2010年12月31日金曜日

来年

来年で佐々木も40歳。

男が50歳かそこらで死ぬというのは、別に珍しいことでもない。

だからこれが人生最後の10年になる覚悟で、40代の一日一日を生きたい。

来年はその1年目。

漠然としたコンセプトだが、
  • とにかくでかい波が来たら乗る
  • 「センター**」を実現する
  • 日本の外に目を向ける
  • 政治に目を向ける
一応、数値目標も。
  • アイン・ランド読者会のイベントをどこかで1回やる(できれば東京以外で)
  • アイン・ランド読者会の記録PDFを1本作って発売する
  • 武術で一つ上の段位を取る
  • 2月に映画館で映画を10本観る
  • 「この人とよい協力関係を築けた」と思える人を1人増やす(できれば**のある人と)
あと、twitterは今日でいったんやめる(来年はペンネームでやるかも)。

2010年12月30日木曜日

古典読破計画2011

古典読破計画、3年目。

2011年は以下に決めた。

1月 ニッコロ・マキアヴェリ『君主論』
2月 梅棹忠夫『文明の生態史観』
3月 イマヌエル・カント『道徳形而上学原論』
4月 サヂ・カルノー『熱の動力についての考察』
5月 ウィリアム・シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
6月 レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』
7月 吉田松陰『留魂録』
8月 フローレンス・ナイチンゲール『看護覚え書き』
9月 ジョージ・オーウェル『動物農場』
10月 フランツ・カフカ『城』
11月 エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
12月 川端康成『雪国』

去年も今年も、毎月の古典読書のおかげで、自分の視野がとてつもなく広がり深まり高まった。

来年も楽しみ。

2010年12月29日水曜日

なまじっかの善意

他人の悪意に怒りを覚えることはめったにない。

佐々木が他人に怒りを覚えたケースを分析してみると、そのほとんどが、他人の善意に対する怒りだった。

たとえば、以前ちょっとしたケガで医療費が掛かり、加入していた共済に給付金を請求したところ、給付金の支払いを断られたことがあった。

その理由は佐々木にはまったく納得のいかないものだったので、いつもはやたらとあきらめのよい佐々木も、電話でかなり粘った。

だが最終的には、給付金の請求を断念した。

それはまぁいい。

その電話を切るとき、最後に先方の担当者が言った「おだいじに」という一言。

これに佐々木は怒った。

ここ10年で佐々木を怒らせた言葉を怒りの激しさ順に並べたら、間違いなくトップ10に入る。

この一言への怒りで、佐々木はこの共済を解約した。

相手は間違いなく善意で言った言葉なのに。

佐々木自身のことで考えても、人間関係をこじらせてしまったとき、後で反省してみると、けっこう自分が善意や誠意から言った一言が原因になっていることが多い。

善意の発動には、よほど気をつけなければいけないと思う。

2010年12月28日火曜日

おじさん、『あしながおじさん』を読んだ

古典読書会。

先月の課題本はジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』。

40歳近くなって、はじめて読んだ。

坪井郁美さんの訳(福音館文庫版)で。

坪井さんの訳はすごい。

この訳もまた、日本人の認識発達史に残る偉業かも。

子供時代にこの『あしながおじさん』を読めた人は幸せだ。

まだ精神が柔らかいうちに、このような溌剌たる精神のあり方に触れることができれば、きっとその後の人生も、おおむね溌剌たる精神で過ごせるはず。

佐々木は冒頭から少し読み始めただけで、ちょっと泣きそうになった。

主人公の認識のあり方があまりに健気で。

「あしながおじさん」なる登場人物のほうは冷静に考えるとけっこうとんでもない男のような気もするが、健全な精神はとんでもない精神との交流すら健全なる成長の糧にしてしまうものらしい、などと考えるのは佐々木自身の甲斐性のなさからくるやっかみのようなものか。

2010年12月27日月曜日

プロとアマチュア

メジャーな競技スポーツの世界ではプロがアマチュアを圧倒することが多いから、「プロとアマチュア」というと「プロが上、アマチュアが下」という上下関係が常に成立するかのように錯覚しがちである。

だが本来両者には「それで生計を立てているか否か」という違いしかなく、必ずしも「プロが上、アマチュアが下」という上下関係が成立するわけでもない。

人間には、「何かに感動したい」という欲求がある。

欲求が存在するということは、それを満たすことが職業になる可能性があるということである。

実際、人を感動させることは、職業の一ジャンルになっている。

人を感動させるのも、南郷継正先生が言うところの〈技〉である。

つまり、〈創出過程〉と〈使用過程〉の統一において把握されるべきプロセスである。

職業として(=「食っていく」ために)人を感動させるということは、ごく大ざっぱに言えば、人を感動させる〈技〉の〈創出〉よりも〈使用〉に重きを置くということである。

職業として人を感動させる上で、〈技〉の完成化や高度化がそれ自体として目的となることは、原則的には、ない。

そうしたことを目的として掲げるのは、基本的には、プロではなくアマチュアである。

だから、アマチュアのほうがプロよりも高度な〈技〉を完成させることは、十分にあり得る。

高度な〈技〉ほど〈創出〉も〈使用〉も困難だから、そのような〈技〉で人を感動させることは容易ではない。

つまり人を感動させる〈技〉の完成化や高度化を目的として掲げる者は、人々を容易に感動させらない。

基本的に人々が「感動する」のは、〈使用〉が完成化した〈技〉に対してである。

ただ中には完成度の低い低級な〈技〉で「感動させられる」ことに嫌悪を覚える人々もいる。

そのような人々は「玄人」と呼ばれ、そうした人々を喜ばせる〈技〉は「玄人好み」と呼ばれる。

2010年12月26日日曜日

運動科学総合研究所の冬期講座に参加

運動科学総合研究所の冬期講座「2010年版New背骨の硬縮解消法決定版!!初級」および「ゆる筋トレ1 ベースofベース」(いずれも高岡英夫先生)に参加。

トレーニングとその効果に関する、自分の期待あるいは考え方を、かなり根本的に改めさせられ、かつ、改める必要性を思い知らされた。

なので今日から改める。

改めたうえで、トレーニングメニューの組み方自体を見直す。

2010年12月25日土曜日

『戦争と平和』を読み終えた

トルストイの『戦争と平和』、やっと読み終えた。

出だしこそ小説だったが、この作品、純粋な小説ではなかった。

小説の形式を取り入れた社会科学、もしくは神学とも言えるかも。

描かれているのは、1805年から1820年にかけてのロシア。

トルストイ自身は、1828年生まれ、1910年歿。

自分が生まれる約25年前から10年前にかけて、祖国ロシアに起きたこと。

主に、ナポレオンによる侵攻と退却。

この歴史的事件をめぐる諸国民・諸個人の運動全体を、できるだけ神に近い視点(神の視点そのものではなく)から描くことで、人間の歴史の動因を明らかにしようとしたのが、この作品だと思った。

大作ではあっても、傑作ではない、と感じる。

それでも長くこの作品が読み継がれてきたのは、そうした歴史のとらえ方が社会のエリート層にとって必要不可欠なもので、この作品が、その必要性になんとか応えるものだったからだろう。

冒頭から順番に読むより、最後の「エピローグ」におけるトルストイの主張をまず読んで、それから、その主張の証明としてストーリーを読む、という読み方をした方がよい作品だと思う。

2010年12月24日金曜日

アマチュアであるということ

同じ文章を書くのでも、こうして勝手にブログを書くときと、仕事としてお金をもらって書くときとでは、頭の使い方が、まったくと言っていいほど違う。

自分が表現したいことを、できるだげ正確に表現すること。

これが、ブログを書くときに考えること。

特定の(=クライアントから指定された)属性を持った、特定の(=クライアントから指定された)状況にいる読者に、特定の(=クライアントから指定された)感情の動きをさせること。

これが、仕事としてお金をもらって書くときに考えること。

だから極論すれば、作品自体に注力するのが、アマチュア。

鑑賞者の感情に注力するのが、プロ。

アマチュアが、他人からの鑑賞を前提に創作やパフォーマンスをすることもある。

アマチュアが注力するのは作品やパフォーマンスそれ自体であって、鑑賞者の感情ではないから、鑑賞者は、作品やパフォーマンスの評価者の立場に立たされることになる。

だから極論すれば、アマチュアの作品やパフォーマンスの鑑賞者に期待されるのは、感動や満足ではなく、賞賛である。

「うまいですね~」とか。

「すごいですね~」とか。

プロの作品やパフォーマンスは、鑑賞者の賞賛など要求しない。

プロの作品やパフォーマンスは、特定の属性を持った、特定の状況にいる鑑賞者への、いわば「贈り物」である。

だからプロの作品やパフォーマンスは、その属性を持ちその状況にいる鑑賞者に、感動や満足を与える。

それだけでなく、たとえその属性を持たずその状況にいなくても、その属性を持ちその状況にいる者に自己を重ね合わせる鑑賞者にも、感動や満足を与える。

先日「ものすごくうまいアマチュア」のピアノ演奏と歌を耳にする機会があって、そんなことを思った。

2010年12月23日木曜日

礼儀と思考停止

取材にご同行いただいたクライアントの方より、佐々木のインタビュー中の癖について、ご指摘をいただく。

ありがたいことである。

代りの人間はいくらでもいるこの仕事。

黙って次からは別のインタビュアーを指名することもできたところ、わざわざお気づきの点をお教えいただいたクライアントの方の、愛情と期待に感じ入る。

1件のクレームの背後には、声に出されなかった100件の不満あり。

これまでも佐々木のインタビューに違和感を感じていたクライアントが、数多いらしたことだろう。

なんでもクライアントのお客様にインタビューする際、佐々木は「うん、うん」と相づちを打っていたらしい。

クライアントの方からすれば、大事なお客様に向かって「うん」はないだろうという話だ。

これからは「うん、うん」ではなく「はい、はい」と相づちを打ちながらインタビューをしよう、と決意して、頭の中でシャドー・インタビューを試みる。

ところがどうもしっくりこない。

身についた癖を直すのは難しい、ということだけでもないようだ。

どうも佐々木の中で、「はい」という返事が、ある種の思考停止と結び付いているようなのだ。

思考停止というのは、必ずしも悪いものではない。

組織やチームで活動するときは、個人的に少々の疑問があろうと目をつぶり、意志決定者の判断に委ねることが、ときには必要である。

これはよい思考停止である。

だが記事製作のためのインタビューに、思考停止は禁物。

インタビュアーは読者になり代わり、浮かんだ疑問をとことん解消していかなければならない。

やはり相づちは「はい」ではなく、「ええ」ぐらいにさせていただこうかと思う。

2010年12月22日水曜日

設計者の魂との対話

相手の魂や体のあり方が自分の魂や体に刻まれて、いつまでも消えなくなるような対話、というものが存在する。

先週末訪れた水戸偕楽園の好文亭。

さまざまな工夫や趣向が凝らされたその設計の鑑賞は、ある種、設計者の魂や体のあり方が自分の魂や体に刻まれる対話体験だった。

利用者に体験させる身体的・精神的快楽を、設計者が自分の身体・精神を駆使して創造したその魂のあり方が、建物の細部からも全体からも伝わってきた。

それは現に好文亭の設計者がそのような設計をしたからでもあるだろうが、おそらくそれだけではない。

好文亭の設計が、設計当時の利用者の身体・生活にちょうどフィットしていて、現代の我々の身体・生活にはフィットしていないからこそ、逆に、設計者の意図や魂があらわになったのだと思う。

設計が現代の我々の身体・生活にフィットしているとき、その設計者の意図や魂は、むしろ利用する我々には意識されないものだろうから。

2010年12月21日火曜日

上がったり落ちたり

60年の歴史を持つ老舗企業の役員の方から「我が社の最重要顧客です、よろしくお願いします」と上場企業2社のインタビューを依頼されて、「俺ってすごいかも?」と舞い上がったり、屋外での撮影がある案件にもかかわらず日没時刻を計算に入れ忘れていて、「俺って本当にダメだ」と落ち込んだり。

上がったり、落ちたり、上がったり、落ちたり。

2010年12月20日月曜日

独話と対話

発話には、相手を特定して行われるものと、そうでないものとがある。

会話における発話は、前者。

政見放送における演説は、後者。

演壇でのスピーチは、その中間。

書き言葉で言えば、1対1のメールは、前者。

論文の執筆は、後者。

SNS等での書き込みは、その中間。

仮に前者を「対話」、後者を「独話」とすると、独話ができる人は、対話ができる人よりも、少ない。

独話ができる人にとって、独話と対話は、まったく区別されるものである。

独話ができる人同士の対話は、基本的に、独話では達成できないコミュニケーションを達成するために行われる。

これに対して、独話ができない人同士の対話においては、本来独話で達成されるべきコミュニケーションと、対話で達成されるべきコミュニケーションが、自覚的に区別されていない。

このため、独話ができない人同士の対話は、いわば互いの独話のぶつけ合いに陥りがちだ。

あるいはどうでもいいプライバシーの穿鑿とか。

逆説的だが、極論すれば、独話が可能な人同士にしか、対話は不可能なのではないか。

2010年12月19日日曜日

鑑賞と衣服

偕楽園の園内に、水戸藩第九代藩主徳川斉昭が別邸として建てさせたという古建築、好文亭。

その部屋の一つ「梅の間」に、北原白秋の短歌を刻んだ木札が、置いてあった。
《梅の間よ今は眺めてしづかなり一際にしろき梅の花見ゆ》
《春早くここに眺むる誰々ぞ一樹のしろき寒梅をあはれ》
北原白秋が、この「梅の間」の襖絵に心打たれて詠んだ短歌なのだとか。

北原白秋が心打たれて短歌を読みたくなるほどの襖絵とはどれほどのものか、と件の襖絵を凝視。

だが佐々木には、その良さがいっこうにわからない。

絵画であれ、音楽であれ、文芸であれ、他人が絶賛する作品の良さが自分には理解できなかったとき、佐々木はその作品を絶賛する人の認識を、その基盤である身体にまでさかのぼって想像しようとする。

この襖絵に心打たれる認識とは、どのような認識か。

そのような認識の基盤になる身体は、どのような身体か。

しばし想像をめぐらせ、一つ気がついた。

そのとき佐々木は仕事の帰りで、背広にネクタイ状態。

仮に和服を着た状態でこの襖絵を眺めたら、受ける印象はまったく違ってくるのではないか。

和服を着た状態を想像して件の襖絵を凝視すると、たしかに何かが心に響きはじめた。

自分がどのような衣服を着ているかによって、作品から受ける印象が変わる。

これは発見。

あとで調べると、好文亭は1945年焼失し、1958年復元され、1969年再度焼失し、1972年に復元されていた。

北原白秋が件の短歌を詠んだのは、1935年。

佐々木が見た襖絵は、北原白秋が見た襖絵と同一のものではなかった。

最初見たときそれほどの襖絵とは思えなかったのは、そのせいもあったのかも。

それでも発見は発見。

2010年12月18日土曜日

偕楽園に行ってきた

取材で水戸へ。

帰りに偕楽園に寄ってみた。

兼六園(金沢市)、後楽園(岡山市)とともに、「日本三名園」の一つとされるのだとか。

建物だったら、一度建てられれば長くその姿が保たれるが、庭園の場合は、造営したからといってその姿が保たれるわけではない。

建物の美しさはほぼ設計によって決まる。

庭園の美しさは設計というよりも、維持管理によって決まる。

だから名園というのは、維持管理のあり方も含めて名園なのであり、その意味で、人も含めて名園なのではないか。

偕楽園が造成された当時の維持管理のあり方や、明治時代に「三名園」の一つに数えられた頃の維持管理のあり方と、現在の偕楽園の維持管理のあり方は、おそらく違うんだろうな、となんとなく思った。

それから、今よりもはるかにゆったりとした時間の流れを楽しむ趣向で設計された庭園から、自動車や電車がビュンビュン途切れなく走るのが目に入るというのも、けっこう興ざめと思った。

徳川斉昭が建てさせたという園内の休憩所、好文亭は、かなりおもしろかった。

設計者の工夫・こだわり炸裂の古建築。

江戸時代の日本人の身体や美意識のありかたが、建物の隅々から濃厚に伝わってきた。

2010年12月17日金曜日

凄腕結婚相談員

ホームページのコンテンツ製作のための取材で、都内の某結婚相談所へ。

毎月何組ものカップルを成婚させるという凄腕の結婚相談員の方にインタビュー。

こちらは仕事で来ているというのに、佐々木が独身と知るや、さりげなく(少しも押しつけがましさを感じさせず)入会を勧めはじめるあたり、さすが凄腕結婚相談員。

わずかなやり取りから佐々木の結婚観から生い立ちまで見抜いてしまうあたりも、さすがプロ。

2010年12月16日木曜日

『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第9巻』を読み終えた

今年9月に出た『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第9巻』、毎朝少しずつ少しずつ読んで、ようやく今朝読み終えた。

後半の「武道・武術の諸問題」が、第8巻の各章末にちりばらめれた〔問題〕〔解答〕とほとんど変わらないのはどういうわけか、という疑問が、読みながらずっと頭から離れなかった。

第8巻と比べて、わずかに説明がていねいになった程度。

特に論理に深みが増したとも思えない。

第8巻で急に挿入することに決めて、十分に説けなかったので、もう一度説き直したがまだ不十分、次の巻ではもっと詳しく説く、と南郷先生はおっしゃる。

《私の人生の集大成として発刊する》とされるこの全集を、そんな行き当たりばったりな構成にすることを、あの南郷先生が、よくご自分に許されたものだ、というのが正直な感想。

