしても無意味であったようだ。

2010年2月27日土曜日

間違いの証明

自分が正しいと信じていたことが実際に正しかった場合よりも、自分が正しいと信じていたことが実際には間違っていた場合のほうが、よほど知的興奮を覚える。

それが高じると実践的にも、「自分が間違っていることの証明」を無意識にのうちに求め始める。

ここまでくるとすでに行き過ぎである。

2010年2月26日金曜日

出と西田

出隆の『哲学以前』を読み返している。

古典読破計画の一貫として西田幾多郎の『善の研究』を読んでいて、「立場」という言葉が日常語とは違う意味で使われている、と感じ、そういえば『哲学以前』で、哲学における「立場」について、かなりつっこんだ分析をしていたことを思い出したので。

読んでみると、あのわかりにくい「純粋経験」についても、出はわかりやすく解説してくれていた。

出のわかりやすく誠実な説き方に接すると、西田の難解な説き方が、ひどく不誠実ではったりじみたものに思えてくる。

2010年2月25日木曜日

さぼったさぼった

風邪をひいたり、家族の介護に追われたり、仕事の締め切りが重なったりで、ここのところ武術の稽古を、まぁさぼったさぼった。

今日稽古したら、今の段位でいるのが恥ずかしくなるぐらいの体の動き。

もうやめようかと思ったくらい。

やめないけど。

もっと細かい隙間時間を使うように工夫しないといけない。

2010年2月24日水曜日

認知show

重度の認知症で寝たきりの家族の介護をしている。

認知症の家族の言動にまともに対応していると、精神的にひどく疲弊する。

感情のスイッチを切る、ニコニコと適当に受け流す、等々、いろいろ工夫してみた。

中でも、本人が実はまともで、そういう一人コントをやっていると思い込んでみる、というのが、けっこう効果的だった。

かなり笑える。

少なくとも自分の精神が一方的に蝕まれていく感覚は、止まる。

2010年2月23日火曜日

お通じ

入院中の女性患者が、看護師や医師から「お通じはありますか?」と尋ねられて、正直に答えることがどれぐらいあるのだろう。

まして相部屋の患者にで、見ず知らずの男性が見舞いに来ていたりする状況で。

それともベテランの看護師や医師ともなると、「はい」という答えが嘘か本当かは声や様子から見抜けるから、正直に答えなくても問題ない、ということなのだろうか。

いずれにしても、赤の他人(佐々木のことだが)がいるところで女性に便通を申告させるのは、やめてあげたほうがいいと思う。

2010年2月22日月曜日

歴史感覚の奇妙な欠如

ウィリアム・ジェイムズの『純粋経験の哲学』を買って読んでみた。

今年の古典読破計画で西田幾多郎の『善の研究』を読み、その中で重要な概念になっている「純粋経験」というのがどうも理解できず、この概念の元ネタであるらしいジェイムズの論文にあたってみた次第。

ジェイムズの議論には、歴史感覚の奇妙な欠如がある。

あたかも人類が現在のような姿で永遠の過去から存在していたかのような、宇宙や地球の歴史に人類が存在しない時代はなかったかのような、そんな議論だ。

これは西田の議論も同じ。

これは当時の思想界において、世界的な傾向だったのだろうか。

2010年2月21日日曜日

「機動戦士ガンダム」にハマらなかった1970年前後生まれの日本人男性の会

小学校5年生ごろ、周囲は大変な「ガンダム」ブームだった。

近所の玩具店では、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が軒並み売れ切れ。

一時期は友人たちの会話の中で、ガンプラの在庫情報、入荷情報を聞かない日はなかった。

あのころ、まったくガンダムにハマらなかった、ガンプラを一度も買わなかった、という同年代の日本の男が、どれぐらいいただろう。

もし該当する人がいたら、当時大滝詠一のレコードに没頭中で、ガンダムにはほとんど見向きもしなかった同類の一人として、ブームに乗らなかったその事情や考えを、尋ねてみたい。

あれだけ巨大なブームの中で、何の理由もなくブームに乗らないということは、あり得ないだろうから。

2010年2月20日土曜日

「言いたいことを言ってスッキリする」という言葉の意味がわからない

「言いたいことを言ってスッキリする」という言葉を、目にしたり、耳にしたりすることがある。

この言葉の意味がわからない。

想定されているのは、次のような状況だろう。

1.書いて表現するのではなく、話して表現する
2.独り言を言うのではなく、誰か相手に向かって言う
3.相手が理解・同意するかは重視せず、一方的に自分の立場を表明する