2010年12月15日水曜日

消える思考

武術の世界で、「消える動き」と呼ばれる現象が存在する。

目の前にいる敵の手足や武器が突然消えて、気づいたときには自分を襲っている、という現象。

これは、敵の手足や武器の動きの、早度や速度の高さだけによって起きる現象ではない。

敵の手足や武器の動きが、こちらの運動認知体系を越えていることによっても起きる現象だ。

これとまったく同じ仕組みで、相手の思考や話の流れが見失われることがあるのではないか。

そう思い付いたのは、次の2つの体験がきっかけだった。

1つ目の体験。

先日、頭の回転がえっらく速い女性経営者と、仕事の打ち合わせをする機会があった。

ほぼ一方的に先方の話を聞くだけだったのだが、脳がとんでもなく疲れた。

不愉快な疲れではない。

どちらかというと、スポーツをしたときのような疲れ。

この感覚、何かに似ていると思ったら、バスケットボールの1対1をやっているときに近い脳の使い方だった。

別に交渉をしているわけでもなく、議論をしているわけでもなく、ただ相手の話を聞いているだけだったのに。

とにかく話の飛躍と、展開の一方的さ加減が、半端じゃない。

よく女性にありがちな話し方ではあるのだが、ご本人の頭の回転が速いぶん、ついていくのが大変だった。

決して、話が支離滅裂というわけではない。

パスケットボール選手の動きの不規則性・不定性それ自体に合理性と妙味があるように、しっかりと追跡していきさえすれば、話の飛躍と一方的な展開自体に、合理性と妙味が感じられた。

だが話の展開を追い損ねると、支離滅裂な話をしているように聞こえることもあるのではないか。

つまり、ご本人の思考や話の流れが消滅したかのように、聞き手に感じられることもあるのではないか。

そんなことを思った。

2つ目の体験。

トルストイの『戦争と平和』を読んでいて疑問に感じることの一つが、なぜ、知性を感じさせる女性が一人も登場しないのか、ということ。

女性が知性を発達させることに対する社会的な抑圧が、当時は現代よりも強かっただろう。

だから実際、知的な女性が当時のロシアに少なかった可能性も、ないわけではない。

もう一つ思ったのが、もしかするとトルストイって、女性の思考の流れを把握するのが苦手な認知パターンの持ち主だったのではないか。

だから、実際にはトルストイの周囲の女性が高度な思考をめぐらさせているにもかかわらず、女性が思考らしい思考をしていないかのように、トルストイの目には映ったのではないか。

そういう目で見ると、トルストイの分析や叙述の仕方って、えっらく男性的だ。

2010年12月14日火曜日

複文

一文を、できるだけ短く。

広告文を書くときの、原則の一つ。

佐々木が広告文の作成に費やす時間とエネルギーの少なからぬ部分が、一文を短くすることに向けられている。

広告は基本的に「読んでいただく」もの。

「読みにくい」と思われたら終わり。

修飾語は、できるだけ削る。

複文は、できるだけ単文にする。
「私が買った大福を、夫が勝手に食べました」
ではなく
「大福を買いました。それを夫が勝手に食べました」
にする。

ただ広告文から離れて考えてみるに、そもそも複文というものが存在するのは、何も読者の頭脳に負荷を掛けることが目的ではない。

この点、迷路やパズルとはわけが違う。

言葉の背後には、書き手・話し手の認識がある。

書き手・話し手の認識の背後には、現実世界がある。

現実世界が重層的・流動的な構造をしているからこそ、その反映たる認識の構造も重層的・流動的になり、またその表現である言語も重層的・流動的になる。

単文だけで構成された文章に慣らされた読者は、現実世界の重層的・流動的な構造を、正しく把握できない。

これは辛いことだと思う。

現実世界に対する自分の期待が、絶えず裏切られるということだから。

その辛さを耐えがたく感じ始めた読者が、複文だらけの文章に接したとき、「この複雑さが理解できるようになることで、私は私が感じている辛さから脱却できる」「この複雑さこそが、今の私を救ってくれる」と直感することも、もしかしたらあるのかもしれない。

つまり文章の複雑さ自体が文章の魅力になることも、あるのではないか。

普通は「なんだこのわけのわからん文章は」で終わるんだろうけど。

2010年12月13日月曜日

古墳時代

日本史の時代区分で、「古墳時代」と呼ばれる時代がある。

「古墳時代」って、考えてみればおもしろい名前だ。

昨日仁徳天皇陵の周りを歩きながら、そう思った。

「平安時代の人々は今が平安時代だとは思っていなかったし、鎌倉時代の人々は今が鎌倉時代だとは思っていなかった」とは、よく言われることだ。

ただ、平安時代の人々にも現在の都が平安京であるという認識はあっただろうし、、鎌倉時代の人々にも現在の幕府が鎌倉にあるという認識はあっただろう。

だが古墳時代の人々は、まさか自分たちが生きている時代が、後世、支配者の墳墓によって特徴づけられるようになるとは、思いもよらなかったのではないか。

日本列島における人間社会の歴史の一時期において、国家的共同体およびその支配者の情熱、欲望、エネルギーの少なからぬ部分が、「可能な限り巨大な墳墓を建造すること」に向かった時代が存在したこと。

しかも単に巨大であればいいというものではなく、どうしてもあの独特の前方後円型でなければならない、という観念が、広く、強く、長く、共有されていたこと。

それがある時期から突然、日本列島全体で、「もうやめにしない? こんなデカい墓作るのは……」という認識が優勢になったこと。

「支配者の墳墓をできるだけ巨大にすること」に国家的共同体およびその支配者の情熱、欲望、エネルギーの少なからぬ部分が向けられた時代は、日本列島以外の地域においても、古代の一時期に存在していること。

こうしたことが、とにかく興味深い。

国家的共同体の情熱の向かう対象が、古代において「支配者の墓」になったり、中世において「寺院・神殿」になったりするのは、単なる偶然ではなく、そこには人類的なスケールにおける認識発展上の必然性があるのだと思う。

現代社会において、成功者や権力者と呼ばれる人々が必死に追求しているものが、後世、「あんなものが真剣に追求されていた時代があったんだ!」と驚かれるようになることも、十分あり得る。

その頃には、そのものこそ現代社会を特徴づけるものとして、現代社会が「○○時代」と呼ばれるのかもしれない。

現代の我々が三世紀末から六世紀中頃を「古墳時代」と呼ぶように。

2010年12月12日日曜日

仁徳天皇陵を見てきた

取材で大阪府堺市へ。

帰りがけに、日本最大の古墳、仁徳天皇陵を見てきた。

南海電鉄の最寄り駅で降りて、周囲約3キロの遊歩道を一周。

近くから眺めても、例の前方後円型は、まったくイメージできない。

ただ柵がめぐらされて、柵の向こうに水を張った堀があって、その向こうに、こんもりとした林があるだけ。

それがただ、ひたすら続く。

ある意味、わけがわからない。

だがそのわけのわからなさが、よかった。

現代の我々は、ヘリコプターなどを使って上空から撮影した仁徳天皇陵の写真を見ているから、あの写真のイメージに重ねて、実際の仁徳天皇陵を眺めることができる。

だがあの陵が設計され建造された当時は、当然ながら、ヘリコプターからあの陵の形を眺めることは不可能だった。

周囲に高い山があるわけでもない。

人間が取り得ない視点から眺めてのみ意味をもつ建造物を、設計し、莫大な労力を費やして完成させた当時の人間の認識のあり方に、強い興味を覚えた。

人間が飛行機やヘリコプターを完成させ、空を自由に飛べるようになったこと。

これもたしかにすごいことだ。

だが、飛行機やヘリコプターがまだ存在しない時代に、飛行機やヘリコプターがなければ見ることができない建造物を、人間が構想して完成させたことも、それに匹敵するぐらい、すごいことなのではないか。

なんてことを思った。

2010年12月11日土曜日

辛楽

自分が辛いと感じていることであっても、周囲の人々が自分と同じようにそのことを辛いと感じていれば、辛さも半減する。

自分が辛いと感じていることを、周囲の人々が別に辛いとは感じていないと、辛さが倍増する。

最悪なのは、自分が辛いと感じていることを、周囲の人々が楽しいと感じている状況である。

自分が楽しいと感じることを企てるときほど、そのことを辛く感じる人々の存在に、思いを巡らせなければならないと思う。

2010年12月10日金曜日

定義の問題などではなく

たとえば「東京の定義」と言ったら「日本の首都」とも定義できるだろうし、あなたの言う「東京」に多摩地区や島嶼地区は含まれるのか、それとも含まれないのか、とかいうのも定義の問題なのだろうが、いくら定義を厳密にしたところで、実際一度も東京を訪れたことがない、テレビですらほとんど東京の街を見たことがない、という人と東京都民の間で、東京像を共有できるはずはないわけで、そんなところにも、定義を追求することの虚しさを感じる。

「学問」とか「科学」とか「法則」とか「弁証法」とか「矛盾」とか、こういった言葉によって佐々木が思い浮かべている像を、佐々木と共有している人は、あまり多くない。

定義の問題ではなく、実感の問題として。

同様に、多くの女性が「寂しい」という言葉によって思い浮かべている像を、おそらく佐々木は共有していない。

定義の問題ではなく、実感の問題として。

2010年12月9日木曜日

つらいれんこん

学生時代に自分のひとりよがりぶりを思い知らされたある出来事に、蓮根料理が関わっているせいで、蓮根を調理するたびに、つらい感情がわきおこる。

20年近く経っても、あのつらい感情の反復が止まないのが、おもしろい。

つらおもしろい、というか。

で、佐々木が調理した蓮根はうまい。

なのでつらおもしろうまい。

2010年12月8日水曜日

「いらっしゃいませ」と「May I help you?」

挨拶の決まり文句は、その文字通りの意味を分析してみると、なかなか美しい精神を包含していることが多い。

誰も、その文字通りの意味を意識して使っているわけではないにしても。

たとえば「おはようございます」。

世間の人々よりも早く起き、早く活動を始めている人の勤勉さ。

生活の健全さ。

精神の清々しさ。

そういったものを称える精神が、この「おはようございます」という言葉には含まれているのではないか。

そんなことを意識してこの言葉を使っている人は、ほとんどいないにせよ。

で、こういうふうに分析していったとき、佐々木がいい言葉だな、と思った決まり文句の一つに、英語の「May I help you?」というのがある。

「May I help you?」の意味を辞書で調べると、「いらっしゃいませ」と出ている。

どちらも、店員がお客を迎えるときの、決まり文句の一つだ。

が、その文字通りの意味を分析してるみと、「いらっしゃいませ」と「May I help you?」は、ある意味、互いに正反対の態度を含意しているように思う。

その両極性が明らかになるように、あえて極端に表現すれば、以下のようになる。

「いらっしゃいませ」が含意するのは、「あなたが抱えている問題を解決する方法を、私は知っています。その方法を、どうか、私からあなたに教えさせてください」という態度である。

これに対して、「May I help you?」が含意するのは、「あなたが抱えている問題を解決する方法を、私は知りません。その方法を、どうか、私に教えてください」という態度である。

どちらの態度がより優れている、ということはない。

ただ、どちらか一方の態度しか取れない状態よりも、どちらの態度にも自由かつ合理的に移行できる状態のほうが、優れているとは言えると思う。

ビジネスに行き詰まったとき、「いらっしゃいませ」の態度から「May I help you?」の態度への転換、またはその逆の転換を考えることが、有効性を発揮することも、あるいはあるのではないか。

なんてことを想像してもいる。

2010年12月7日火曜日

たった2ミリの歩幅の差でも

体がゆるんで、歩幅が2ミリ広がっただけでも、1歩歩いたときの精神のあり方が、まったく変わってしまう。

1日、1カ月、1年間に歩く歩数を考えたら、たいへんな影響だ。

2010年12月6日月曜日

苦手意識

今年何が意外だったって、企業の宣伝用インタビュー記事を作る仕事の依頼が、ほぼ途切れなしに来るようになるとは、年の始めには想像もしてなかった。

佐々木は「他人から好かれる」ことに対して、ものすごく苦手意識があるから、「他人から好かれなければならない仕事」はまず勤まらないだろうと、それこそ10代のころから思い続けてきた。

企業の宣伝なんて、人から好かれることが目的の仕事そのものだ。

まさか佐々木に勤まるとは思いも寄らなかった。

神田昌典さんがどこかで《苦手意識を持っていることほど、そこに才能が隠されている》とお書きになっていたけど、ある面ほんとなんだなと思った。

佐々木が苦手意識を持っているもう一つのこと。

人に何かを教えること。

もしかすると来年あたりは、これをやらされるような機会も訪れるのかも。

2010年12月5日日曜日

自分自身の肉体や精神への冒涜

ゴミのポイ捨てというのはどこでやらかそうが顰蹙ものであることに違いはないが、たとえば神社の境内でやらかすゴミのポイ捨てと、公園でやらかすゴミのポイ捨てとを比較したときに、前者のほうが、何かを冒涜している度合いがより大きい、という感覚は、熱心な神道実践者以外にも、幅広く共有されているように思う。

他人がその人自身の肉体や精神を粗末に扱ったからといって、別に佐々木が何の害を被るわけでもないにもかかわらず、そこに何かの冒涜を感じる感覚と、神社の境内でのゴミのポイ捨てに何かの冒涜を感じる感覚は、似ているのではないか。

で、たとえば神社の境内を相当の敬意をもって扱う人が、同じだけの敬意をもって自分の肉体や精神を扱わないことがあるのはなぜなのか、という疑問、というか違和感が、昨日ごちゃらごちゃらややこしく書いたことの出発点。

2010年12月4日土曜日

媒介物としての聖地・聖像・聖具

媒介物なしには認識できない対象、というものがある。

たとえば自分の顔を、直接自分の目で見ることはできない。

鏡やビデオなどの媒介物を間に挟むことによってはじめて、自分の顔を、自分の目で見ることが可能になる。

自分の顔を鏡で見るときは、鏡に写っている自分の顔の映像を、仮想的に、「自分の顔そのもの」として扱う。

仮に、自分の顔を鏡で見て、顔にゴミが付いていることに気づいたとする。

このとき、鏡に向かって手を伸ばし、自分の顔の映像から、直接ゴミを取り除こうとする人は、ほとんどいない。

正常な人であれば、鏡に写った自分の顔の映像ではなく、自分の顔そのものから、ゴミを取り除こうとするはずである。

つまり、顔からゴミを取り除くことを決めた瞬間、自分の顔の映像を仮想的に「自分の顔そのもの」として扱うことを、中止しなければならないのである。

さて世の中には、神社仏閣、神器、仏像、お守りなど、それ自体に神聖性があるとされている物が存在する。

こうした聖地・聖像・聖具の類は、人間が、自然や社会や個人の神聖さを認識するための、媒介物として捉えることができるのではないかと、最近思い始めている。

自分の顔を直接自分の目で見ることができないように、人間は、自然や社会や個人の神聖性を、直接認識することができない。

聖地・聖像・聖具やこれらにまつわる物語を媒介にして、はじめて人間は、神聖性というものの存在を認識できる。

だが、ひとたび人間が神聖性というものの存在を認識できたら、人間は、聖地・聖像・聖具それ自体に神聖性があると考えることを、中止しなければならないのではないか。

顔にゴミが付いていることに気づいた人間が、鏡に写った自分の顔を「自分の顔そのもの」として扱うことを中止しなければならないように。

2010年12月3日金曜日

カルチャーショック

結婚相談所に行ってきた。

客としてではなく、ホームページのコンテンツを製作する業者の一人として。

打ち合わせでうかがった話はどれも興味深かったが、もちろんここには書けない。

口外もしない。

印象に残ったのは、男性からお見合いの申込みを多く受けている女性の例として、何人か見せていただいた方のプロフィール写真が、どれも非常に「可愛いらしさ」にあふれていたこと。

ちょっとしたカルチャーショックだった。

それだけ可愛らしい女性が、結婚相談所の世話になっていることに驚いたのではない。

結婚相談所の世話になるぐらいの年齢になってもなお、大半の男が結婚相手にああいった種類の「可愛らしさ」を求めていることに、改めて驚いたのだ。

個人的には、小学校5年生以上の人間に「可愛らしさ」を求めるのは、ある種の精神的纏足であるようにも感じる。

だが現に可愛らしい女性と結婚したい男性が、結婚相談所のサポートで可愛らしい女性と出会い、めでたく結婚する、というストーリーに、何の問題があるはずもない。

業者としての佐々木は、このストーリーを促進するコンテンツの製作を、ただ粛々と進めるのみである。

2010年12月2日木曜日

おっさんは扱いづらい

ある法人向けサービスを行っている会社の顧客インタビューに行った折、取材先企業の40代前半ぐらいの役員の方が、その会社のサービスを選んだ理由の一つとして、「若い人が多い会社だったから」というのを挙げられていた。

なぜ若い人が多い会社だといいのかと尋ねると、「年配の、変に職人的なところがある人に来られると、正直、現場で扱いづらい」という趣旨のことをおっしゃった。

なるほど、そういうこともあるだろうな、と思ったその数週間後、風邪で体調を崩して脳や体がえらく固まり、老化の疑似体験をしたような状態になった。

その状態で、あるクライアント会社の担当者の方から、佐々木にはひどく不合理に感じられる作業手順を示されたとき、その手順の不合理さを上から教えてやる口調のメールを、あやうくクライアント会社に送りつけそうになった(送らなかったけど)。

あー年配の人は扱いづらいというのはこういうことか、と反省した。

歳を重ねて、仕事の経験を積んで、豊富なノウハウを持つようになるのはいい。

だがそれで、お客さんに説教を垂れるような、仕事を頼んだ側が不愉快な思いをするような、「変な職人」になってしまってはいけない。

経験を重ねただけの豊富なノウハウを持ち、かつ、お客さんが気持ちよく仕事を頼める存在になることは、可能だと思う。

それを目指さなければいけないと思った。

2010年12月1日水曜日

来年の目標を決める

そろそろ来年の目標を決めないといけない。

昨年末に決めた今年の目標のうち、ここに書いたのは次の4つ。

1.武術で一つ上の段位を取る。

2.人との協力関係を広げ強める。あえて数字を入れると、2010年の終わりに振り返ったとき、「今年は新しくこの人と良い協力関係を築けた」と思える人が、10人以上いるようにする。