わからない理由その一。

面と向かって相手に言ったことが、相手から理解も同意もされなくて、自分の気持ちがスッキリするなどということが、本当にあるのか。

わからない理由その二。

たとえ他人から理解も同意もされなくても表現したいほど自分にとって大切なことが、文字を使わず、音声だけで表現できるなどということが、本当にあるのか。

わからない理由その三。

ただ言語化したいという欲求のみに突き動かされて自分の思いを言語化できたときの気持ちを、スッキリ、などという擬態語で表現できるのか。

2010年2月19日金曜日

地図なし

行き当たりばったりの旅行にはまっていた時期があった。

まだ学生で、時間があったころのことだが。

朝、地図も持たずに寮を出る。

歩きたくなった方向に歩く。

バスに乗りたくなったらバスに乗る。

電車に乗りたくなったら電車に乗る。

降りたくなったら降りる。

また歩きたい方向に歩く。

毎回思わぬ発見の連続。

ところがあるとき、このやりかたで降り立った日本海沿岸のある漁村で、海に行く道だと思って歩き続けた道の行き止まりが殺風景な山の中のゴミ処分場、そのままもと来た道を引き返したらもう今日帰れる最後のバスが出るところ、という経験をして、さすがに地図も持たずに旅行をするのは考えもの、という結論に達し、以来、地図なし一人旅はやめてしまった。

で、今日。

偶然の必要に迫られて地図なしでさまよった夜の道で、思いがけぬ楽しさを味わい、行き当たりばったり旅行にはまっていた頃の感覚が、体の中によみがえってきた。

生活全般について、“地図”に頼り過ぎの自分が、相対化されて認識された。

2010年2月18日木曜日

かけがえのなさの希求

自分にとって大切なことが他人に理解されない、という不満には、原因と結果の取り違えがある。

自分が大切に感じることが、他人に理解されないのではない。

他人に理解されないことこそが、自分にとって大切に感じられるのである。

2010年2月17日水曜日

他人の食事の心配

独身で一人暮らし、と知られると、食事はどうしているのか、と聞かれることがままある。

特に女性から。

必ず、というわけではないが、聞かれていい気がしないことが多い質問だ。

なぜか。

他人の役に立つ自分でありたい、という欲望は、他人の中に自分だけが埋め合わせられる欠落を求める心と、紙一重なところがある。

自分の中に欠落を欲望されるのは、気持ちのよいことではない。

2010年2月16日火曜日

飲酒

ふだん佐々木は酒を飲まないようにしている。

これは酒が嫌いだからではなく、むしろ好き過ぎるからである。

自分が欲するままに飲んでいると、大事な体や脳を壊してしまうような気がするのだ。

で、たまに飲む機会があると、つい羽目を外して飲み過ぎてしまう。

一昨日の友人の結婚式でも、ちょっと飲み過ぎたような気がする。

大した粗相はしでかしていない、と思うのだが、披露宴での乾杯のスピーチが印象的だった初対面の方に、終盤のデザートバイキングで声を掛けて冷淡にあしらわれたのは、佐々木が酔って陽気になりすぎていたせいもあったかも、と帰りの夜行バスの中で反省した。