3.古典と呼ばれる本を毎月1冊読む。

4.アイン・ランドの読者会を開く。

1は実現できなかった。

2は、甘く数えれば10人にもなるが、厳しく数えれば、せいぜい3~4人。だが「今年は新しくこの人と良い協力関係を築けた」と思える人が3~4人というのは、実現してしまえば、決して小さな数字ではなかった。

3は実現。

4も実現。

さて来年の目標。

去年末、一昨年末は、翌年の目標を数字や言語で確定したい、という欲求をやたらと強く感じた。

しかしなぜか今年は、実現したいイメージが、非言語的な「あの感じ!」という形でしか湧いてこない。

果たしてこのままでいいのかどうか。

今月末までに詰めたい。

2010年11月30日火曜日

「ストレッチ」という言葉について

筋繊維は、収縮時と弛緩時とで、その質が変わる。

この点、たとえばゴムひもなどとは違う。

たしかにゴムひもは、引っ張れば伸びる。

引っ張れるのをやめれば縮む。

しかしゴムひも自体の質が変化するわけではない。

筋繊維は、弛緩時に、どこまで柔らかくなり得るのだろう。

高岡英夫先生の著作のどこかに、筋繊維は、つきたての餅のように柔らかくなり得る、という趣旨のことが書いてあったと思う。

現実に可能かどうかはともかく、「弛緩時につきたての餅のようになる筋肉」というのは、目指すべき理想状態として、適切であるように思われる。

つきたての餅は、つまんで持ち上げれば、それ自身の重みで、どこまでも伸びていく。

その伸び方は、たとえばゴムひもを引っ張って伸ばしたときの伸び方とは、まったく違うものだ。

筋繊維を、弛緩時に、つきたての餅のような伸び方をするような質のものに変えていく努力。

筋繊維を、ゴムひものように伸ばしていく努力。

この二つの努力は、まったく違う。

むしろ、相反する努力なのではないか。

つまり、筋繊維をゴムひものように伸ばそうとすればするほど、筋繊維が弛緩時につきたての餅のように柔らかくなる方向から遠ざかっていってしまうのではないか。

「ストレッチ」という言葉を聞いて、多くの人が想像してしまうのは、筋繊維をゴムひものように伸ばしていく努力だ。

だから、身体運動の指導者たちは、関節の可動域を広げる運動に「ストレッチ」という言葉を当てることに対して、十分に慎重でなければならないと、佐々木は思っている。

2010年11月29日月曜日

頭の回転、半減中

先々週末に風邪をひいてから、体調も、頭の回転も、低下している。

予定通り、予想通りに仕事が進んでくれれば、問題なく対応できる程度ではあるのだが、残念ながら、予定通り、予想通りに進む仕事は一つもない。

予定外、予想外の事態が起きたとき、凡庸な対応しかできないのがもどかしい。

運良くその都度、自分の対応の凡庸さを打ち消してくれる人や状況に助けられてはいるが。

2010年11月28日日曜日

筋肉の質感

骨の質感。

髪の質感。

爪の質感。

こういったものが一様かつ一定なものとして思い浮かべられるのはよい。

だが筋肉の質感が一様かつ一定なものとして思い浮かべられる状況というのは、かなりまずいのではないか。

高岡英夫先生の『「ゆるめる」身体学』に、オリンピックで金メダルを取る選手の筋肉について、弛緩しているときはマシュマロ以上にやわらかく、収縮すると瞬時に鋼鉄のように硬くなる》という描写があった。

筋肉が弛緩したときと収縮したときの、質感の差。

この差の可能性を、日常的にもっと大きく意識しておくことが大事なのではないかと、最近思った。

弛緩しているときはマシュマロ以上にやわらかく。

収縮するときは鋼鉄のように硬く。

大きな筋肉だけでなく、背骨周り、手首足首周りなどの微小な筋肉群についても。

2010年11月27日土曜日

ジャンル評価の上げ下げ

先日インタビューさせていただいたあるラーメン店チェーン幹部の方が、自チェーン店の近所においしいラーメン店ができると助かる、その近所一帯がおいしいラーメン屋のある場所と認知されてお客が集まるから、自チェーン店の近所にまずいラーメン店ができると困る、その近所一帯がまずいラーメン屋のある場所と認知されてお客が来なくなるから、という趣旨のことをおっしゃっていた。

それを聞いて改めて思ったこと。

●自分がいい仕事をすれば、同じ仕事をしている他の人のためにもなる

●自分がへたな仕事をすれば、同じ仕事をしている他の人にも迷惑をかける

●同じ仕事をしている他の人がうまくなるのを自分が助けられれば、自分のためにもなる

2010年11月26日金曜日

イライラ

ここ数日他人のイライラにぶつかったり自分がイライラしたりすることが続いたのは年末が近づいてきて忙しい人が増えてきたせいなのか。イライラしたくなる状況に遭遇したときほど心身をゆったりさせることを心がけようと思った。

2010年11月25日木曜日

うー

今日1日だけで仕事のオファーが7件。

ご指定のスケジュールでお引き受けできたのが1件

スケジュールは当方任せということでお引き受けできたのが3件。

ご指定のスケジュールではお引き受けできず別の日程を提案したのが2件。

同じくご指定のスケジュールではお引き受けできずお断りしたのが1件。

うーもうしわけない。

2010年11月24日水曜日

戦場の青空

トルストイの『戦争と平和』、まだまだ読破中。

文庫で4巻あるうちの、3巻目の途中。

後半に入って、トルストイの(訳者の?)筆の調子がどんどんよくなってきた気がする。

トルストイは、人間分析より、歴史分析のほうが得意なのではないか。

少なくとも佐々木には、トルストイの人間分析よりも歴史分析のほうが、ずっと面白い。

ここまで読み進めた時点で、妙に印象に残っているシーンがある。

1巻目の、最初の戦場の描写がはじまったあたり、ニコライ・ロストフという登場人物が、敵の砲弾に倒れた軽騎兵が担架で運ばれていくのを直視できずに、青空を見上げるところ。
《ニコライ・ロストフは顔をそむけて、まるで何かをさがしもとめるように、遠くを、ドナウ河の流れを、空を、太陽をながめはじめた。空のなんと美しく見えたことか、なんと淡青く澄んで、しずかで、そして深い空だろう!》(新潮文庫『戦争と平和』(一)工藤精一郎訳、345ページ)
フィクション、ノンフィクションを問わず、戦争を扱った作品に接するたびに、もし自分が兵士として戦場に放り込まれたら? という想像をあれこれ重ねてきた。

『戦争と平和』のこのシーンは、佐々木にとっては、非常にリアリティが感じられた。

たぶん佐々木は、もしも一兵卒または民間人として戦場に放り込まれることがあったら、状況が許す限り、青空や山河を眺め続けていると思う。

2010年11月23日火曜日

概念の消滅

佐々木が子供のころ、バスにはクーラーが付いていないのが当たり前だったから、クーラーが付いたバスには「冷房車」というステッカーが貼ってあった。

電車は、佐々木がものごころついたころには、確かクーラー付きとクーラーなしが混在状態。「冷房車」というステッカーが貼ってあったかどうかは忘れたが、夏、クーラー付きの電車が来ると「やったー冷房車だー」と嬉しかったことは、鮮明に覚えている。

バスにも電車にもクーラーが付くのが当たり前になると、「冷房車」という言葉は消滅した。

佐々木が生まれる前、鉄道の黎明期には、「暖房車」なんていう言葉もあったらしい。暖房が入っていない列車が当たり前に走っていたということだ。

概念は、それに対応する事物の消滅によって消滅するだけでなく、それに対応する事物の遍在化、もしくはその対立概念に対応する事物の消滅によっても、消滅する。

今後、同じようにして消える言葉ってなんだろう。

「ブロードバンド」。これはもう消えた。

「地上波デジタル」。これもアナログ停波で消える。

「スマートフォン」。携帯電話が全部スマートフォンになったら消える。

「電気自動車」。ガソリン自動車が消えたら消える。

「異常気象」。20年も異常気象だったら異常じゃなくなる。

まだありそう。

2010年11月22日月曜日

羽田

羽田空港の、あのどでかい敷地に、何十機という旅客機がひしめき合って、次から次へと離着陸する光景や、羽田から離陸した飛行機から見下ろす、東京湾を埋めつくさんばかりの貨物船の群れを見ていると、人間という生き物が相互交流に注ぐエネルギーのとほうもなさに、感動する。

世界一の高層ビルの高さよりも、世界一の海底トンネルの長さよりも、人間の総体としての交通量のほうが、よっぽど感動的だと思う。

2010年11月21日日曜日

風邪をひいた

昨日から風邪。

声がかすれるほどではないが、喉の奥が腫れて唾がのみ込みにくい。

喉のその部分に対応しているのか、脳の後ろの下のほうの真ん中付近も腫れぼったい。

で、脳全体、体全体が、なんとなく不調。

今日はほとんど一日だらだら寝ていた。

夜には回復しはじめて、またちょっと仕事。

2010年11月20日土曜日

指導者が発する問いの傾向

指導者は、「発する問いの傾向」によって、おおざっぱに次の2種類に分けられる。

●自分が答えを知っている(と思っている)問いを発する傾向が強い指導者

●自分を含めて、誰も答えを知らない問いを発する傾向が強い指導者

前者の指導者の周囲には、「答えを教えて欲しい」タイプの人々が多く集まる。

後者の指導者の周囲には、「答えを自分で考えたい」タイプの人々が多く集まる。

前者の指導者が、自分の周囲に集まる人々に対して、「みんな自分の頭で考えようとしない」と怒っている光景を、目にすることがある。

滑稽、とまではいかないにせよ、かなり微笑ましい光景だと思う。

2010年11月19日金曜日

札幌へ

取材の仕事で札幌へ。

日中の現地の最低気温は氷点下2度、との予報を前日に目にして、靴下を3重に、ズボン下を2重にし、マフラーも手袋も用意して乗り込んだのだが、行ってみれば日中は11度まで気温が上がり、相模原とたいして変わらぬ気温。

午前中1件、午後1件、それぞれ1時間強のインタビュー。

羽田朝6時50分発の飛行機で出かけ、新千歳夕方5時半発の飛行機で日帰りしてきた。

これまで仕事で出かけた場所としては、今回が一番遠い。

全国を、世界を、と股にかけて活躍しているビジネスマン・ビジネスウーマンのみなさんなら、東京から札幌への出張など日常茶飯時の部類なのだろうが、せいぜい神奈川と東京の都県境を股にかける程度でちまちま仕事をしてきた佐々木としては、わざわざ羽田から札幌まで飛行機に乗せてまで佐々木に仕事をさせよう、と考える企業さんが出てきたというだけでも、感慨深い。


お約束の時計台前で自分撮り。

2010年11月18日木曜日

自分が創造性を発揮する能力と他人に創造性を発揮させる能力

自分が創造性を発揮する能力。

他人に創造性を発揮させる能力。

この二つは互いに重なる部分もあるが、正反対の部分もある。

自分自身の創造性が高い人は、えてして、自分が思い付いたすばらしいアイデアを、他人に理解させ実行させることに夢中になりがちである。

これは相手から見れば、他人が思い付いたアイデアを理解し実行することに専念するよう、強いられることと同じである。

つまり創造性を発揮することの真逆である。

だから自分自身の創造性は高くても、他人に創造性を発揮させる能力は低い、という人は多い。

もちろん、自分自身の創造性も高く、他人に創造性を発揮させる能力も高い、という人もいる。

そういう人はたぶん、どこかで自分の中の葛藤を克服して、そのような両立を体現するに至ったのだと思う。

ところで、「発せられた問いに対する答えを見つける能力」と、「まだ誰にも答えがわからない問いを発する能力」というのも、互いにかなり違った能力である。

「自分が創造性を発揮する能力」が高い人は、「発せられた問いに対する答えを見つける能力」も高い気がする。

「他人に創造性を発揮させる能力」が高い人は、「まだ誰にも答えがわからない問いを発する能力」も高い気がする。

ついでにもう一つ。

「自分が創造性を発揮する能力」が高い人は、他人に「消費の喜び」を与える。

「他人に創造性を発揮させる能力」が高い人は、他人に「生産の喜び」を与える。

2010年11月17日水曜日

豊かになるための手段としての暴力や脅迫の有効性の低下

自分が豊かになるための手段としての、他人に対する暴力や脅迫の有効性が、相対的に低下したこと。

これもまた、単純労働の機械化が進んだことによって、「自分が考えた通りに他人を働かせる能力」が高い人間よりも、「他人をして自ら創造的に働かせる能力」が高い人間の方が、より豊かになれるようになって、よかったことの一つ。

インディアスの破壊についての簡潔な報告』で紹介されているような残虐行為が、かつて常態だったのは、人間が今よりも残虐だったから、というよりむしろ、暴力や脅迫によって他人を労働させることによって豊かになることが現実に可能だったから、と言えるのではないか。

「他人をして自ら創造的に働かせる能力」が高い人間の方がより豊かになれるような時代になってしまえば、そもそも暴力や脅迫によって他人を労働させようとする動機自体が消滅していく。

こういうのを進歩というのだと思う。

2010年11月16日火曜日

単純労働の機械化の積極面

単純労働の機械化によってもたらされた、最大の積極面の一つは、「自分が考えた通りに他人を働かせる能力」が高い人間よりも、「他人をして自ら創造的に働かせる能力」が高い人間の方が、より豊かになれるようになったことだと思う。

「自分が考えた通りに他人を働かせる能力」が高い人間と働くより、「他人をして自ら創造的に働かせる能力」が高い人間と働いた方が、単純に、気分がいい。

2010年11月15日月曜日

結果と方法

自分の脳の回転が最高潮に高まっているときは、たとえば文章を読むにしても、文字の海に脳をさらすだけで、文字から(「意味」ではなく)「像」(五感情像)が勝手に立ち上がってくるような感覚がある。

だからといって、「字面に自分の脳をさらして像を立ち上げる」のを「速読の方法」と称してよいものでもないだろう。

単なる「結果の叙述」に過ぎないものを、「方法」と称している例が、世の中には少なくない気がする。

2010年11月14日日曜日

商品の海

地球に誕生した生命体の活動によって、地球の表面が水で浸されていった結果、生命体がそのままの形態では地球との相互浸透を保てなくなり、新しい段階の生命体へと進化した、というくだりは、『看護のための「いのちの歴史」の物語』(本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子著)の中でも、好きなところの一つ。

この生命体と水との関係って、人間と商品の関係にも当てはまるのではないか、と思っている。

人間と地球との相互浸透の維持を危うくするほどの、商品の海。

この海の中で地球との相互浸透を保つには、人間自身が、新しい形の認識や行動を生み出していくほかない。

生命体が自らの生存を危うくするほど大量の水を生み出した事実を、悪意や愚かさで説明してもしかたがないように、人間が自らの生存を危うくするほど大量の商品を生み出している事実を、悪意や愚かさで説明してもしかたがないと思う。

生命が海の誕生を進化の契機としたように、人間も商品の海の誕生を進化の契機にすればいいのではないか、と。

2010年11月13日土曜日

『脳の右側で描け』使用前・使用後

絵を描くのが苦手、という人は、ベティ・エドワーズの『脳の右側で描け』(北村孝一訳)という本を買って、この本で紹介されているワークを実際にやってみたほうがいいと思う。

絵を描くのが苦手、ということは、単に絵を描く能力がないだけではない。

絵を描くのを苦手たらしめるような脳の使い方を、自分がしている、ということでもある。

この本で紹介されているワークをやると、そのことがよくわかる。

別に絵を描くのが得意になる必要はない、という人にとっても、自分の脳の使い方のクセを知ることには、大きな価値があると思う。

この本の問題点は、翻訳が相当ぎこちなくて、書かれてある説明文を理解するのに、やたらと苦労させられることだ。

まぁでも、それも脳の訓練だと思えばいい。

以下に、3年前に佐々木がこの本に従って描いた絵を列挙する。

■2008年2月13日 この本で紹介されている方法を学ぶ前に、鏡を見ながら描いた自画像。似てねー。気持ち悪ぃー。


■同じく2008年2月13日 この本で紹介されている方法を学ぶ前に、記憶だけを頼りに描いた友人の顔。似てないっ。しょぼいっ。


■同じく2008年2月13日 この本で紹介されている方法を学ぶ前に描いた、自分の左手。時間を掛けて真剣に描いたのだが、貧相。


■同じく2008年2月13日 この本で紹介されている方法に従って模写した絵。自分ではけっこう感動した。


■2008年2月20日 この本で紹介されている方法に従って模写した絵。


■2008年3月26日 この本で紹介されている方法に従って描いた、自分の左手。


■2008年4月16日 この本で紹介されている方法に従って描いた、ハサミを握る自分の左手。


■2008年4月30日 この本で紹介されている方法に従って描いた、仕事用の椅子。

2010年11月12日金曜日

自慢

ある大企業の営業部の課長さんが、先日、佐々木が顧客インタビューするのを横で見ていて、佐々木の質問力の高さにびっくりして、会社に帰ってから「君たちもあの人(=佐々木)のようなヒアリングができるようになりなさい」と課の人たちを叱ったんだそーな。

2010年11月11日木曜日

She「ピー」you.