もしかして周りの人に酒臭い思いをさせてないだろうか、とか。

2010年2月15日月曜日

向上心

向上心三カ条。

1.他人に向上心を求めない。

2.自分は死ぬまで向上心を持ち続ける。

3.向上心を持つ他人を友人として大切にする。

2010年2月14日日曜日

結婚式

本日、学生時代からの友人の結婚式に出席。

結婚式は、もちろん新郎新婦を含むすべての関係者のために開催されるわけだが、新婦の父のため、というがもっとも大きいのではないか。

参列者一人一人の顔を見渡しながら、そんなことを思った。

2010年2月13日土曜日

尊敬

尊敬には「良い尊敬」と「悪い尊敬」があると思う。

努力して「する尊敬」は良い尊敬。

努力せずに「してしまっている尊敬」は悪い尊敬。

2010年2月12日金曜日

嫌悪と公私

嫌悪の感情は、人から人へと伝染する。

ある集団に対する嫌悪を、ことあるごとに口にする人物が、知り合いにいた。

佐々木も、その知り合いとの付き合いが重なるうちに、いつのまにか、その集団に対して嫌悪感を抱くようになってしまった。

それまでは、その集団に対する感情を、努めてニュートラルに保っていたのだが。

他者を嫌悪する感情それ自体、気持ちのよいものではない。

嫌な臭いでもうつされるように、嫌な感情をうつされてしまったことも、なんとなく気持ちが悪い。

以来、公の場で他者への嫌悪を口にすることに、より慎重になった。

もちろん、私的な場での発言は別だが。

自分が何を嫌悪するのか。

そのことを伝えておくことは、人間関係を表面的なものにしないために、欠かせないことだ。

ただその場合も、嫌悪の表明が単なる嫉妬の裏返しだったり、惨めな自分から目をそらすための代償行動だったりしないか、という反省は、あってしかるべきと思う。

2010年2月11日木曜日

かろうじて美しい日本の私

いつのまにか家の近所でも、梅の木が花を咲かせはじめている。

佐々木が経験して知る限り、現実の日本人は、現実の生活において、決して国土の美しさを大切にする国民ではない。

だがそれでもやはり、わざわざ観光地まで出かけなくても、日本の風景は美しいなぁ‥‥と思わずにはいられない場面は多い。

庭々や公園に咲く梅の花を目にするときも、その一つ。

自分が住む国の風景の美しさに心打たれると、自分もこの美しい国に住む人間にふさわしく、美しい人間にならなければと思う。

2010年2月10日水曜日

実体のゆる、認識のゆる

体のある部分が固まっている、というのは、体のその部分自体が固まっている、という面と、体のその部分を統括する認識が固まっている、という面と、二つの面がある。

この二つの面を独立して認識できるようになると、その部分の拘束の緩解が、加速される。

認識の拘束の緩解と、実体の拘束の緩解とを、独立的かつ相互浸透的に進行させることができるようになるから。

2010年2月9日火曜日

文章を書くときなくてはならぬ辞典

佐々木は電子辞書版の『日本語大シソーラス-類語検索大辞典』を、10年近く愛用している。

文章を書いていて、「あー、あれ、あれって、日本語でどう言えばいいんだ?」と行き詰まったときは、関係ありそうな言葉をこの電子辞書で全文検索すれば、95%以上の確率で、ぴったりの表現が見つかる。

お金をもらって文章を書くとき、この辞典をひかないことは、まずない。

ネットには、無料で利用できる類語辞典も、いくつか公開されている。

だがこれらの無料類語辞典で検索しても、文字通り単語レベルの「類語」が、せいぜい数エントリヒットするだけだ。

この『日本語大シソーラス-類語検索大辞典』の全文検索を使えば、言い回しレベルでの類似表現も含めて、軽く数十のエントリがヒットする。

優れた辞典は、たいてい編集者による「まえがき」に気合いが入っているが、この類語辞典の「序」と「跋語」から伝わる編集者の気魂も、相当なものだ。

ぜひここに全文を引用しておきたい。

《序

 本書は言葉捜しと類語検索に徹した辞書である。分かり易い例で言うと、歳時記を季語のみにとどめず日本語全体に拡げたものと考えて貰って差し支えない。ただ歳時記と異なるのは語釈がないのと、季寄せに当たる文例が引いてない、この二つであろう。これは本書が他の類語辞書と大きく異なる特徴でもある。言葉が並んでいれば、誰でもその語釈が欲しいし、文例も欲しい。自然の成り行きであろう。それを本書はやっていない。一つには、それをやったら本の厚さがこの数倍あっても足りるかどうか分からないからである。繰り返し分類される語が多く、本書も多いもので三十近くの繰り返しがある、そのつど語釈や文例をつけていたら収拾がつかなくなってしまう。しかしそれ丈ではない。本書の性格から云ってその必要はなく却って迷惑になるのである。そもそも言葉があってその意味を調べるのと、意味が先にあってそれに相応【ふさわ】しい言葉を見つけるのとでは、丸で異なった二つのプロセスで、辿る方向が全く逆になる。各々別の働きをしているのであって、独立した両者が相俟って初めて用が足りるのである。二つの相容れないファンクションを一つで間に合わせようと考えるのが、そもそも無理な注文なのである。
 巻末に述べる如く、語釈辞書、シソーラス、活用・文例・故事成句、この三つをシステム化して、その間を自由に行き来できるようにするのが最も望ましい辞書の在り方ではないだろうか。
 この手の辞書の先蹤【せんしょう】としては第一にロジェズ・シソーラスを挙げねばならない。本書は、ロジェを目指して一しょう懸命直【ひた】押しに追い駈け、日本語となんとも折り合いがつかずに息切れして挫折する。また追い駈ける、また息が切れる。それを繰り返し繰り返しどうにか今の体裁に落ち着いた、そのように言い切ってもよいかと思う。
 本書の今一つの大きな特徴として、品詞にこだわらなかったことが挙げられる。品詞別よりも意味の近さを優先したのである。これはロジェとも異なるところで、日本語だから可能であったと云えることなのかも知れない。その結果として小語群にもタイトルが付き、遥かに見易くなったと思われる。大語群の中にニュアンスの違いによるグラデーションとして小語群を並べることが可能になったのである。怪我の功名と云ってよい。そもそも名詞で活用する語には「スル」と小さく註するつもりで始めたのだが、判断がむつかしく、早々に止めてしまった。中国語の、それもいつの時代のものか分からない、その原義も知らず不用意にやると、「科学する」の手合いが増えてしまう、それを恐れたのである。自動詞他動詞もあまり区別しなかった。日本語の融通無碍【ゆうずうむげ】の性格からこれもやはり必要ないと判断したのである。
 本書をまとめるにあたり、ことに索引の段階で、最も困難を極めた元兇は表記の乱れであった。これが大きな桎梏【しっこく】となり、至る所で作業の足を引っ張った。現行コンピューターの文字列一致の検索では歯が立たず、最後は手作業になった。これは索引の不備となりいまだに尾を引いている。
 水谷静夫氏が次のように述べておられる。
 機械側の都合から日本語や人間を痛めつけるのはもういい加減にして貰いたい。(朝倉日本語新講座第1巻「序」)
 いずれ日本語に適した検索技術が出来ることは疑を容【い】れない。それも現行の乱れにとどまらず、正字や歴史的仮名遣をも視野に入れ、歴史文化の蓄積にまで遡った検索が可能となる日が来ることを確信して已【や】まない。そうしてはじめて歴史が途切れることなく承け継がれ伝え継がれて行くのではないだろうか。
 シソーラスの説明を求められて、戸惑うことが多い。ロジェを使っている人は勿論すぐ分かる。国語系の人が逆に分からない。言葉は多義であるから、繰り返し分類される。分類体系の中でその語がどの意味で分類されているかの手掛かりが索引に無ければ、行き先が分からず、本文で迷子になってしまう。これがなかなか理解されない。優秀な辞典編集者に「そこまでやらなくとも」と怪訝な顔をされたことがある。「類語辞典になぜ人名やこんなに沢山のオノマトペが這入るのですか」と言われて、憮然としたこともある。人名は人物典型を表現する際の最初の手掛かりになるものであるし、オノマトペの多用は日本語の大きな特徴ではないか。
 ロジェズ・シソーラスは家庭に一冊と言われるくらい英米で一般に行われている辞書である。本書も多くの方の理解を得て、「アイデアの表現を容易にし、文学著作の一助となる」よう(ロジェの原題の一部)、詩歌【しいか】に俳諧に著述の筆に、広く便利に使って頂けたなら幸いである。