依頼される仕事、あるいは期待される仕事を、こなしきれないのがもどかしい。

自分の頭が、もっと速く回転してほしいと真剣に思う。

今はウンウン考えてる時間が長すぎる。

コンピューターのCPUの進化速度並のペースで、脳の処理能力を上げたい。

あと今日のタイトルは妙にエロい。

2010年11月10日水曜日

空気が見える

3年ほど前に『脳の右側で描け』(ベティ・エドワーズ著)という本を買って、そこで紹介されていた絵の描き方の訓練法を、しばらく実践したことがあった。

著者ベティ・エドワーズの言う「右脳(=非言語的、総合的、具体的、非時間的、直観的)モード」と「左脳(=言語的、分析的、象徴的、抽象的、時間的、理性的)モード」の区別で言えば、「左脳モード」で物事を見る傾向が強かった佐々木にとって、この本の訓練法で「右脳モード」を鍛えた結果見えてくるようになった世界は、非常に新鮮だった。

同じ頃、仕事上の必要に迫られて「売れる見せ方」を学ばなければならなくなり、広告やら店やらでの商品の見せ方をずいぶん研究したが、その研究にあたっても、「右脳モード」での見方は役に立った。

今でもデパートなどに行くと、商品よりも、むしろ商品の背景となっている棚やケースや壁面に目を凝らしてしまう。

背景への注目。

これは売り手が本来期待している見方ではない。

売り手が期待するように商品に注目して見るときと、商品の背景に注目して見るときとで、ものの見方がガラリと変わること。

そのこと自体に、やみつきになる楽しさがある。

で、今日も取材で都内に出たついでにデパートに立ち寄り、商品の背景を眺めて楽しんでいるうちに、ふと、商品の背景ではなく、商品の手前に存在する空気を見たらどうなるだろう? とひらめいた。

空気って、見えないものの代名詞なのに。

試してみて驚いたのだが、空気って、「見える」のだ。

本当に。

文字通り空気が「見える」わけではないのだが、「空気を見る」努力をする前とした後とでは、目の前の光景が、まったく違って見える。

純生理学的に、眼筋が活性化するせいもあると思う。

距離感の把握が緻密になるぶん、物がより立体的に見えるようになるせいもあると思う。

まぁなにしろ驚いた。

2010年11月9日火曜日

オリオン座

冬の楽しみの一つは、星がよく見えるようになること。

佐々木が住む相模原市南区は典型的な市街地で、特に星空がきれいなわけではないが、それでもこの季節になると、オリオン座をはじめとする有名星座がはっきりと夜空に浮かぶようになる。

オリオン座は、古代ギリシャ時代の昔から、「オリオン座」と呼ばれていた。

紀元前9世紀に書かれたホメロスの二大叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』には、既にオリオン座をはじめとする星座への言及がある。

そう百科事典にあったので、古典読破計画で読んだ『イリアス』を読み返してみた。

あったあった。

アキレウスの母テティスから依頼されて、火と鍛冶の神ヘパイストスが、アキレウスのために作った盾の描写に、オリオン座が登場していた。
《最初に大きく頑丈な盾を、全面に精巧な細工を施して作った。まわりには輝きわたる見事な三重の厚さの縁をめぐらし、これから銀の提げ紐を垂らす。盾の本体は五重の造りで、意匠を凝らした装飾が施してある。
 そこには大地あり天空あり海がある。疲れを知らぬ陽があり、満ちゆく月、また天空を彩る星座がすべて描かれている--すばる(プレイアデス)に雨星(ヒュアデス)、さらに力強いオリオン、また「熊」座、これは別の名を「車」座ともいい、同じ場所を廻りオリオンをじっと窺っている。この星のみはオケアノスの流れに浸かることがない。》(『イリアス』「第十八歌」松平千秋訳)
3千年も昔のギリシャ人と同じ星の配列、同じ巨人のイメージを、自分が今見ていると思うと、えらく感動する。

2010年11月8日月曜日

魂の告白

NHKでやっていた「ER緊急救命室」というアメリカ製テレビドラマ。

もううろ覚えなのだが、たしか15年ぐらい前に放送された回で、ジュリアナ・マルグリーズ演じるキャロル・ハサウェイ看護婦長が、緊急救命室に搬送されてきた15歳ぐらいの黒人少年から何かの秘密を打ち明けられ、同僚看護婦から、その秘密を警察だかに通報するように勧められたとき、自分はその少年の信頼を裏切ることはできない、という趣旨の反論をする場面があった。

元の英語の台詞は覚えていないのだが、そのときの日本語字幕に「だって魂の告白を受けたのよ」とあったのが、忘れられない。

「魂の告白」という言葉自体が、それこそ佐々木の魂に打ち込まれてしまって、他人から受けた「魂の告白」をあだやおろそかに扱わせない規範と化している。

企業からの依頼で顧客インタビューに行くと、取材先の顧客が、自分の人生の重大事を語り始めることがある。

拝聴しつつ、大切な話を聞かせてもらってありがたいなぁ思うと同時に、これはまとめるのが大変だなぁと思う。

記事の性格上、取材先の人生だの信念だのに割ける分量など、わずかなものだ。

そのわずかな分量で、取材先の思いの全重量を発散させなければならない。

そういう文章を書くのは、とんでもなく時間がかかる。

意気に感じるものがなければやってられない。

2010年11月7日日曜日

『物理学とは何だろうか』を読んだ

ジャーナリストの日垣隆さんが主宰する古典読書会、先月の課題は朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』()。

南郷継正先生が先日出版された全集第九巻(「武道講義 武道と認識の理論Ⅰ」)で、次のようなことをお書きになっていた。
《例えば、法学の大家として何十年にもわたって学界に君臨し続けた東京帝国大学のある銀時計卒業者が、有斐閣の「法律学全集」のトップにその名を連ねながら、十年かかってようやくその学問レベルの一般論を体系的書としてものにしたものの、その内容たるや「法とは何か」を文学的レベルで(つまり、二百年もの昔のヘーゲルの法哲学レベルですら)、何等説ききることができなかったという悲しい現実、あるいは世界有数といわれたある物理学者が、岩波新書でこれまた遂に未完として恥を曝している今日をみただけでも、学問の確立がいかに大難関かの一端を垣間見てとれるというものです。》(167頁)
この「世界有数といわれたある物理学者」が「遂に未完として恥を曝している」とされる岩波新書こそ、おそらくは本書『物理学とは何だろうか』だろう。

自分が学問を確立できたわけでもないのに、南郷先生の尻馬に乗って「朝永の論には体系性というものが欠落している」等と批判するのも、あまり格好のよいことには思えない。

なので、努めて著者に対して好意的に、著者が読者に対して望んだであろう態度をもって、本書を読んだ。

結果、予想以上の知的興奮を覚えながら、本書を読むことができた。

佐々木の記憶が正しければ、この本、たしか高校時代に一度読んでいる。

当時、学問とか、学者とか、岩波新書とか、そういった諸々に対して自分が抱いていた、はるか雲の上を見上げるような憧れの気持ちを、懐かしく思い出した。

あの頃から20年以上も経ち、学問とか学者とか岩波新書とかに対して、当時のような憧れの念を抱くことは、もうなくなった。

しかし今回、上記のような態度で本書を再読して、そうした憧れとは別の思いをもって、本書の世界に耽溺することができた。

その思いを一言で言えば、仕事でぶつかった問題を解決していかなければならない者としての共感、とでもなるかと思う。

科学史上の偉人たちの仕事と、自分が日々取り組んでいるチマチマとした仕事とを、同じ「仕事」という言葉で捉えて、彼ら偉人たちに共感を覚えるなど、おこがましいことだとは思うのだが……。

日垣さんがどこかで、仕事と趣味を分けるのは、依頼と締切の存在だ、といったようなことを書かれていた。

この定義を読んだときは、なるほどと深く納得させられたのだが、「依頼と締切」では定義しきれない側面というのも、やはり仕事にはある。

問題の解決とか、社会への貢献とか。

ケプラーもニュートンも「依頼と締切」に従って宇宙の謎を解いたわけではないだろうが、それでも「ケプラーの仕事」とか「ニュートンの仕事」という言い方をするのは、仕事一般に、そういった問題解決や社会貢献の側面があるからなのだろう。

で、自分の仕事に含まれる問題解決や社会貢献の側面など、ケプラーやニュートンの仕事と比べれば無いも同然であるにせよ、やはり仕事に取り組むモチベーションの部分では、そういう問題解決や社会貢献の側面が大きな要因になっていて、だからこそ、この『物理学とは何だろうか』を読んで、おこがましくも彼ら偉人たちに、共感などしてしまったのだろう。

それでまた著者が、彼ら偉人たちの問題解決への試行錯誤や、結果としての人類への知的貢献を、実にビビッドに描いてる。

もちろん、著者自身が先端研究者として物理学上の難問を解き、人類への知的貢献を果たしたからこそ、ではあるのだろうが、それだけでは、あそこまでビビッドに科学者達の頭の中を描写することはできなかったはず。

あの描写力もまた、著者ならではの才能だろう。

ただ、ケプラー、ガリレオ、ニュートンと並べたとき、なぜかニュートンについてだけは、「理論を導く過程」をほとんど省いて、ほとんど「理論の解説」に終始しているのは、どういうわけだろうか。

ニュートンの仕事が数学的であることと、何か関係があるのか。

ニュートンの思考過程を辿る資料が、残っていないのか。

ケプラーとガリレオのところでは、かなり綿密に彼らの試行錯誤の過程をたどっているのだが。

中でも自分の思考に引き寄せて共感してしまったのが、例の「円への執着」である。

こういう図式的な先入観って、よく現実認識を誤らせるよな~、と。

人間同士の関係でも、人間とお金の関係でも、二者間の距離が離れ始めると関係自体が解消されていかのように思い込んで、二者間の距離が一定の法則に従って離れたり縮んだりしながら、関係が続いていく、ということが見抜けなかったり。

本書に登場する科学者達の中で、佐々木がダントツですごいと思ったのは、サディ・カルノーだった。

カルノーの天才性は、問題の設定の仕方自体に発揮されている。

乱暴な言い方をしてしまうと、カルノー以外の科学者達の天才性は、問題の解決の仕方において発揮されているに過ぎない。

カルノーは、本書に登場する科学者達の中で、最も原理的なレベルで問題を設定できた人である。

カルノー以外の科学者達は、カルノーに比べれば、実体的なレベルで問題を設定しているに過ぎない。

なんてことを思った。

そりゃ、惑星の運動法則って、スケールの大きな話だ。

でも惑星の運動って、実際に目に見えてる。

分子や原子の構造となると直接目には見えないが、やはり実体の構造を問題にしていることに変わりはない。

これに対してカルノーが設定した問題は、「熱から取り出せる動力には原理的な限界があるのか」。

こりゃすごい問題設定の仕方だ。

こういうのを、原理的に問題を設定する、というのだと思った。

しかもこれだけ原理的な問題について考察する論文を、誰もが経験的に知っている蒸気機関の話から説き起こしている。
《熱は運動の原因となることかでき,しかもそれが非常に大きな動力をもつことを知らぬ人はない.今日ひろく普及している蒸気機関が,そのことを誰の目にも明らかに証明している.
 熱こそ,地球上でわれわれの目にはいる大規模な運動の原因となるものである.大気の攪乱,雲の上昇,降雨,その他もろもろの大気現象,そしてまた,地球の表面に溝を掘りながら進む水の流れ--人間はそのごく一部を利用しているにすぎない--などは熱によるものである.地震や火山の爆発の原因もまた熱にある.
 われわれは,この莫大な熱の貯えのなかから必要な動力をとりだすことができる.自然は,いたるところに燃料を供給して,いついかなるところでも熱とその動力を生じさせることを可能にしてくれている.この力を発生させて,われわれの使用に供することが,火力機関の目的である.
 この機関は,はかりしれない重要性をもち,日に日に普及しているだけに,その研究はまことに興味ある課題である.それは文明世界に大変革をもたらすべく運命づけられているようにみえる.火力機関はすでに,鉱山を採掘し,船を動かし,港や河をさらえ,鉄をきたえ,木を削り,穀物をひき,糸をつむぎ布を織り,きわめて重い積荷を運搬する等々のことをしている.火力機関はおそらくそのうちに,普遍的な原動力となり,畜力や水の落下や風力よりも好まれるようになるであろう.それは畜力にくらべて経済的だという長所をもつ.また水の落下や風力にくらべると,いつどこででも使用でき,けっして働きを中断しないという長所がある.
 ひとたび火力機関が十分改良されて,その建造および燃料の費用が低減されるならば,火力機関は望ましい諸性質をすべて兼ねそなえることになり,その全体を予見しがたいほどの産業の飛躍的発展をもたらすであろう.》(サヂ・カルノー「火の動力についての考察」1824年、広重徹訳、冒頭部分)
論述力もすごい。

これだけ天才的な問題設定力と論述力がありながら、生前は誰からもその仕事の価値が理解されなかったとは……。

心中察するに余りあるとはこのことだ。

上巻178ページで、ウィリアム・トムソンが、発表後20年埋もれていたカルノーの著書を読んで「その内容に驚きかつ圧倒された」とあるのを読んだときは、そうだよねぇ、そうだよねぇ、こいつ(=カルノー)天才だよねぇ! と、心底嬉しくなってしまった。

ぜひカルノーの著書も読んでみたいと思い、『カルノー・熱機関の研究』(みすず書房)をAmazonで検索したところ、絶版、売り切れ。

ネット古書店で1冊だけ3,500円で売られていたのを入手。

まだパラパラとめくってみただけだが、本当にわくわくさせられる内容だ。

カルノーに出会えただけでも、『物理学とは何だろうか』を再読した甲斐があった。

2010年11月6日土曜日

秋なのにナッツ

ナッツ類をやたらと食べる。

140グラム入りの皮むきピーナツの袋や、130グラム入りの皮むきクルミの袋が、数日から1週間で空になっていく。

特に食後、脳が強烈にナッツ類を欲しがる感じがする。

袋を片手にボリボリ食べながら、ちょっと食べ過ぎなんじゃないか、中毒なんじゃないか、と自分で思う。

今日はタイトルオチなので、これぐらいにしておく。

2010年11月5日金曜日

あなたと私のどちらがいつ死んでも

インダストリアルデザイナーの山中俊治さんの「アイデアは二律背反を疑うところから始まる」という言葉が好きだ。

自分の未来に希望を持ち続けること。簡単に言えば、ずっと生きていたいと思うこと。

仮に自分の人生が今この瞬間に終わるとしても、自分の人生は、これまででも十分満足のいくものだったと考えること。簡単に言えば、もういつ死んでもいいと思うこと。

この二つは、論理的に背反するようにも思われる。

だがこの背反を両立させることにこそ、幸福はあるのではないか。

人との関係も同じだ。

相手との関係の未来に希望を持ち続けること。簡単に言えば、お互いずっと生き続けて、関係を深めていくことを願うこと。

仮に今この瞬間にどちらの人生が終わりを迎えても、二人の関係は、これまででも十分満足のいくものだったと考えること。簡単に言えば、もうどちらがいつ死んでもいいと思うこと。

この二つは、論理的に背反するようにも思われる。

だがこの背反を両立させるところにこそ、幸福な人間関係はあるのではないか。

10年ほど前にこいつとは一生付き合っていくんだろうなと思っていた友人が事故死して遺体と対面したときはショックのあまり全身が痙攣し始めてその場にへこたりこんで1時間以上も身動きがとれなくなって自分でもびっくりしたものだが、あの体験で親しい人間を失う悲しみの上限というものを把握できたおかげで、死別を含むあらゆる別離に対するおおらかな覚悟をもって、人との関係を築けるようになった。

簡単に言えば、別離を不幸と結び付けずに考えられるようになった。

それがどれほど自分の幸福に役立ったかわからない。

2010年11月4日木曜日

仙腸関節

何かが「できるようになる」ということとは別のこととして、そのことが「できた状態がイメージできるようになる」ということがある。

前者が先に来ることもあれば、後者が先に来ることもある。

「まさかできるとは思っていなかったことができてしまった」というのは、前者が先に来たケースである。

「できた状態をイメージすることさえできなかったことが、イメージだけは実感として持てるようになり、やがて実際にできるようになった」というのは、後者が先に来たケースである。

佐々木の仙腸関節はまだ拘束されたままだが、仙腸関節の拘束が解消されると、身体および精神がどのような状態になるか、ということを、かなりリアルな実感としてイメージできるようになってきた。

仙腸関節をゆるめる手技を、武術の稽古仲間に、ここ10年以上、1~2週間に一度はほどこしてもらい続けているおかげである。

2010年11月3日水曜日

推書

あなたにこの本をぜひ読んでほしい、と勧められた本が、えらくありきたりな説教本だったりすると、こんなくだらない本に感動するような奴だったのか、とがっかりさせられたり、俺はこんなあたりまえのこともできていない人間と思われているのか、と落ち込んだり。

もちろんそこは謙虚に、いやいや、俺がこの本の真価を読み取れていないだけかもしれない、とか、実際こんなあたりまえのことも自分はできてないのかもしれない、とか、省思省察するのだけど。

本ってうかつに人に勧められない。

2010年11月2日火曜日

胴体の重み

きわめて大甘な主観ではあるが、胴体(首から下、両肩より内側、足の付け根より上)全体を、胸椎12本、腰椎5本、仙骨、尾骨が縦に並んで納まった、一つの大きな袋として感じられるようになってきた。

と同時に、胴体全体としての重みと、背骨全体としての重みも、感じられるようになってきた。

当然、センターのあり方や、背骨の使い方にも影響があった。

繰り返すが、きわめて大甘な主観。

2010年11月1日月曜日

問題と解決

たいていの問題は、それ自体が、別の問題の解決になっている。

そのことを見落としたまま問題を解決すると、その問題が解決していた別の問題が、再問題化することになる。

というかそもそも、その問題が解決していた別の問題が再問題化しないように、その問題が解決されること自体を阻む人々が現れる。

ということをわきまえている人は、問題をむやみに解決しようとしない。

が。

そのことをわきまえずに問題を解決しにかかる人を、あえて止めようともしない。

蛮勇によってのみ達成される偉業というのも間違いなくあるから。

2010年10月31日日曜日

『養生訓』を読んだ

古典読破計画。

今月は貝原益軒(1630-1714)の『養生訓』。

江戸前期から中期の儒学者、博物学者、庶民教育家である著者が、
《人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危をおそるる事、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。》
として、主に健康と長命のための欲望コントロールを説いた、著者晩年の書。