山口翼【たすく】 識



跋語

 私が日本語シソーラスの編纂を思い立ったのは1970年頃のことであった。そのころ私はパリにいて小説を書いていた。初めてのことで、筆が思うように進まず、もがき苦しんでいた。しまいに諦めて、書き殴るようにして一冊仕上げた。我ながらお話にならない代物【しろもの】だった。
 苦い体験であった。ものを書くとはどういうことか。重い問いがあとに残された。暫くは本が手につかず絵ばかり見ていたような気がする。そうして、と思いかく思いしているうちに、「これは」と坐り直した。「書けないのではない、書いて初めて分かるのだ。書けないということは対象も方法もまだ分かっていないのだ。」鈍間【のろま】の三寸ではないが、開きかけた扉の前に佇んでそんなことを呟いた。そして、改めて痛感したのが、己の日本語の貧しさであった。書き方のイロハを知らない。使える語彙も数が知れている。すべて無い無い尽くしであった。そんな時、思い出したのが、アメリカ留学時代に使って大変便利したロジェズ・シソーラスである。
 私は考えた。良い文章を書くにはまず語彙が豊かでなければならない。対象を正確に捉える言葉とその正しい遣い方を学ばねばならない。そうした足慣らしを終えてから、勉強し直そう。それにはまず日本語シソーラスを作るに及【し】くはない。ついで古今の名文家の全集を読んで語法を学び、格調の高い文例を採集する。この二つを緯【い】とし経【けい】として臨んだなら準備もまず調【ととの】うだろう。私はそのように考え、タイム・スケジュールなるものを組んだ。日本語シソーラス、全集からの文例採集、書きたいテーマを二つ三つ、これを四年ほどでこなすつもりのプランだった。文献も張り切って揃えた。大言海(冨山房)、大辭典(平凡社)、大日本國語辭典(冨山房)、鴎外全集、志賀直哉全集、井伏鱒二全集、阿川弘之自選作品、吉行淳之介全集……。今考えてみればとんでもないスケジュールで、狸の皮算用もいいところであった。最初の二つの作業だけで七八年があっという間に過ぎてしまい、それさえ満足には出来ていなかった。小説は一冊なんとか書いた。
 さてシソーラスである。その頃、日本でなされたシソーラスの唯一の試みは林大氏の『分類語彙表』(国立国語研究所、1964)であった。ただこれは語数が32,600語で、分類の繰り返しも極めて少ない。英語版のロジェ(五版)では分類語数325,000語、繰り返しは多いもので30回以上分類されている。
 私はそこで林氏の『分類語彙表』を15万語位に膨らましてやろうと考えた。英語版も参考にしながら、まず暫定的な分類体系を作り、辞書からリストアップした十数万語を一つづつ分類して行ったのである。がすぐに幾つかの壁にぶつかった。一番の壁は脳の連想能力である。言葉は多義であるからそれぞれの違った意味で違った所へ分類されなければならない。しかし一つの言葉の異なった意味のそれぞれを一度に思い浮かべることは不可能に近い。人間の脳はそのようには出来ていない。更に譬喩的表現や自由連想がある。結局これは辞書を頭から読んで行き、多義の説明を読みながら、この意味でならこの分類、こちらの意味でならこちらの分類、そうすることがひとりであれこれ考え回すより速いことに気がついた。
 次の壁は分類先の語群の集合であった。言葉によってはあらかじめ用意した集合に納まり切らないものが出てくる。その方が多いかも知れない。といってそのつど分類体系を組み替えることも出来ない。色々と悪戦苦闘した挙句、極めて初歩的な手法に行きついた。それは言ってみれば、大きな黒板に暫定的な体系の集合を用意する。辞書を読んで行ってその集合に納まり切らない時は、その近くに暫く置いておく。すると統計の分布のように、用意した集合とその周辺に濃淡のついた言葉の分布が出来てくる。始め二三の点であったものが意外に大きな分布になり、独立した面白い語群が出来上がったりする。そうしたことが何度もあった。まず広辞苑一版(1955)をこの様な方法で読み且つ分類して行ったのだが、始めの頃は1時間に1~2ページが精一杯であった。慣れるにしたがい最後は10ページ位のペースになったかと思う。
 当時の日記を読み返してみると、実際の作業は上に書いたように整然と進んだものではなかったようだ。
 だんだん思い出してくる。
 最初に作ったのは索引で、分類したい十数万語を取り揃えた辞書から拾おうとした。読んで、これはと思う語を手で書き写して行くのだが、思ったよりも手間がかかる。時間を計ってみたら十数万語を手写するのに二三ヶ月では終わらない計算になる。慌てて基礎語に近いものに絞り、残りは分類の時に判断することとした。それでも7~8万語は拾ったろうか。最初に手ををつけた菊版の広辞苑を、一ヶ月あまりぶっ通しに読み続けて、いっぺんに目を悪くした。慌てて眼鏡を買った。私のうちに近眼はいない。
 因みに辞書を頭から終りまで読むというのは面白い経験であった。序があり跋があり、その間に編著者の努力と素顔が見えてきたりする。辞書も本のうちだ、なぞと妙な感心をしたりした。それからも何度か同じ経験をした。今回も何冊か読んだ。目はどんどん悪くなった。
 製本した索引が出来上がっていよいよ分類にかかった。このあたりの記憶は曖昧だが、林氏の『分類語彙表』から切り取った体系表を片手に、メモ用紙に言葉を書き込んで行く。そのメモ用紙をあっちに並べこっちに並べ、また体系表の数字をいじる。そんなことばかり繰り返していたように思う。
 今思えば、林氏の分類とロジェの分類の間で七転八倒していたのだと思う。これには日本語と英語という構造的な違いも絡んでいたかも知れない。また下に述べる世界観に係わる問題であったかも知れない。
 ロジェ三版の分類の最初は「存在(EXISTENCE)」から始まる。ところがこの存在の大語群をくわしく調べてみると、「存在・存在する」だけでなく、「事実・現実・実質・リアル・リアリティー」も含まれている。しかし日本語の場合、「事実・現実・リアル」と「存在する」を同じ語群とするのには違和感を覚える。なんとも納まりが悪い。「架空・仮初」となるといくらか「存在しない」に近いが、「事実・現実」を「存在」として捉える発想は日本語には馴染まない。「事実・現実・リアル」はやはり「真実・実体・本物」といった語群に分類するのが日本語としては自然であろう。
 結局どちらからも離れ、暫定的な体系で始めるしかないと気付いた時には、私は草臥れ果てていた。
 疲労と個人的な心労からパニック・アタック(当時そういう病名は無かった)に見舞われ、病院に担ぎ込まれたりした。見兼ねたフランスの友人に転地保養をすすめられ、友人の見つけてくれたブルターニュの寒村に引き移り、気分を改めてやり直すことにした。
 そこは小さな岬の先っぽで、ゴワイヤンの河口を抱いた湾が目の下にひろがる、鄙びた漁師村だった。七面鳥の素っ頓狂な鳴声を初めて聞いた。家の直ぐ前が船着場で、島を巡る小さな定期船が日に数回寄港する。船長は木靴を履いていた。半農半漁だから漁船も出入りする。遠く大西洋に沈む壮大な夕日が、この上ない贅沢に感じられた。
 私は落ち着いた。
 パリでおかした過ちを繰り返すことは止めた。ここでは、辞書をまた頭から読んで行き、それぞれの語釈に従い別な語群の分布に配ることにした。
 するとその語釈や文例から自然に連想が働いて、別の言い替えの語が出てくる。そうやって語数が増えるにつれ分布もはっきりしてくる。体系も落ち着いてくる。仕事はようやく軌道に乗った。
 机の前に体系表が貼ってある。ノートは百科辞典二冊ほどを束ねた底【てい】のものが二部。語釈を読み、体系表を一瞥し、机の横に並べたノートを手に取りさっと開ける。と、目指す語群分布が目の前に並ぶ。これが秒単位で出来るほどの手際になっていった。
 こうして準備段階から数えて三年ほど要したろうか。忘れもしない、広辞苑一版の最後のページ、2298ページ目を繰り終わった時、私は暫く茫然としてしまった。何も考えられなかった。
 「日本語とはいかに美しい言葉か!」やがて体の底から熱い感慨が湧き上がってきた。
 「人は、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。それ以外の何ものでもない。」E. M. シオランの言葉だが、母国語に少しでも思いを致したことのある人なら誰しも共通に抱く感慨であるかも知れない。
 「日本語とはいかに乱れた言葉か!」作業しながら何度も何度も前に遡って確かめなくてはならなかった腹立たしさがまだ燻っていた。
 当時、文部省の表記・仮名遣はそれほど統一されたものとして行われておらず、広辞苑一版も「遠い」は「とうい」と訓ませていた。表記も辞書により区区で、まるで異なった漢字を当てることで、お互い、競い合っているのではないかとさえ思われた。
 そもそも訓とは飜訳であろう。「躊躇」を「ためらう」、「彷徨」を「さまよう」、と訓ずる。いわば飜訳の和音を輸入した漢字にくっつけるという、日本の異文化受容の見本のような離れ業をやれば、表記といい送り仮名といい、あちこち辻褄が合わないところが出てくるのは無理もない。この日本語の乱れは今に続いている。何巻何頁の「頁【けつ】」を「ページ」と訓【よ】んでなんの痛痒を感じない。ワープロ変換で当たり前のように出て来る。鴎外の「假名遣意見」から何らの進歩も見られない。
 今一つ最後に、作業が進むにつれて全身に覆い被さってきた思い、それは世界観というあまりに重い一言【こと】であった。「これは一つの世界観だ。分類するとは一つの世界観の表明だ。」