現代人の健康は、おそらく「欲求が満たされない」ことよりも、むしろ「欲求が満たされ過ぎる」ことによって害されている。

いくらそのことを自覚しても、満たされ過ぎる欲求に歯止めを掛けるのは難しい。

その難しい欲望のコントロールも、『養生訓』の格調高い文体で説かれると、居住まいを正されるというか、しっかりしなきゃだめだよな、自分! という気持ちになる。

おもしろかったのは、養生を重視することに対する反対論として、
《或人うたがひて曰。養生をこのむ人は、ひとゑにわが身をおもんじて、命をたもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。故に義にあたりては、身をすて命をおしまず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへにおもんじて、少なる髪・膚まで、そこなひやぶらざらんとせば、大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。》
という説が紹介され、それに対して
《答て曰、およその事、常あり、変あり。常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。其時にあたりて義にしたがふべし。無事の時、身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、変におるの義なり。常におるの道と、変に居るの義と、同じからざる事をわきまへば、此うたがひなかるべし。君子の道は時宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。たとへば、夏はかたびらを着、冬はかさねぎするが如し。一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。殊に常の時、身を養ひて、堅固にたもたずんば、大節にのぞんでつよく、戦ひをはげみて命をすつる事、身よはくしては成がたかるべし。故に常の時よく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。》
という反論がされていたところ。

『葉隠』を読んだときも感じたが、江戸時代のこういう言説を読むと、やっぱり男って基本的に社会の消耗品なんだなァとつくづく思う。

2010年10月30日土曜日

電子書籍端末に欲しい機能

トルストイの『戦争と平和』、まだ読破中。

とにかく登場人物が多い。

で、名前を覚えられない。

出てきた登場人物が、前にどこで登場した奴なのか、思い出せない。

こういうとき、電子書籍で、たとえばその人物の名前をタッチすると、初出箇所に戻って、またワンタッチで元のページに戻ってとか、その人物の各章・各ページにおける登場回数を一覧したりとか、その人物のプロフィール・別名・愛称がわかったりとかすると、便利だなと思う。

佐々木はKindleもiPadも持ってないけど。

そんなカネがあったら、そのぶん紙の本を買ったほうがいいだろ、と思えて。

2010年10月29日金曜日

足利学校跡へ

今日は取材で栃木県足利市へ。

取材先が足利市、と聞いたら、もうあそこに立ち寄るしかない。

史跡 足利学校跡

「足利学校」と聞いて、おー!あの!足利学校!! と、佐々木と同じ興奮を覚えてくれる人が、果たして何人いるか……。

佐々木はいわゆる歴史マニア的な視点から、足利学校に関心を持つわけではない。

上杉がどうのこうのとか、武田がどうのこうのとか、そういう個別実証史的な話にはほとんど興味がない。

佐々木が興味を引かれるのは、認識論的に捉えた日本史(経済・政治・文化史)における、足利学校の位置づけである。

あるいは、日本における精神的な交通関係の発達史における、足利学校の位置づけである。

やはり現地で展示などを見てこそ、往時の学問のありかたをビビッドに思い描くことができた。

あと、足利学校の紹介ビデオに、明治時代に足利学校の取り壊しを阻止した田崎早雲という人の写真が登場する。いい顔をしている。人間、年取ったらあれぐらいの風格をかもしだしたいものだと思った。


「學校門」前で自分撮り

2010年10月28日木曜日

部屋でYシャツにアイロンかけてる私

次からは気をつけよう、と誓ったミスを、まさにその「次」に繰り返してしまうと、これはいったいどんな無意識の作用かと、にわか精神分析家になって、しばし考え込んでしまう。

新しいYシャツを買った。

せっかくなので、けっこう奮発した。

形態安定加工された、アイロンがけ不要なやつ。

着て、脱いで洗濯して、洗濯機から出したところで、何があったか(それすらも覚えてない……電話が掛かってきた? 何かアイデアを思い付いてメモした?)、そのまま放置。

1時間以上放ったらかして、ようやく気づいてあわてて広げて干すも、脱水直後のシワが見事に定着。

乾いてもそのまま。

形態安定加工なだけに!

しかたなく、霧吹きを使いながらアイロンをかけてシワをのばす。

せっかくアイロンがけが要らないやつを買ったのに。

けっこう奮発したYシャツなのに。

次からはこんなミスは繰り返すまい、と誓う。

で、次にそのYシャツを着て、脱いで、そうだ今回は放置しないように気をつけよう、と思いながら洗濯して、洗濯機から出したところで、何があったか(また覚えてない)、そのまま放置。

また1時間以上放ったらかし。

気づいて、あわてて広げて干して、前回よりさらに見事なシワシワっぷり。

乾いてもそのまま。

さすが形態安定加工!

で、また霧吹きを使いながらアイロンをかけてシワをのばす。

まぁいいんだけど。

アイロンがけする時間はけっこう好きだから。

と負け惜しみ。

2010年10月27日水曜日

料理脳

パソコンに向かって文章を書いたりレイアウトを整えたりするときと、料理をするときでは、脳の使い方がまったく違う。

なので、仕事を一区切りつけて料理に取りかかった瞬間、次のことを、強烈に感じる。

  • 一度に作る料理の品数が多ければ多いほど、脳のより広い領域が、より複雑に使われる。

  • 料理一品に使う材料が多ければ多いほど、〔同上〕。

  • 作った料理を食べさせる相手が多ければ多いほど、〔同上〕。

当たり前、といえば当たり前なのだが。

一日に何食、何品、何種類の材料を料理して、何人に食べさせるか。

一日で見れば小さな違いでも、これが10年、20年、30年と積み重なってくると、脳の発達にえらい差が出てくると思う。

2010年10月26日火曜日

がんじがらめ

「自分の欲求」と「道徳」をまぜこぜにして、何か特定の行動・態度・思考・感情を選択することを直接・間接に迫られると、精神的に、がんじがらめにされた気持ちになる。

相手が「欲求」を「欲求」として伝えてくれたなら、自分がその欲求をどのように・どこまで実現してあげられるのか、前向きに考えられる。

相手が「道徳」を「道徳」として伝えてくれたなら、その道徳がどのような場面に妥当し、自分がどのように実践できるのかを、客観的に考えられる。

相手が「自分の欲求」と「道徳」をまぜこぜにしていると、そのまぜこぜぶりの分析にまず自分の思考が向いてしまう上に、分析の結果を果たして相手に伝えていいものなのかとか、伝えて相手が理解できるのかとか、そういうところで思考が停滞してしまう。

あの「がんじがらめ感」の構造を分析すると、たぶんこんな感じ。

ふだん付き合いのある人からその手のコミニュケーションを迫られることはないのだが、今日はめったに連絡を取らない知人から電話があり、ひさしぶりにあの「がんじがらめ感」を味わった。

自分も気をつけよう。

2010年10月25日月曜日

言葉で言い表せるような目標でいいのか

「名前が付いていない」、もしくは「それを表現する言葉がない」ということと、「それが存在しない」、もしくは「実現し得ない」ということを混同することは、凡庸な人生を歩むための、十分条件の一つだと思う。

「名前が付いている」、もしくは「それを表現する言葉が既にある」ということは、それがたいていの人に知られている凡庸なものであることの証明だ。

何と言ったらいいのかわからない、どう表現していいのかわからないからといって、それが存在しない、実現し得ないと勘違いするからこそ、人は既に誰もが知っているような凡庸な目標へと突き進んでしまうのではないか。

何と言ったらいいのかわからない、どう表現していいのかわからないことこそ、1年の目標、10年の目標、生涯の目標としては、ふさわしい気がする。

2010年10月24日日曜日

江ノ電愛

今年は江ノ電全線開通100周年なんだとか。

最新車両500形の扉上に設置されている液晶モニターで、江ノ電各駅・各区間の、開通当時と現在を紹介する映像を流していた。

地味に淡々と、江ノ電の今昔を紹介するだけの映像なのだが、クオリティが半端なく高い。

よっぽど江ノ電を愛してる人間じゃないと、あれだけの映像作品は作れないはずだ。

またそれだけの愛情の対象になり得る何かを、江ノ電は持っている。

今日本で、江ノ電ほど人々から愛されている鉄道路線は、他にないと思う。

2010年10月23日土曜日

包丁とキッチン・ナイフ

物の名前が、その物を扱う人間の「体の使い方」に大きな影響を与えることに、最近気づいた。

佐々木が家で料理に使っている包丁は、洋包丁、いわゆる牛刀である。

包丁は英語では「キッチン・ナイフ」と呼ばれる。

西洋の感覚では、包丁はナイフなのである。

ふとそのことを思い出して、「これはナイフなんだ」と思いながら包丁を使ったら、急に自分の全身のあり方が変わって、より刃筋が立った、合理的で楽な切り方ができるようになった。

和包丁と洋包丁の扱い方が違うことぐらい、頭ではわかっていた。

しかし「包丁」という名前に影響されて、洋包丁を「ナイフ」として扱えていなかった。

「ほうちょう」という言葉は、あくまで和包丁の表現として生み出された言語表現だ。

当然、物としての和包丁自体だけでなく、和包丁を合理的に扱う身体のあり方も反映する形で、「ほうちょう」という言葉は生み出され、定着したことだろう。

つまり、「ほうちょう」という音の響き自体が、和包丁を最も合理的に扱う身体のあり方を喚起するようにできているのである。

いくら「ほうちょう」の西洋版だからといって、道具としてのあり方も、それを合理的に扱う身体のあり方も、和包丁とは根本的に異なる洋包丁に、「ほうちょう」という名前を当てはめてしまったのは、ちょっと無理があったのではないか、なんてことを思った。

2010年10月22日金曜日

気持ちのよいバイリンガルたち

日本語は"I"と"You"という概念を持たない言語である。

だがこのことは、日本人が"I"と"You"という概念を持てないことを意味しない。

英語教育が義務教育の課目としてほぼすべての国民に提供され、英語を習得していること自体がステータスと見なされるこの日本においては、本人の意欲がある限り、英語の学習はきわめて容易である。

ひとたび英語の学習を始めれば、"I"と"You"という概念を身につけることなど、わけもない。

英語を第一言語として育ち、"I"と"You"という概念を無意図的に身につけた人々より、むしろ日本語を第一言語として育ち、"I"と"You"という概念を意図的に身につけた人々のほうが、"I"と"You"という概念をより客観的かつ本質的に理解できる、とさえ言えるのではないか。

少なくとも、世界語として通用しない言語を第一言語として育った人々には、世界語として通用する言語を第一言語として育った人々に比べ、第二言語を習得するインセンティブがより強力に働く。

"I"と"You"という概念が存在しない言語と、"I"と"You"という概念が存在する言語の、両方を通して世界を見る能力を身につけるうえで、日本人は、きわめて恵まれた環境にいる国民なのである。

日本語と英語のバイリンガル能力を身につけた日本人は少なくないが、その多くは、話し言葉のレベルのバイリンガルに留まっており、書き言葉のレベルのバイリンガルにまで達した日本人は、決して多くはない。

あえて非常に意地悪で誇張した表現をすると、せっかくのバイリンガル能力を、日本語話者に対しては英語話者として振る舞い、英語話者に対しては日本語話者として振る舞うことによって、自分を偉そうに見せる目的にしか使えていないのではないか、と感じさせるバイリンガルも、ときどきいる。

その多くは、話し言葉のレベルのバイリンガルに留まるバイリンガルである。

一般に書き言葉のレベルに達したバイリンガルたちには、独特の人格的魅力、もしくは気持ちのよさを感じる。

それは、第一言語で文章を書くことの苦労、第二言語で文章を書くことの苦労、その両方を引き受け、一方の苦労で得た力を他方の苦労に役立て、という苦労を積み重ねることを通じて、自分の思考を練り上げてきた人々だけが発する魅力、もしくは気持ちのよさなのではないかと思う。

2010年10月21日木曜日

砂浜

終日小雨。

基本的に雨の日に海や山に行くことはないのだが、しばらくパソコンのモニターをにらみっぱなしで目が参りかけていたので、鎌倉の海岸へ。

夏の晴れた日ならはだしになるのだが、今日は気温が低く小雨も降っているので、靴のまま砂浜に下りる。

砂浜に下りると、体中にびっくりするぐらいの気持ちよさが走った。

全身の細胞がうひゃひゃひゃと笑い出したように。

今日は靴を履いたままなのに、それでも全身に砂の感触が伝わってくる。

アスファルトやコンクリートで地球とのつながりを遮られていることが、体にとって相当ストレスだったのだとわかる。

砂の色やきめ細かさによって、その上に立ったときの全身感覚がだいぶ違って感じられたのは、感覚が研ぎ澄まされてきたせいなのか、それとも気温が低いせいなのか。

白い砂の上より、黒い砂の上のほうが、温かい。

それは単に黒い砂の方が熱の吸収がよいというだけのことなのか。

黒い砂の上では、靴底を通して砂の暖かさが伝わってくるのではなく、全身の細胞がダイレクトに熱を発しはじめる感覚がある。

それがけっこう不思議。

2010年10月20日水曜日

ロシア貴族

古典読破計画、先月はトルストイの『戦争と平和』。

いまだ読破中。

とにかく長い。たいていの世界文学全集で、2巻にまたいで収録されている。文庫だと丸々4巻分。

で、やったら読みにくい。内容がまったく頭に入ってこない。

だが150年近くも世界中で読み継がれてきた作品の内容が理解できないのを、作品のせいにするわけにもいかない。

なので図書館でいろいろな訳者のものにチャレンジ。

岩波文庫改訳版、中央公論新社「世界の文学」版、集英社世界文学全集版、新潮文庫版。

一番読みやすかったのは、新潮文庫(工藤精一郎訳)版。

なのでこれを購入。

既にいろいろな版に目を通したせいもあるだろうが、ようやく内容が頭に入り始める。

作品世界になかなか入り込めなかった理由はいろいろあるだろうが、当時のロシア貴族の生活や認識をまったく思い描けなかったことが、一番大きかったように思う。

この作品で描かれているのが当時のロシア貴族の生活と認識である、というだけではなく、この作品が想定している読者も、当時のロシア貴族だったのではないか。

この作品が当時のロシア貴族向けに書かれたものだ、という想定のもとに、なんとか読者としての自分もロシア貴族になりきって読もうとすると、少しずつ作品の世界が扉を開けはじめた。

2010年10月19日火曜日

底抜けのグルーブ

武術の稽古で「居つかない体のあり方」を追求していると、あらゆる身体運動が、「居ついてるか、居ついてないか」の観点で認知されるようになってくる。

自分の身体運動も、他人の身体運動も含めて。

そういう観点でとらえると、音楽演奏におけるいわゆる「グルーブ」も、その根本にあるのは、リズム・テンポに居つかない、演奏者の体のあり方である。

演奏者の体が「居つき」からどれぐらい解放されているかが、演奏の「グルーブ」の質を決めているのである。

「グルーブがある」と一般に評価されているプロミュージシャンであっても、そのグルーブは、本質的な体のあり方として、両足を床に居つかせたまま、全身をうねらせることで作り出されている、と感じられることが多い。

まぁ当然と言えば当然の体の使い方だ。

ただまれに、あたかも本人が立っている床が抜けて、演奏者の足元のはるか真下から、演奏者本人の身長をはるかに越えるスケールの「身体」がグルーブしているかのように感じさせる演奏を、聴くことがある。

たとえば、ジョン・レジェンドの「Ordinary People」とか、アリシア・キーズの「If I Aint Got You」とか。

今のところ日本人でこういうグルーブが出せるミュージシャンを、佐々木は知らない。

2010年10月18日月曜日

読みもしないのに

日本ではほとんど認知されていないアイン・ランドだが、アメリカでは大卒以上の人間なら基本的に誰でも知っている超有名作家のようだ。

熱心なファンも多い一方で、その徹底した個人主義(=反全体主義)、合理主義(=反宗教、神秘主義)、利己主義(=反利他主義)は、激しい批判・非難にさらされ続けてもいる。

ランドの悪口を言う人のほとんどは、そもそもランドの作品を読んでいないらしい。

読みもしないで悪口を言うなんて、ひどいものだ。

とか思ってたら、読みもしないのに悪口を言いたくなる思想家に、このまえ佐々木も出会ってしまった。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳)で紹介されていた、ジョン・ロールズとかいう思想家。

サンデルの紹介を読む限り、ランドと真逆の思想。

共同体の構成員の全員が「無知のベール」をかぶった状態で共同体のルールを選択する状況になれば、全員、自分が強者なのか弱者なのかもわからないのだから、弱肉強食のルールは選択されず、平等主義のルールが選択されるはずだ、とかなんとか。

紹介文や引用文を読んでるだけで、理論的に論破したくなるというより、感情的に罵倒したくなってくる。

あまりにも反発を覚えたので、ひとつその著書を買って読んでやろうかと思ったが、1冊8千円近くもして、つい購入を躊躇。

ランドを読みもせずにランドの悪口を言う人々の気持ちが、よくわかった。

2010年10月17日日曜日

前に行かなくても前方力、進まなくても進垂線

進垂線は「足裏面内玉上完全鉛直垂体一致軸前後遅速度移動」(高岡英夫『上丹田・中丹田・下丹田』95頁)なのだが、移動しようとするセンターを移動しないように止めておくときに使うのも、進垂線なのではないか。