 日記をそのままに記せば、「妙な発見。ただの分類作業と思っていたが、どうしてどうして。言葉の背景となっている文化への確固たる判断を要求される。例えば、無常・はかない・邯鄲の夢、年改まる・輪廻転生の時間把握……私の手には負いかねる。」
 これは、上の「事実・現実・リアル」と「存在する」で述べたことにもつながる問題で、短日月に解決できる事柄とは思われない。山口明穂氏が大略つぎのことを述べておられる。
 日本語が過去・未来を助動詞で捉えるということは、現実を話手の観念の中で処理していると考えられる。過去を、今より前にあった客観的事実として捉えるのではなく、話手の考えの中にある事とするのである。これに対して、西欧語が過去を動詞で捉えたのは、起きた事実は事実として、話手の観念に影響されてはならないと考えたからなのか。そうだとすれば、日本語は過去の事実に対して厳格ではないことになる。(『日本の言語文化 II』)
 私は釈然とした。言語に内在する論理と構造とはまさにこのことで、分類体系はこうした蓄積の上に築き上げられるべきものであろう。
 今思えば、私は直ぐその時、二度目の分類作業に入ればよかったのかも知れない。十数万語の言葉がそっくり頭に入っていたのだから。いや、もっと大胆に言わせて貰えるなら、手垢で真っ黒になった私のノート、黒板の上の落書のようにあちらこちらに分布した言葉のクラスターのうしろに、それを貫く何本かの軸が幽かに見えていたからである。これをきちんと把握して体系化を見直す。それが本当であっただろう。ただ私は急いでいた。その時間がなかった。スケジュールは遅れに遅れていた。
 今回、辞書の形で編纂するにあたり、改めて分類体系を見直しながら、つくづくとこの時の感慨を思い起こしたことであった。
 以上、この辞書の成り立ちとその性格を縷々述べた。そして私はこの辞書を「使いながら作る」という形で二十数年やってきた。それは結局、ロジェズ・シソーラス三版の冒頭の言葉に辿り着く。
 「普通の辞書では言葉から始まりその正しい意味を見つけ出す。ロジェズ・シソーラスはまず意味から始まりその意味を最もふさわしい形で表現する語句を見つけ出す。」
 これがシソーラスの定義と言ってよく、私の日本語シソーラスもそれを唯一の指針に作ってきたつもりである。
 出版の作業に入って六年が過ぎた。その間、多くのアシスタントがこの仕事場に参加した。或る先輩の言葉を藉【か】りれば、「これだけ優秀な研究室は、キミ、そうないヨ。」それ程の人材が集まった。それらの諸氏に改めて感謝する。ことに初心を見失いがちな私を助け、ときに励まし叱咤して、最後まで努めて止まなかった木田香氏に満腔の謝意を表する。
 畏友田村毅氏の本書を出すにあたっての教示と心遣いは有難かった。パリでばったり顔を合わせたのが、私の幸運彼の不運。実に心強かった。
 山﨑淳氏の、時には陰から時には矢面に立っての、親身の力添えがなかったなら、私はとっくに投げ出していたことであろう。栗田明子氏(日本著作権輸出センター)の知己を得たのも氏のお蔭である。「傾蓋【けいがい】故【ふる】きが如き念【おもい】」とはこうした出会いに謂【い】う言葉なのだろう。
 遠くフランスから、温かく見守ってくれた年来の友ゲッジ氏に向かい、ここに鳴謝する。畑違いの私をITのワークショップに参加させ、シソーラスとITについて真剣に議論する機会を与えてくれた。これは理論面で思わぬ効果を齎した。その一部を巻末に付した。有難いことであった。
 聖書については西千葉教会の木下宣世師を煩わした。「やってみると意外に時間がかかり、一応全部のページをひっくり返してみました。」氏はなんと旧約新約のすべてに改めて目を通してくれたのだ。小学校からの幼馴染とはいえ、なかなか出来ないことで甚【いた】く恐縮した。宣世さんはドイツの神学校を出ているので、私は話がし易い。キリスト教の「愛」について語り合ったことを、今もなつかしく思い出す。
 萩原法子氏には日本人の太陽信仰について貴重な教示に与った。お蔭で時間把握の分類がすっきりしたように思う。
 論理面、作業用のプログラムを組む上で、水谷静夫氏の御助力を仰いだ。林大氏の『分類語彙表』はロジェと共に座右を離れることがなかった。御二人の学恩に深い感謝を捧げる。
 大修館書店の編集担当、藤田一郎氏には、恩怨こもごもの思いが残るが、氏の強引とも言える決断と脱兎の働きがなければ、この辞書は出版に至らなかったろう。いささかの憾みを抱きつつその掉尾の勇に深謝する。
 不備は掃いても尽きぬ落葉ほどあるであろう。大方の御叱正と寛大なる裨補をここに乞う次第である。
 ロジェの初版は1852年である。150年(ピーター・ロジェの50年を加えるなら200年)の蓄積の上に今のロジェ五版がある。日本でもあと50年もしたならば、本格的なシソーラスが根付くことになるのだろうか。そのことを祈りつつここに筆を擱く。

2003年5月
山口 翼【たすく】  稿畢

尚尚小著を吾が両親に捧げることをお聴【ゆる】し頂きたい。フランスの家に来ては、手書きのカードをなくしたら大変と、日がなコピー機の前で過ごし、疲れると暖爐でうとうとしていた姿が、今に忘れられないのである。》

2010年2月8日月曜日

月日の流れと公開日記

この公開日記を書き続けて、自分の中で変わったことの一つ。

月日が経つのが、やたらと遅くなった。

今年の1月が終わったとき、「今年もやっと1か月が過ぎたか!」と思った。

日記を書いていなかった頃なら、「今年ももう1か月が過ぎてしまったか!」と思っていたはず。

考えられる原因は二つ。

一つめの原因。

毎日、実名で文章を書いて公開し続けるのは、けっこうしんどい。

体験したことや考えたことでも、書けないことは多いし。

あまり馬鹿みたいな文章は公開したくないし。

なんとか今日もアップできた、今日もアップできた、の繰り返し。

だから、なかなか一日一日が過ぎていかない。

もう一つの原因。

日常のすべてを、「日記のネタ」として観察・考察するようになるので、体験が濃密になる。

ただ時間が流れていく、ということがなくなる。

この日記を書くのをやめたら、月日が流れる速さが、今の3倍ぐらいにアップする気がする。

2010年2月7日日曜日

ゆるのレバレッジ

今朝はいつもより時間をかけて、手首〜手根骨〜中指骨のゆるを行なった。

手首〜中指骨の拘束が解きほぐれることで、自分でも意外なほど、気持ちが解きほぐれるのを感じた。

硬縮した手首〜手掌と、ゆるんだ手首〜手掌を、物理的サイズで比較してみれば、数パーセントの違いしかないだろう。

だが自分の主観では、これらの手首〜手掌の状態に対応した感情には、100倍以上のスケールの差があった。

これも一種のレバレッジだと思う。

2010年2月6日土曜日

介護と腰痛

家族の介護で腰をいためる原因の一部には、自分が理不尽な苦労を強いられていることの証明を欲しがる気持ち、というのもあるのではないか。

自分自身が家族の介護で腰をいためかけながら、そんなことを思った。

2010年2月5日金曜日

余命

人生において時間とは選択機会の量である。

という気がしてきた。

2010年2月4日木曜日

怒りの説明

なぜ自分が怒っているのか、説明しても伝わらないようなことは、説明しても伝わらないこと自体が、怒りを増幅させる。

なぜ自分が怒っているのか、説明の必要がないようなことは、説明の必要がないこと自体が、怒りを減衰させる。

2010年2月3日水曜日

革鞭と計画

一瞬わずかに手元を動かすだけで、先端までエネルギーが伝わり鋭い衝撃をもたらし、しかもその軌道は、ぶつかる対象の形状・動きに応じて融通無碍。

そんな長い革鞭を扱うように、一日の行動のすべてを朝の計画で決せられたら……。

さらには、翌週の行動のすべてを週末の計画で決せられたら、翌月の行動のすべてを月末の計画で決せられたら、翌年の行動のすべてを年末の計画で決せられたら……。

計画的行動の、ひとつの理想形。

2010年2月2日火曜日

「一人一人が」という無責任

内田義彦の『社会認識の歩み』について、昨日次のように書いた。
《著者は、社会や学問を論ずるにあたって、自分自身のあり方というものを、あまりにも無自覚に棚にあげている。》
その例を、もう一つ。

社会科学が人々を都合よく管理する手段になってしまうことに対して、一人一人が警戒しなければならない、そのためにも一人一人が社会科学的な認識を習得しなければならない、ということを、著者はしきりに言う。

社会を都合よく管理しようとする勢力に対抗するために、一人一人が社会科学的な認識を習得しなければならない、という考え方自体が、そもそも社会を都合よく管理する目的で流布されたのではないか、という問題意識が、著者には、ただのひとかけらもない。

社会全体に関わる問題について、その社会を構成する全員が、正確な判断をできるようにならなければならない、という考え方の裏には、多数決の価値に対する過大評価と、専門家やリーダーの役割に対する過小評価がある。