たとえば背中を丸めていったときとか、腕を挙上していったときとか、自分の体を外部から押されたり引かれたりしたときとか。

なんてことを何年か前に思いついて、周囲の数人に話したら、キョトンとした顔をされた。

昨日急にそれを思い出したので、ここにメモしておく。

2010年10月16日土曜日

セイシャイン・ジャパン

明治維新で日本から武士階級はなくなった。

武士階級の存在を支える社会構造自体が消滅したのである。

だが武士階級とその存在を支える社会構造が消滅した今も、武士たちが持っていた高い精神性は、日本の内外で尊敬と模倣の対象であり続け、民族の誇りの一つとされている。

スポーツの国際試合における日本代表チームの呼称に、武士を表わす「侍」をカタカナ表記した「サムライ」が用いられるのも、その現れだ。

さて以下は、実現可能性0%の未来予想である。

50年後、日本から「正社員」という身分は消滅する。

いわゆる「正規雇用」を可能もしくは必要とする社会構造自体が、消滅するのである。

だが「正社員」および「正規雇用」を可能もしくは必要とする社会構造が消滅したあとも、「正社員」たちが持っていた組織への高い忠誠心と自己犠牲の精神は、日本の内外で尊敬と模倣の対象であり続け、民族の誇りの一つとされ続ける。

そのころには、チームスポーツの国際試合における日本代表チームの呼称に、「正社員」をカタカナ表記した「セイシャイン」が用いられることになるに違いない。

つって。

2010年10月15日金曜日

セルフイメージ

人の話を聴く。

人の写真を撮らせてもらう。

その人の魅力が、できるだけ伝わる言葉づかいを選んで、文章にまとめる。

その人の魅力が、できるだけ伝わる写真を選んで添える。

で、本人にチェックしてもらう。

この言葉づかいはちょっと……この写真はちょっと……と謝絶が入る。

ここではじめて、自分がとらえたその人のイメージと、本人のセルフイメージの間にズレがあることに気づく。

そりゃ、そういうズレがあるのも当然だ、とは思う。

自分だって、録音された自分の声を聞けば「これが俺の声か!」と驚くし、録画された自分の映像を見れば「これが俺の姿か!」と驚くんだから。

ただ、外からとられたその人のイメージと乖離したところに本人のセルフイメージが存在することが、外からその人を見ていてもわからないことに、興味を覚える。

外からとられたその人のイメージ自体は、客観。

外からとられたその人のイメージと乖離したところに本人のセルフイメージが存在すること自体も、現実。

「客観」ってなんだろうなとか思う。

2010年10月14日木曜日

スゴ友

考えてみると佐々木は今まですごい友人、すごい先輩に恵まれてきた。

高校に入学したときは、周囲の人間が読んでる本の、レベルの高さにたまげた。

周りを見ると、夏目漱石だの志賀直哉だの、教科書でしか見たことがないような作家の文庫本を、休み時間に読んでる連中がうようよいる。

当時佐々木が読んでた小説といえば、基本的に辻真先とか井上ひさしとかのお気楽系ばかり。

なんだか恥ずかしくなって、下校途中の本厚木前の有隣堂で、難しげな文庫本を買っては読むようになった。

あの読書人の友人たちがいなかったら、文学だの哲学だのに興味を持つこともなかったかも。

今よりももっと思考が大雑把な人間になってたかも。

大学に入って学生寮に住むようになると、今度はボランティアで自立身体障害者の生活介護やら少年団の指導員やらをしている先輩が、周りにうようよ。

佐々木はボランティア経験なんてそれまでゼロ。

社会はどうあるべきか? みたいな議論が恥ずかしいと思いつつも嫌いではない、空理空論家だった。

これも結局見栄と勢いで自立身体障害者の生活介護やら地域少年団の指導やらに関わるようになって、空理空論のバカバカしさを身に沁みてわからされた。

あの先輩たちにボランティア活動に引っ張り込まれていなかったら、下手すりゃ、いまだに世の中についての空理空論をもてあそぶ人間になってたかも。

大学の合気道部の1つ上の先輩に、とんでもなく明るく素直で前向きな人がいた。

その先輩と接してたら、なにかと暗く屈折して後ろ向きになる自分が、恥ずかしくなってきた。

こんなに明るく素直で前向きでいるのも、ありなんだ、と思った。

あの先輩との出会いがなかったら、佐々木は今の何十倍も暗く屈折して後ろ向きな人間になっていたはず。

佐々木の今の生活に役立っているいろいろな能力や姿勢が、もとをたどると、佐々木がすごい!と感じた友人や先輩との出会いによってもたらされたことがわかる。

2010年10月13日水曜日

アイン・ランド『アンセム』を読んだ

アイン・ランドの『アンセム』(藤森かよこ訳)を読んだ。

藤森さんが訳して日本アイン・ランド研究会のホームページに無料公開してくださっていたものを、だいぶ前にプリントアウトして持っていたのだが、ずっと読み通さないままでいた。

(藤森さん訳の『アンセム』はこちら

なにしろ冒頭の雰囲気があまりにも重苦しかったので。

先月の東京アイン・ランド読者会での脇坂あゆみさんの講演で、"We the Living"、"Anthem"(『アンセム』)、"The Fountainhead"(『水源』)、"Atlas Shrugged"(『肩をすくめるアトラス』)の4作品を読めば、ランドはわかる、と脇坂さんがおっしゃっていたので、読まずにいた『アンセム』、これを機に読み通してしまうことにした。

一応ハッピー・エンドとはいえ、やっぱり最後まで重苦しかった。

でもこの重苦しさが、ランドが20代で脱出した、ソ連の全体主義の重苦しさなのだろう。

結末近くの、次の一節が、心に刺さった。
《わたしは、人々の中からわたしの友を選ぶ。わたしは、友を選ぶのであって、奴隷や主人を選ぶのではない。わたしは、わたしの心にかなう友を選び、その友を愛し尊敬する。友に命令したり、従ったりはしない。お互いにそれを望むときには、互いの手を取り、ときにはひとりで歩く。なぜならば、人間は、自らの精神の殿堂においては、ひとりだから。それぞれの人間が、自らの殿堂を侵されず汚されないように保持することができるようにしよう。その人間が望むときに、他の人間と手をつなぐことを許そう。しかし、そんなときでも、その人間の聖なる殿堂の入り口を踏み越えることはしないでおこう。

自らの選択によるものと、再考したうえでのことでなければ、<我々>という言葉は、語られてはいけない。この言葉を、ひとりの人間の魂の中に最初に置かれては絶対にいけないのだ。そんなことになれば、<我々>という言葉は、怪物になる。この地上のすべての悪の根源となる。多数の人間がひとりの人間を迫害する原因となる。口に出して告発もできない虚偽となる。》(第十一章)
《I shall choose my friends among men, but neither slaves nor masters. And I shall choose only such as please me, and them I shall love and respect, but neither command nor obey. And we shall join our hands when we wish, or walk alone when we so desire. For in the temple of his spirit, each man is alone. Let each man keep his temple untouched and undefiled. Then let him join hands with others if he wishes, but only beyond his holy threshold.

For the word "We" must never be spoken, save by one's choice and as a second thought. This word must never be placed first within man's soul, else it becomes a monster, the root of all the evils on earth, the root of man's torture by men, and of an unspeakable lie. 》
"I"と"You"という概念が存在することが、日本語という言語に比しての、英語という言語の素晴らしさだと、佐々木は常々思っていた。

だが英語を第一言語とする人々でさえ、"I"を主語にした思考が"We"を主語にした思考に押しつぶされてしまう経験をすることがあるのだということが、この作品を読んで一番心に残った。

2010年10月12日火曜日

向こう側に存在するという形でしか存在できないものの存在

『風姿花伝』の有名な言葉、「秘する花」。

この言葉の意味が、ずっと腑に落ちずにいた。
《秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切のこと、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。しかれば、秘事といふことを現はせば、させることにてもなきものなり。これを、させることにてもなしといふ人は、いまだ秘事といふことの大用知らぬがゆゑなり。》(『風姿花伝』「第七 別紙口伝」)
秘事は秘密にするから効果があり、内容を暴露すれば大したことがない……。

それって、ペテンとどう違うのか。

いまひとつわからずにいた。

で、最近、つくづく実感するようになったこと。

向こう側に存在する、という形でしか存在できないものって、あるんだな、と。

礼儀とか作法って、ある面堅苦しいもので、まだ親密になっていない人との間に関係を築いていくうえでの必要悪のようなものだったり、人と人とが親密になっていく過程ではできるだけ解除していったほうがいいものだったり、ときにはどうしても親密になる気になれない人との間に設けられる壁のようなものになったりもするけども、そういう否定的な面だけでなく、肯定的な面もあって、それが存在することでしか立ち上がらない、その向こうに存在するという形でしか存在しない、相手のあり方、というのがあるじゃないか、なんてことを考えていて、思った。

世阿弥が言いたかったこととは、あまり関係がないかもしれないけど。

2010年10月11日月曜日

砂糖

砂糖を使わないと味が整わないような料理は、調理法が根本的に誤っている。

料理研究家の故・丸元淑生が、どこかでそんなことを書いていた。

砂糖を使わないと味が整わないのは、体が必要としている栄養素が、過剰な加熱や加工で失われている証拠。

体が必要としている栄養素を素材から失わせるような調理法は、日常食の調理法としては、根本的に誤り。

特に精製した砂糖は、内蔵に過剰な負担を掛け、内蔵への過剰な負担がさらなる砂糖への欲求を起こさせる点で、麻薬的。

たしかそんなような論旨だった。

きっと正しいと思う。

周囲を観察しても、痩せたいのに痩せられない、とボヤいている人は必ず、家庭でも砂糖を使った料理を食しているように見える。

なので基本的に、料理には砂糖を使わない。

だが佐々木はソース焼きそばが大好きである。

ほぼ毎週作る。

3食分作って2食で平らげる。

ソース焼きそばのソースには、砂糖が大量に使われているに違いない。

あと佐々木は外出先のカフェで仕事をするとき、よくコーヒーと一緒に甘いものを頼んでしまう。

コーヒーだけで1時間も2時間も居るのも悪いし、とか言い訳をして。

土産だお礼だ差し入れだと言って、よく菓子類をもらう。

それもバリバリ食べる。

料理に砂糖を使わないようにしている意味がない。

まぁないってことはないか。

なんでもほどほどだよな。

2010年10月10日日曜日

ジンブレイド、ウナ~アキレス腱のラインを攻める

ジンブレイドのトレーニング、ふくらはぎ側のラインに手をつけ何日かして気づいた。

いきなりふくらはぎ側のライン全部に手をつけるのは、急ぎすぎ。

ラインがでたらめになる。

やっぱり才能もセンスもない人間は、ゆっくり少しずつ攻めないと駄目。

まずはウナ~アキレス腱のライン。

ウナ~アキレス腱のラインだけ取り出してやってみると、この部分の前半と後半でも、感じが違う。

足裏から足横にヌルッと抜ける前半部。

足横からふくらはぎにスッと抜ける後半部。

味わい深い。

2010年10月9日土曜日

"Star Guitar" PV

コンピューターグラフィックって、登場した頃はおそらく、ソフトもハードもえっらいお金の掛かるものだったから、コンピューターグラフィックを使えたのは、コンピューターグラフィックを使わなくてもハイレベルな表現ができる人たちに限られていたのではないかと思う。

コンピューターグラフィックに必要なソフトやハードがどんどん安価になり、ほとんど素人に近い人々にまで普及しはじめたのが、たしか1990年代。

なんか安易にコンピューターグラフィック使ってるなぁ……という感じの画像や映像をそこらじゅうで目にするようになり、佐々木はコンピューターグラフィックっぽい画像や映像を見るだけで、嫌気が差すようになってしまった。

で、2002年にケミカル・ブラザーズの「Star Guitar」という曲のプロモーションビデオを見たときは、というか、そのプロモーションビデオがコンピューターグラフィックで作られていることに気づいたときには、本当にたまげた。

最初見たときは、あーいい曲だな、曲の感じがビデオの車窓風景とよく合ってるな、ぐらいにしか思わなかったから。

コンピューターグラフィックを使う意味があった、と心底納得できる映像作品を見たのは、あのプロモーションビデオがはじめてだった。

その後の佐々木自身の仕事のやり方にまで影響を受けた、と言うと、どう考えてもおこがましい。

だがそう言いたくなるぐらい、大きな衝撃を受けたビデオだった。

その衝撃の中身をあえて言語化すると、以下のような感じか。

●本当にすごい技術は、ぼんやり見てると、すごい技術であることに気づかせない。

●テクノロジーの進歩で、ある作業がより簡単にできるようになったら、それで節約された以上のエネルギーを、創造的な仕事に振り向けなければならない。

●表現においてテクノロジーは手段に過ぎないのであって、「テクノロジーによる表現」が「テクノロジーの表現」になってはならない。あくまでも「身体感覚の表現」の実現手段の一つとしてのテクノロジーでなけれはならない。











2010年10月8日金曜日

本来のナントカ

「本来の○○」というのは、思考停止ポイントになりやすい概念だと思う。

「本来」という言葉が使われるのを見たり聞いたりするたびに、「それって永遠の過去からそうなのか?」と疑うようにしている。

2010年10月7日木曜日

林道散歩

パソコンをカシャカシャやるのが仕事みたいな人間は、ときどき山とか海とか自然に触れる機会を持たないと、体をおかしくすると思う。

なので今日は日中ちょっと丹沢へ。

山に行くと、地球上のあらゆる事物・現象が生命現象なのだということが、よくわかる。

動物や植物のような生物だけではなく、山も川も雲も、道端の石ころも。

なにしろ街中と違って、空に浮かぶ雲や連なる山々や流れゆく川を含めたすべてを、不断かつ相互に浸透していく運動形態そのものとして、眼前に捉えることができる。

そのように捉えた景色の総体を、改めて、生命現象として、運動的かつ統一的に脳に描こうとしたら、脳が悲鳴を上げた。

そんなスケールのでかい運動像は描けない、と。

やっぱり街中で暮らしてると、脳に描かれる運動像が縮こまるなと思った。











2010年10月6日水曜日

骨と皮

これまでほとんど手をつけてこなかった、ジンブレイドのふくらはぎ側のラインに、少し手をつけはじめている。

ジンブレイドのふくらはぎ側のラインを使うと、腰椎や胸椎の、腹側の意識が活性化される。

そりゃそうだよな。

ジンブレイドは支持点の集合なんだし、支持点は重心落下点とセットで機能するものなんだし、重心落下点はセンターの切片なんだし、センターは腰椎や胸椎の前を通ってるんだし、ジンブレイドをスムーズに使おうと思ったら腰椎や胸椎が反らないようにしないといけないんだし。

で、腰椎や胸椎の腹側の意識が活性化すれば、骨格全体の意識が活性化される。

あと、ジンブレイドのふくらはぎ側のラインを使うと、皮膚の意識も活性化される。

そりゃそうだ。

ふくらはぎの表面を支持点が正確に上がっていくためには、支持点がふくらはぎの皮膚よりも外に行っても、内に行ってもいけない。だからふくらはぎの皮膚の形状を、正確に意識しなければならない。ふくらはぎの皮膚の意識が活性化すれば、体全体の皮膚の意識が活性化する。

結果、全身の骨格と皮膚の意識が活性化する。

極端に言うと、内臓や筋肉が消えて、骨格の上に皮膚がおおいかぶさっているような。

「骨と皮」と言えば飢餓の象徴で、あまりいいイメージではない。

でもこの「骨と皮」のイメージは、けっこう愉快。

2010年10月5日火曜日

フロム『愛するということ』を読んだ

古典読書会。

先月の課題は、エーリッヒ・フロム『愛するということ』。

パッと燃え上がった恋愛感情は、あっというまに冷めて、憎しみに変わる。

そんなようなことが、この本のどこかに書いてあったと思う。

この本に対する佐々木の感情が、まさにそんな感じだった。

最初ざっと通読したときは、高尚で深遠な名文句の数々の虜になり、あちこち傍線引きまくってしまった。

2回目、熟読してみると、急に著者の思考のアラが目につき始め、最後は心の中で著者を罵倒しまくりだった。

感情レベルの愛は真の愛ではないのだ、みたいなことを、フロムはしきりに書いている。

たしかに感情レベルの愛が、感情レベルの愛のまま持続することはないだろう。

しかしだからといって、感情レベルの愛は真の愛ではないというのは、ヘンではないか。

ヘーゲルが『精神現象学』で、「つぼみが花になり、花が実になるからといって、つぼみや花は、植物のあり方として偽であった、ということはない。つぼみ、花、実、それぞれが、植物にとって同じように必然的なのだし、つぼみ、花、実、と流動していくことこそが、植物の本性なのだ」みたいなことを書いている。

感情レベルの愛が、やがて憎しみに変わるか、意志レベルの愛にレベルアップするかしなければならないからいって、感情レベルの愛を「真の愛ではない」と否定するのは、つぼみは花になり花は実になるのだから、つぼみや花は「真の植物ではない」と否定するようなものなのでは?

現実に存在するものを指して「真の○○ではない」と断じ、現実には存在しえないものを「真の○○」として描いてみせる人たちは、だいたいおかしな政治的主張をしはじめるものだ。

フロムもそうだった。

最後のほうを読むと、資本主義を廃絶しなければ人は「真の愛」を享受できない、みたいなことを主張している。

この男が夢想する理想社会は、絶対、愛の対象をより好みするような「真の愛を知らない」「利己的な」人間が、もれなく思想改造か処刑の対象になるような、ヒットラーもスターリンもびっくりの全体主義社会に違いない、と思った。

アイン・ランドが、愛の対象をより好みすることの当然さをあれほど主張していた理由が、この本を読んでよくわかった。

2010年10月4日月曜日

辻真先さんのつぶやき

ミステリ作家・アニメ脚本家の辻真先さんがTwitterをされていることを、最近知った。

http://twitter.com/mtsujiji

佐々木は中学生から高校生のころ、辻さんのミステリ小説の大ファンだった。

そのころ辻さんが書かれた作品は、ほぼすべて読んでると思う。

当時すでにベテラン作家だった辻さん、現在はもう78歳だとか。

衝撃、と言ってよいほど驚きだったのは、Twitterで辻さんが書かれているつぶやきの、読み心地の良さ。

Twitterらしく、本当に気軽な感じで身辺雑記を書かれているだけなのだが、読んでいて不思議なくらい、ほんわかと温かな気持ちになってくる。

緊張や不安や反発を、みじんも感じさせない。

これだけ読み心地のよい言葉をつぶやき続けているTwitter利用者を、佐々木は他に知らない。

これって、単に好みの問題だろうか。

違うと思うのだが。

読者にとっての読み心地への気配りが、既に血肉化しているからこそ、ごく簡単に書き散らしたような文章でさえ、あれだけ気持ちのよい表現になるのだと思う。

動けば技になる、ではないが、書けば達文の境地、とでもいうか。

書き言葉のホスピタリティの権化、とでもいうか。

80歳近くなられても、あれだけ心地の良いコミュニケーションができる存在でいられる、というのは、大きな希望。

2010年10月3日日曜日

エッセイ700連発

この日記も今日で700日目。

あと300日で1000日連続更新である。

1000日連続更新。

それを果たしたあたりで得られる自己成長に、今から大きな期待を持っている。

「石の上にも3年」の「3年」とは、単なる語呂の良さで選ばれた数字ではあるまい。

何事も1000日続ければ別次元の世界が開ける。

そのことが多くの先人たちによって体験・実証されてきたからこそ、「3年」という数字が格言という形で定着したのだろう。

天才と呼ばれる人たちは、こうした反復信仰に異議を唱えることが少なくない。

大事なのは正しいやり方に1日も早く気付くことであって、間違ったやり方を何千日続けても、正しいやり方は身につかない、というわけだ。

お説ごもっとも、と思う。

ただその正しいやり方に気付くセンスやスピードについて、佐々木にはある種のあきらめがある。

何年もやり続けてようやくわかる。

それ以外の形での成功体験が、佐々木にはない。

それは才能がない、ということなのだろうなのだろうが、才能がなかったおかげで、反復・継続する才能だけは身についた、とも言えるのではないか。

毎日書き続けるため、日記の長さや内容については、ハードルをできるだけ低くしている。

1行でもよし。

内容もくだらなくてよし。

ただ、単なる出来事を書くのではなく、必ず自分なりの発見や洞察を書くようには心がけている。

文章化して公開できるだけの発見や洞察が毎日1つあるということは、文章化されなかったり、公開できなかったりする発見や洞察が、少なくともその3倍から5倍はあるということだ。

1週間で最低20~30。

1年間で最低1000~1500。

それだけの発見や洞察を積み重ねていけるなら、年齢を重ねていくことに期待や喜びを持つことも、許されるような気がする。

2010年10月2日土曜日

サトイモを皮つきで煮てみた

ダイコンもニンジンも、ゴボウもレンコンもジャガイモも、基本的に皮をむかずに調理している。

野菜は皮ごと食べたほうが、栄養的によいと言うので。

ただ、さすがにサトイモばかりは、必ず皮をむいて使っていた。

あの泥と区別がつかないようなヒゲだらけの皮は、とても口に入れていいものには感じられなかった。

だが今日、思い切って、サトイモを皮ごと煮てみた。

ここのところ外食が続いて、体が自然食っぽいものに飢えてたこともあったし。

泥だらけのサトイモを洗いながら、鍋にたっぷりの湯を沸かす。

洗ったサトイモを、皮ごと4つから8つに切る。

塩を多めにふって手で揉み、ぬめりを出す。

湯が沸いたところで、ぬめりを出したサトイモをざっと水洗いし、鍋に入れる。

鍋に少し酢をたらす。

2分ほど沸騰させて、火をとめる。

ふたをして10分ほど置く。

その間に昆布とカツオ節で出汁を取り、酒と醤油で調味しておく。

10分置いた鍋から湯を捨て、調味した出汁を注ぎ、沸騰させ、とろ火にし、串が通るぐらいの柔らかさになるまで煮る。

今回は皮ごとなので、40分ぐらい煮てみた。

完成。

ビジュアル的にそうとうエグい。

モザイクが必要かもしれない。



食べた感想。

皮はぎりぎり食べられる固さ。

中身はやたらと柔らかい。

皮と中身が調和してない。

まぁまぁ、普通に食べられはする、という程度の味。

体にはたぶんいい。

もう一度やるかは、微妙なところ。

2010年10月1日金曜日

東北本線

取材で宮城県角田市へ。

行きは大宮から福島まで新幹線を使い、約4時間。

電車の中でも仕事はできるので、帰りは在来線を使って、約7時間。

ミスを取り返すための仕事だったから、交通費、節約したかったし。

ポメラとICレコーダーを膝に乗せて書きまくる。



むしろ電車の中のほうが集中できるくらい。

息抜きに、なんとなく車窓をパシャパシャ。













2010年9月30日木曜日

ジンブレイドとセンターの前後関係

ジンブレイドの、足の裏を通るラインだけを、毎日のように棒の角で刺激してトレーニングした結果、足の裏のラインと、足首からふくらはぎを通るラインとの間に、かなり意識の濃さの違いが出てしまった。

ジンブレイドの、足の裏を通るラインは、基本姿勢のセンターよりも前。

ジンブレイドの、足首からふくらはぎを通るラインは、基本姿勢のセンターよりも後ろ。

センターの前にだけ意識のラインが形成されて、センターの後ろに意識が形成されてないと、怖くて、身を任せられない。

ということがわかる程度には、足の裏を通る意識のラインが形成されてきた。

2010年9月29日水曜日

ここだしここじゃないし

背骨を1本1本独立して動かすトレーニングをするとき、動かしたい背骨を誰かに後ろから指でつまんでもらいながら、「ここだよ、ここだよ」と言ってもらうと、その背骨の意識が高まって、動かしやすくなる。

ただ、背中から指でつまめる部分は、正確には、背骨の中でも棘突起(きょくとっき)と呼ばれる部分であって、椎体(ついたい)と呼ばれる背骨の本体部分ではない。

もちろん、棘突起も椎体も一体となって1個の背骨を構成しているのだから、棘突起を動かせば椎体も動くし、椎体を動かせば棘突起も動く。

ただ、全身運動への影響という観点から見ると、棘突起を動かした結果として椎体が動くのと、椎体を動かした結果として棘突起が動くのは、やはり別の運動だ。

だから、あくまで椎体を動かすのであって、棘突起を動かすのではない、という意識でトレーニングするためには、むしろ後ろから背骨(=棘突起)をつまんでもらいながら、「ここじゃないよ、ここじゃないよ(もっと奥だよ)」と言ってもらったほうがいい、ということになる。

ここだし。

ここじゃないし。

あーややこしい。

2010年9月28日火曜日

恐怖への無自覚

立位って、実はすごく恐ろしい姿勢だ。

縦に長い棒のような体で、あんな高い位置に、脳という大事な器官を上げておくなんて。

人間の頭部が、あの高さから地面に落ちたら、下手すれば絶命である。

だから立位の姿勢でいるとき、体は、自分自身の転倒を、ものすごく怖がっているはずだ。

だが本人の意識は、この恐怖を、まったくといっていいほど自覚していない。

ゆる体操やら身体意識のトレーニングをやり込んだ結果として、このことを強く自覚するようになったのは、たしか今年に入ってからのことだ。

そういう身体レベルでの恐怖とは別に、行動レベルでの恐怖というのもある。

拒絶されることへの恐怖だとか、恥をかくことへの恐怖だとか。

自分が感じているそういう恐怖から目を背ける傾向というのも、人間にはある。

で、身体レベルでの恐怖に対する無自覚と、行動レベルでの恐怖に対する無自覚は、どういう関係になってるのかということを、今つらつらと考えている。

2010年9月27日月曜日

プラマイプラプラ

思いがけない臨時収入があったその翌週、その収入がちょうど吹っ飛ぶだけのミスを、仕事でやらかした。

プラマイ、ゼロ。

臨時収入があったことからも、ミスをやらかしたことからも、学ぶことはあった。

なのでやっぱりプラス。

そういう風に考え直せたこともプラス。

2010年9月26日日曜日

股関節周辺から吐き気

ゆる体操をやっていて、これまでゆるんでなかった部位が急激にゆるむと、その部分にたまっていた“邪気”が解き放たれたかのように吐き気がこみ上げてきて、空嘔吐をしてしまうことがある。

佐々木だけかもしれないけど。

今月のはじめごろは腰椎の前側から吐き気。

武術の稽古で背骨をやたらと使った影響。

今日は股関節周辺から吐き気。

ここ何週間か「太ももユッタリ開閉体操」に時間を掛けている影響。

2010年9月25日土曜日

自分1人の重み、自分自身の重み

5人の集まりなら、全体に占める自分1人の重みは、5分の1。

10人の集まりなら、10分の1。

100人の集まりなら、100分の1。

不思議なのは、「全体に占める自分1人の重み」が減るのに応じて、「自分自身の重み」まで減らされるような、減らさなければならないような、気になることがあること。

仮に1人でいるときの自分を「本来の自分」とするとして、5人の集まりなら、本来の自分の重みを、5分の1に減らされるような、減らさなければならないような。

10人の集まりなら、10分の1に。

100人の集まりなら、100分の1に。

組織の中でうまく自分を活かす能力に、まだまだ改善の余地あり、ということなのだと思う。

2010年9月24日金曜日

仙台

取材で仙台へ。

仙台駅周辺は、新しい建物が多くて道が広い。

街全体が小ぎれい。

どぎつい看板も少なく、上品で落ち着いた雰囲気。

道ゆく人々まで、落ち着いた印象。

案内してくれた地元の男性(50歳前後)によると、仙台人は現状に甘んじる傾向が強く、そのくせ妙にひねくれたところがあるのだとか。

親近感を覚える。

こういう街を作る人たちとは気持ちよく暮らしていけるかもと思ったり。

あまり自分と似た気質の人々と暮らしていくのも退屈なのかもと思ったり。

2010年9月23日木曜日

アルコールと聴力

自分は酔っぱらうと耳が遠くなる人間、とこれまで思ってきた。

飲み会などでお酒が入ると急に、周囲の人が何を言ってるのかわからなくなることが、多かったから。

が、先日のアイン・ランド読者会後の懇親会では、そこそこの量飲んだわりには、周囲の人の話が聞こえにくくなることが、最後までなかった。

酔っぱらうと耳が遠くなる、というのは、正確には、自分にとってどうでもいい話までわざわざ聞き取るだけの集中力がなくなる、ということだったらしい。

2010年9月22日水曜日

Twitter 365日

去年の9月22日にTwitterを始めて、ちょうど1年が経った。

自分の心に響いた言葉を、1日に1つ。

365日、1日も休まず、投稿し続けることができた。

誰が褒めてくれるわけでもない。

実際、褒めるに値するほどのことでもない。

なので、自分で自分を褒めることにする。

すごーい、俺!

(↑バカ)

自分に「毎日少しずつ」的な根気のよさがあることの、一つの証明にはなったのではないか。

あるいは、「自分で決めたルールは守りたい」という欲求の強さというか。

そういう欲求は、「他人が決めたルールには従いたくない」という欲求の裏返しなのかもしれないけど。

いわゆる名言と呼ばれる言葉の中には、人生への諦観や他人への軽蔑を語ったものが、少なくない。

そういう言葉はできるだけ選ばず、できるだけ、自分自身の行動に結び付く言葉を選ぶように、心がけている。

現状、人生を諦めたり、他人を軽蔑したりしてる余裕はないし。

これまで投稿した中で、特に好きな言葉をあえて一つ選ぶなら、ジョージ・ワインバーグの「希望はあなたを見捨てない。あなたが希望を見捨てるのだ(Hope never abandons you, you abandon hope.)」だろうか。

希望など捨てたくなるような現実があることを認め、それでもなお希望を捨ててはならないと説くところが、優しい。

以下に、これまでの365日で投稿した言葉を列挙する。

「人は年たけ性格が完成せられて、はじめて友愛の意義を悟ることができよう」
-キケロ
about 23 hours ago webから


「一日を有意義に過ごすと幸せな眠りにつくことができるように、人生を有意義に過ごすと幸せな死を迎えることができる」
-レオナルド・ダ・ヴィンチ
2010年9月20日 22:49:42 webから


《彼の涙は流れるが、その心は折れない》
-ヴェルギリウス
2010年9月19日 23:47:26 webから


《「理性がひとりでに働くことはない。考えることは機械的な過程ではない。論理による関連づけは本能的には起こらない。胃や肺や心臓の機能は自動的だが、頭は違う。」》
-アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』
2010年9月18日 23:29:30 webから


《事件に向かって怒ってもしかたがない。いくら怒っても事件はびくともしない》
-プルタルコス
2010年9月17日 15:55:57 webから


《人間のあいだの友情と愛とは、こうした関係の最良のものにさえしばしば起りがちなように、上品なお楽しみに堕してはならない。むしろ、おたがいの内的進歩をつねに眼中におくことが大切である》
-カール・ヒルティ
2010年9月16日 23:54:54 webから


「昇ることを許されているステップは無限にある」
-作者不詳
2010年9月15日 23:50:04 webから


「“生きる理由”を持つ者は、ほぼいかなる“生き方”にも耐えられる」
-フリードリヒ・ニーチェ
2010年9月14日 23:51:15 webから


《明敏さとは、非明敏さが三の可能性を見るところに、十の可能性を見ることにある。それは拡大作用である。》
-ポール・ヴァレリー
2010年9月13日 23:37:10 webから


「自分がその解決に向けて何がしかの貢献ができるなら、世の中に小さすぎる問題も、つまらなすぎる問題もありません」
-リチャード・P・ファインマン
2010年9月12日 21:43:41 webから


「安楽と平穏の中で人格が成長することはありません。試練と受難を通じてのみ魂は強くなり、ビジョンは明確になり、大志は鼓舞され、成功は達成されます」
-ヘレン・ケラー
2010年9月11日 23:55:38 webから


「最大の成功は最大の失望の後に訪れる」
-ヘンリー・ウォード・ビーカー
2010年9月10日 23:39:29 webから


「人格は人生の重大な場面でその姿を明らかにするが、その形成は、日々の小さな場面の積み重ねの中で行われる」
-フィリップス・ブルックス
2010年9月9日 23:51:26 webから


「反省しつつ前へ前へ」
-デビット伊東
2010年9月8日 23:49:53 webから


「私が成功できたのは、最高のアドバイスに真摯に耳を傾け、それと正反対のことをやったからだ」
-ギルバート・ケイス・チェスタートン
2010年9月7日 23:54:39 webから


「相手が大きくうなずいて何も言わないときは、自分が話すのをやめるときだ」
-ヘンリーS.ハスキンズ
2010年9月6日 23:30:50 webから


「ある人が君をどう思っているか知りたかったら、そいつを怒らせてみればいい」
-オリバー・ウェンデル・ホームズ
2010年9月5日 23:23:50 webから


《できないと思わないこと。アイデアと行動はそこからしか生まれない》
-日垣隆
2010年9月4日 23:51:03 webから


「つまらないことに大げさな言葉を使うようになってはいけない」
-サミュエル・ジョンソン
2010年9月3日 23:44:36 webから


「変化から逃げても過去は戻らない。ただ未来が失われるだけだ」
-キャスリーン・ノーリス
2010年9月2日 23:37:05 webから


「成長する過程で私が学んだことの一つは、自分が自分をどう見るかということのほうが、他人が自分をどう見るかということより重要だということだ」
-アンワル・エル・サダト
2010年9月1日 22:54:15 webから


「あなたの力に見合う仕事を願うのではなく、あなたの仕事に見合う力を願いなさい」
-フィリップス・ブルックス
2010年8月31日 23:26:29 webから


「我々が繰り返し行っていることが、我々の正体である。だから卓越は、行為ではなく習慣である」
-アリストテレス
2010年8月30日 22:53:12 webから


「人生は苛酷だけど、その苛酷さをを笑える力があれば、苛酷さを楽しめるようになる」
-サルマ・ハエック
2010年8月29日 22:26:11 webから


《部分的に悲観し全体に楽観せよ》
-三宅雪嶺
2010年8月28日 22:33:37 Keitai Webから


《人を咎めず、我が誠の足りざるを尋ぬべし》
-西郷隆盛
2010年8月27日 22:16:25 Keitai Webから


《わたしたちが苦しんでいる病気はなおすことができるし、よき者として生まれついているわたしたちは、自分を矯正しようと望むなら、自然の助けを借りることができる》
-セネカ
2010年8月26日 22:15:13 Keitai Webから


《新しい時代が壁にぶつかっているのなら、それはかつて存在した「重要な古さ」を見捨てたせいだと思っている。だから私は、「見捨てられたまんまの古さ」に関心がある》
-橋本治
2010年8月25日 23:35:21 webから


「子どもはみんなアーチストだ。問題はどうすれば大人になってからもアーチストでいつづけられるかだ」
-パブロ・ピカソ
2010年8月24日 23:44:57 webから


《There is no duty we so much underrate as the duty of being happy.(幸せでいる義務ほど過小評価されている義務はない)》
-ロバート・ルイス・スティーヴンソン
2010年8月23日 23:41:36 webから


《Live neither in the past nor in the future, but let each day's work absorb your entire energies, and satisfy your widest ambition.(過去にも未来にも生きず、あなたのエネルギーのすべてをその日一日の仕事と勉強に費やし、あなたの望みを最大限に満足させなさい)》
-ウイリアム・オスラー
2010年8月22日 23:49:44 webから