社会科学の専門家であるはずの著者が、自ら社会を科学的に説いてみせられない根本的な原因の一つに、この専門家が果たすべき役割に対する過小評価があると思う。

2010年2月1日月曜日

腹が立った本

古典読書会の課題で、内田義彦の『社会認識の歩み』を読んだ。

本を読んで著者に怒りを覚えることなどめったにない佐々木だが、この本の著者には、腹の底から怒りがこみ上げてきた。

以下にその理由を書く。

理由その一:この本全体があまりにも羊頭狗肉

著者は、第一章で次のように宣言する。
《どうすれば社会科学的認識がわれわれ一人一人のなかで育ってゆくか、その方法を考えたいというのが私の話の趣旨であります。》
この宣言の意味を明確にするために、筆者はわざわざ次のような対照までしてみせる。
《「社会科学の歴史」といいますと、「社会科学というもの」が、社会科学を勉強してゆく一人一人の人間の眼とは無関係にあって、その「社会科学の歴史」はこうであり、その現在の結論はこうだということをかいつまんで話すように聞こえます。また「社会科学の方法」というと、これまたわれわれ一人一人が、どうやって少々素人くさくても自分の中に社会科学的認識の芽を育てていったらいいかということと切れたところで、「社会科学とうもの」で使われてきた、あるいは使われている「方法」について話すように聞こえます。だが、それは私の意図ではありません。》
ところが著者がこの本でやっていることこそ、まさに「社会科学というもの」の存在を
ほぼ無批判に前提にして、その「社会科学の歴史」と「社会科学の方法」についてウンチクを垂れること、そのものなのだ。

結局筆者は、「社会科学の本をどう読むか」ということしか論じていない。

これが自然科学の分野なら、「自然科学の本をどう読むか」ということだけ論じて、「自然科学的な認識をどう育てるか」というテーマを論じたことにするなど、ありえないのではないだろうか。

「本をどう読むか」などということより、ずっと重要なことが、いくらでもあるからだ。

たとえば、我々を取り囲む自然の全体像だとか、この宇宙や地球や生命が発展してきた歴史だとか。あるいは観察や仮説構築や実験や分析といった研究方法だとか、科学的な認識とそうではない認識の区別と連関と相互移行だとか。

社会科学においてこれらに相当する問題を、真正面から論じる意欲も実力も欠如させながら、上で引用したような宣言をしてみせるその厚顔無恥さ加減。

これが、佐々木が腹を立てた第一の理由。

理由その二:著者が自分自身のあり方にあまりにも無自覚

著者は、社会や学問を論ずるにあたって、自分自身のあり方というものを、あまりにも無自覚に棚にあげている。

たとえば著者は、マキャヴェリを取り上げたところで、個人が人生において「賭けをする」ことを強制されるようになることこそが、社会科学的認識が芽生える契機である、という意味のことを論じている。

この本で著者は、社会科学的認識の発達という概念を、人類の発展史的な意味と、個人の成長史的な意味の、両方に重ねる形で用いている。

であるなら、著者自身が自己の生存条件を確保するためにどのような「賭け」をしたのか、ということの深い掘り下げなしに、著者自身の社会科学的認識の深まりもありえないはずだ。

著者が日本で大学の教員を生業とする道を選んだ、ということは、社会に対して学問的な研究と教育という価値を提供しつつ、その対価の請求と徴収の大半を国家に代行させる道に「賭けた」、ということを意味する。

「賭け」を強制される環境と社会科学的認識の萌芽の関係を論じるにあたり、著者が、この自分自身が行った「賭け」に対する科学的な分析を踏まえていたならば、著者の言葉も、もっと読み手の胸に迫るものになっていたはずだ。

著者には、こうした自分自身のあり方を科学的に分析する態度というものが、徹底的に欠落しているように思えてならない。

だから著者の言葉は、そのほとんどが、単なる観念の遊びにしか感じられない。

これが、佐々木が腹を立てた第二の理由。

理由その三:論述があまりにも雑

この本は、著者が「岩波市民講座」で行った講義に、著者自身が手を入れて完成させた本のようだ。

表現の正確さや論理展開の厳密さやにこだわらず、話し言葉の雰囲気をできるだけ残すことにも、メリットはあるだろう。

たとえば、読者にとってより親しみやすい本になるだとか。

しかしこの本の構成や表現の崩れ方は、ちょっと度を越している。

揚げ足取りのようなことはあまりしたくないのだが、たとえば次のような文法違反が、ボロボロ出てくる。
《以上、スミスとルソーを「ヨーロッパ史の反省」という点で結びつけてきましたが、そういうことを私が考えるようになった理由を少しばかりお話しして、ご参考にしたいと思います。》
「ご参考にしたい」? 誰が?

構成的にも、「第二に」とあるので「第一はなんだっけ」と読み返しても、さっぱりわからない、といったようなところが、次々に出てくる。

読者をなめているとしか思えない。

これが、佐々木が腹を立てた第三の理由。

あまりにも腹が立ったので、この本、タイトルを『社会認識の歩み』ではなく、『社会認識の躓き』に変えるべきではないか、とさえ思った。

これだけ腹が立つ本に出会えたことは、皮肉でもなんでもなく、本当にありがたいことだと思う。

そもそも人の強い怒りの背景には、必ず悲しみがあるのだとか。

自分は、なぜこの本にこんなに腹が立つのか。

そのことを分析することで、自分自身がふだん意識せずに抱えていた悲しみに、向き合うことができた。

これは大きな収穫。
 
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