《"Throughout the centuries there were men who took first steps down new roads armed with nothing but their own vision. Their goals differed, but they all had this in common: that the step was first, the road new, the vision unborrowed, and the response they received--hatred."(「人類の歴史を通じて、自らのビジョン以外、携えるものが何一つないまま新しい道へと踏み出す者が、常に存在しました。彼らの目指すところはさまざまでしたが、全員に共通することがありました。それは彼らの一歩が本当の第一歩だったこと。彼らの道が新しい道だったこと。彼らのビジョンが借り物ではなかったこと。そして彼らが受けた反応が、憎悪だったことです」)》
-アイン・ランド "The Fountainhead"
2010年8月21日 23:37:49 webから


「労働が肉体を強くするように、困難は精神を強くする」
-セネカ
2010年8月20日 23:43:36 webから


「仕事を楽しむ秘訣は卓越である。あることをうまくやる方法がわかればそのことを楽しめる」
-パール・バック
2010年8月19日 23:23:27 webから


「君が人生を愛すると、人生が君を愛し返してくれる」
-アルトゥール・ルービンシュタイン
2010年8月18日 23:46:23 webから


「強固な意志のあるところに強固な困難はあり得ない」
-ニッコロ・マキャヴェッリ
2010年8月17日 23:03:43 webから


「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである》
-岡倉天心
2010年8月16日 22:59:16 Keitai Webから


「まず我々が習慣を形成する。すると習慣が我々を形成する。君が悪しき習慣を潰さない限り、習慣が君を潰す」
-ロブ・ギルバート
2010年8月15日 22:10:39 webから


「押されもしないうちから倒れるな」
-イングランドの格言
2010年8月14日 23:31:59 webから


《尊敬とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。尊敬とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうことである》
-エーリッヒ・フロム
2010年8月13日 23:29:07 webから


《大切なのは、あなたがどこにいるかとか、どこにいたかということではない。どこへ行こうとしているかということなのである》
-ダビッド・J・シュワルツ
2010年8月12日 23:44:02 webから


「今その場所にいる誰もが、かつて自分がいた場所から始めなければならなかった」
-ロバート・ルイス・スティーヴンソン
2010年8月11日 23:50:14 webから


《たいていの人々は、自分で決心した程度だけ幸福になれる》
-エイブラハム・リンカーン
2010年8月10日 23:45:43 webから


《We turn not older with years, but newer every day.(我々は年々年をとるのではなく、1日ごとに新しい自分になるのだ)》
-エミリー・ディキンソン
2010年8月9日 23:39:53 webから


「友人とは、あなたの過去を理解し、あなたの未来を信じ、あなたのあるがままを受け入れる人である」
-作者不詳
2010年8月8日 22:55:02 webから


「人間は逆境への耐え方によって測られる」
-プルタルコス
2010年8月7日 23:26:09 webから


「権力を持つ唯一の利点は、より多くの善を行えるようになることである」
-バルタザール・グラシアン
2010年8月6日 23:40:34 webから


《知性とは驚く能力のことである》
-ロラン・バルト
2010年8月5日 23:32:22 webから


「失敗とは、より賢くやり直すための機会である」
-ヘンリー・フォード
2010年8月4日 22:41:03 webから


《人生とは元来どう決断していいかわからないように出来上がっている》
-亀井勝一郎
2010年8月3日 22:55:54 webから


「シニカルだからといって地に足が付いているということもないし、したたかということもない。シニシズムの意味するところは、自分は挑戦する必要がない、ということなのだから」
-ペギー・ヌーナン
2010年8月2日 22:41:22 webから


「世の中を動かす最も力強い要因は、善意の精力的な人々が抱く明確なアイデアである」
-ジョン・アーサー・トムソン
2010年8月1日 23:23:20 webから


「誰もが重荷を背負っている。重要なのはそれをどう運ぶかである」
-マール・ミラー
2010年7月31日 23:25:41 webから


「真にすばらしい友人は見つけにくく、別れがたく、忘れえない」
-作者不詳
2010年7月30日 23:08:31 webから


「それが解決できる問題なら、何を悩む必要があるだろう。それが解決できない問題なら、悩むことに何の意味があるだろう」
-寂天
2010年7月29日 22:34:13 webから


《善行とは他人の顔に歓喜の微笑をもたらす行為である》
-ムハンマド
2010年7月28日 22:45:13 webから


《進歩を信じるとは、進歩がすでに行われたと信じることではない。これでは信じる、とは言えないだろう》
-フランツ・カフカ
2010年7月27日 23:53:46 webから


「加齢を死への下り坂と見なすのは誤りである。真実は逆で、人は年齢を重ねるごとに、驚くべき歩幅で上り坂を上がっていく」
-ジョルジュ・サンド
2010年7月26日 23:24:09 webから


「教育の最高の成果は忍耐である」
-ヘレン・ケラー
2010年7月25日 23:51:43 webから


《「臆病者は死ぬまでに何度も死ぬ思いをする、勇者が死を味わうのは一回かぎりのことだ。おれもこれまで、さまざまな不思議を耳にしたが、なかでもわからぬのは人が死を恐れることだ、考えてもみろ、死とはまぬがれがたい帰結だ、くるときには必ずくる」》
-シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」
2010年7月24日 23:47:13 webから


《「作者に会って、作品への思いが台無しになるようなはめになるのは御免だ。作者なんてものは会えば、がっかりさせられる。作者の持っている才能と比較すれば、作者の人格など実につまらないものだ」》
-アイン・ランド『水源』
2010年7月23日 23:32:46 webから


《ある種の社会的不幸に際会したときに、「その変動から受益している単一の張本人」がいると推論して、それを特定し排除しさえすれば世の中はふたたび「原初の清浄」に戻るという思考のしかたのことを「陰謀史観」と呼ぶが、世の中は残念ながらそれほど単純な作りにはなっていない》
-内田樹
2010年7月22日 23:48:25 webから


「嘘の自分を愛されるより本当の自分を嫌われたほうがいい」
-アンドレ・ジッド
2010年7月21日 22:35:31 webから


《たくさんの悲哀を体験した人が必ずしも優しいというわけではないけれども、たくさんの悲哀を体験し、なおかつそれらを克服してきた人は総じて魅力的だ》
-日垣隆
2010年7月20日 22:42:28 webから


「一瞬の洞察が、ときに生涯の経験にも匹敵する価値を持つ」
-オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
2010年7月19日 23:02:32 webから


《人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し。急くべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りを敵と思え、勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり》
-徳川家康
2010年7月18日 23:16:33 webから


「何が不可能かを言うことは難しい。昨日までの夢想は今日の希望であり、明日の現実なのだから」
-ロバート・ゴダード
2010年7月17日 23:19:42 webから


「人間に最後まで残される自由は、与えられたいかなる環境においても自己の態度を選択できる自由である」
-ヴィクトール・エミール・フランクル
2010年7月16日 23:52:21 webから


「日記を1年書き続けた人は何事かを成す人である。日記を10年書き続けた人は何事かを成した人である」
-作者不詳
2010年7月15日 22:42:04 webから


《ある観念を表現する言葉が見つからない場合、ほとんどはその観念を考え抜いていないのが原因である。言いたいことがはっきりわかっている場合には、言葉で表わすのは難かしくない》
-エリック・ホッファー
2010年7月14日 23:01:05 webから


《身をゆるめ、意を鍛え、気を導き、心を放つ》
-高岡英夫
2010年7月13日 23:48:57 webから


「心が傷つくたびに私たちは、人がどのような愛を求めているかを知ることができます」
-マーサ・ベック
2010年7月12日 23:32:51 webから


「静穏の中でこそ学べることもあれば、嵐の中でこそ学べることもある」
-ウィラ・キャザー
2010年7月11日 22:03:27 webから


「君の仕事が自ら語っているのなら、通訳などするな」
-ヘンリー・J・カイザー
2010年7月10日 21:47:04 webから


「恐怖は自らの内に留めよ。勇気は他者と共有せよ」
-ロバート・ルイス・スティーヴンソン
2010年7月9日 21:25:41 webから


「希望を持たなければ希望の彼方にあるものを見ることもない」
-アレクサンドリアのクレメンス
2010年7月8日 22:39:38 webから


《不藏怒焉、不宿怨焉》(怒りを蔵[かく]さず、怨[うら]みを宿[とど]めず)
-孟子
2010年7月7日 21:32:01 webから


《世界一を目指していないと三流にもなれない》
-南郷継正
2010年7月6日 23:46:52 webから


「親友とは、君の成功を嫉妬心を交えないで喜べる人である」
-キングスレイ・ウォード
2010年7月5日 23:48:21 webから


「どんな厚い雲の上にも、太陽は輝いている。そのことを忘れてはならない」
-作者不詳
2010年7月4日 22:23:02 webから


《少にして学べば壮にして為すなり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず》
-佐藤一斎
2010年7月3日 22:29:35 webから


《幸運とは計画の副産物にほかならない》
-ブランチ・リッキー
2010年7月2日 23:49:59 webから


《すべての出会いは、世の中にとって価値あることを創造するために起こっている》
-神田昌典
2010年7月1日 22:54:07 webから


《人生とは実に不思議なもので、「目的」はそれが期待した結果と逆の「結果」をもたらします。目的を達成する途中で、その人が描く世界は「他のものがそのままで、目的だけ達成した状態」なのですが、実は目的が達成されたときには、その他のものも一緒に変わっていくのです。》
-武田邦彦
2010年6月30日 22:36:58 webから


《「ところで、二、三、言い聞かせたいことがある、胸に刻みつけておけ。まず思ったことを口にするな。またとっぴな考えを軽々しく行動に移してはならぬ。人に親しむはよし、だがなれなれしくはするな。語るにたる友と見きわめをつけたら、たとえ鉄のたがで縛りつけても離すでない、だが羽根もそろわぬヒヨコのような仲間と、だれかれかまわず握手して手の皮を厚くするな。喧嘩には巻きこまれぬよう用心せねばならぬが、いったん巻きこまれたら相手が用心するまでやれ。人の話には耳を傾け、自分の判断はひかえるのだ。財布の許すかぎり着るものには金をかけるがいい、風変わりなのはいかんぞ、上等であって派手でないのだ、服装はしばしばその人柄をあらわすという、この点については、フランスの貴族たち、あるいはえりぬきの人たちは第一人者だ。金は借りてもいかんが貸してもいかん、貸せば金はもとより友人まで失うことになり、借りれば倹約する心がにぶるというものだ。なにより肝心なのは、自己に忠実であれということだ、そうすれば、夜が昼につづくように間違いなく他人にたいしても忠実にならざるをえまい。」》
-シェイクスピア「ハムレット」
2010年6月29日 23:06:21 webから


《自信と誇りをもてれば、その人はまわりの人を見下さないようになります》
-植松努
2010年6月28日 22:46:22 webから


《他人を扱うように自分自身を扱えるほど--それほど自分自身に向かって冷淡に、それほど誠実に、それほど疑い深くなれるくらい、強い人間は存在しない》
-ポール・ヴァレリー
2010年6月27日 22:19:59 webから


《気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません》
-ジェームズ・アレン
2010年6月26日 23:22:04 webから


《目指す港を知らぬ者にとっては、いかなる風も順風にならない》
-セネカ
2010年6月25日 22:51:18 webから


「旧友こそ最高の鏡」
-ジョージ・ハーバート
2010年6月24日 22:19:26 webから


《結局のところ、人間はだれも自分のあやまちに対してつぐないをさせられる。このことをよく知る人間は、だれにも腹を立てず、だれをもうらむことなく、だれの悪口を言うこともなく、だれをも非難せず、だれをも不快にすることなく、だれをも憎まないであろう》
-エピクテトス
2010年6月23日 22:15:11 webから


《計画的であるということは、現在取り組んでいる問題は、とりわけ重要で特別差し迫ったものであり、いちばんの関心事であるということだ》
-フィリップ・マグロー
2010年6月22日 22:59:39 webから


《人間は人生を理解するためにではなく、人生を生きるためにつくられている》
-ジョージ・サンタヤナ
2010年6月21日 22:49:27 webから


《「まあいいだろう」ほどあとあと後悔することはない》
-勝谷誠彦
2010年6月20日 22:35:57 webから


《自由な人間というものは嫉妬心などもたず、高貴な偉業をすすんでみとめ、それが存在することによろこびを感じるものです》
-ヘーゲル
2010年6月19日 23:02:56 webから


《「どうせ無理」を社会からなくしたい》
-植松努
2010年6月18日 21:49:38 webから


「感情をあらわにしたことを詫びるべきではない。それは真実を詫びることだ」
-ベンジャミン・ディズレーリ
2010年6月17日 23:35:19 webから


《Coming together is a beginning, staying together is progress, and working together is success.(一緒にたどり着くのが始まり。一緒に踏みとどまるのが進歩。一緒にうまくいかせるのが成功)》
-ヘンリー・フォード
2010年6月16日 22:51:29 webから


「栄誉は防衛する必要がない」
-ロバート・J・ソウヤー
2010年6月15日 23:46:43 webから


「勝ったときは何も語らない。負けたときは言葉少なく」
-ポール・ブラウン
2010年6月14日 22:24:26 webから


《どんな職業であれ、偉大な力を出す人と人並み以下の力しか出せない人の差は、日々自己変革する想像力と熱意をもつか否かで決まる》
-トム・ピーターズ
2010年6月13日 21:53:26 webから


「友人とは第二の自己である」
-アリストテレス
2010年6月12日 23:44:42 webから


《この世で最もあわれなのは、老年になって、その半ばもしくは全部がいたずらに過ごされてしまった己の過去をふり返って、それをもっと立派に送ることができたのに、と思う時である》
-カール・ヒルティ
2010年6月11日 23:45:01 webから


「最高の勇気とはありのままの自分を見せることだ」
-ジョン・ランカスター・スポールディング
2010年6月10日 23:01:55 webから


「失敗は生徒に人気のない教師のようなものだ。誰も彼から学びたがらない。彼から学ばずには誰も成功できない」
-ジョニー・パンガリア
2010年6月9日 23:01:35 webから


《なんでもいいから、何か始めよう。始めたら、それを続けよう》
-トム・ピーターズ
2010年6月8日 23:46:47 webから


《危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのだ。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にない》
-ヘレン・ケラー
2010年6月7日 23:42:30 webから


「道徳的になり過ぎると人生を無駄にしかねない。道徳よりもっと高いところを目指せ。漠然と良い人間になるのではなく、何かに優れた人間になれ」
-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
2010年6月6日 22:54:23 webから


「うまくたって人は感動しないよ」
-加藤和彦
2010年6月5日 19:39:51 webから


「人生のあらゆる瞬間が神秘であり奇蹟であるという事実を、時計やカレンダーによって見失ってはならない」
-ハーバート・ジョージ・ウェルズ
2010年6月4日 23:38:37 webから


「ドアは閉じておいていい。でも誰かがノックしたときは必ず開けよう」
-ジュリエット・カブガン
2010年6月3日 23:50:57 webから


《恐怖心は、死よりも多くの人を殺す》
-ジョージ・パットン
2010年6月2日 23:16:05 webから


「君はこんな忠告を受ける。『すぐやめるんだ。うまくいくはずがない』。この忠告を無視すればもう半分たどり着いたようものだ」
-デヴィッド・ザッカー
2010年6月1日 22:50:33 webから


「最も深遠な見解はしばしば沈黙のうちに語られる」
-リン・ジョンソン
2010年5月31日 23:12:25 webから


《ほんとうの敵対者からは、限りない勇気がお前のなかに流れ込んでくる》
-フランツ・カフカ
2010年5月30日 22:31:53 webから


「崇高さを追求しなさい。そのために毎日わずかな時間でも偉大な作品を読み、聴き、眺めなさい」
-ソーントン・ワイルダー
2010年5月29日 23:15:34 webから


「神は一つのドアを閉じるとき別のドアを開ける」
-アイルランドの格言
2010年5月28日 22:30:25 webから


《精神は手のように、何ごとにも役に立つ》
-ポール・ヴァレリー
2010年5月27日 22:14:53 webから


「人生は映画のようなもの。結末は自分で書こう。信じ続けよう、演じ続けよう」
-ジム・ヘンソン
2010年5月26日 21:44:54 webから


「チャンスはドアをノックしたりしない。君がドアをぶち破るとそこに現れるのだ」
-カイル・チャンドラー
2010年5月25日 18:27:17 webから


「可能と不可能の違いは人の決意にある」
-トミー・ラソーダ
2010年5月24日 23:49:27 webから


《心からあふれ出たものは、心に注がれる》
-サミュエル・ティーラー・コールリッジ
2010年5月23日 23:11:00 webから


「勇気とは、ある特殊な知識である。恐れるべきことをいかに恐れ、恐れるべきでないことをいかに恐れずにいるかについての知識である」
-デビッド・ベン
2010年5月22日 23:21:08 webから


「知らないことは悪いことだ、知りたがらないことはもっと悪いことだ」
-ナイジェリアの格言
2010年5月21日 23:20:55 webから


「自分の考えを変えられない者は何一つ変えることができない」
-ジョージ・バーナード・ショー
2010年5月20日 21:52:01 webから


「失敗は存在しない。フィードバックがあるだけだ」
-作者不詳
2010年5月19日 22:57:57 webから


「知識を得るためには学習が必要だが、知恵を得るためには観察が必要だ」
-マリリン・ヴォス・サヴァント
2010年5月18日 23:28:47 webから


「問題から逃れるための最もよい方法は、それを解決することである」
-アラン・サポルタ
2010年5月17日 23:22:08 webから


《人々に物事のやり方を教えるな。何をすべきかを教えろ。そうすれば貴方は彼らの才能に驚嘆することになるだろう》
-ジョージ・パットン
2010年5月16日 22:24:14 webから


「人生の意味は、自分に与えられたものを見つけること。人生の目的は、それを誰かに与えること」
-ジョイ・J・ゴリバー
2010年5月15日 22:53:43 webから


《青春とは、己が能力の限界への残酷なまでの挑戦である》
-南郷継正
2010年5月14日 20:58:52 webから


「汝の若き日の夢に忠実であれ」
-シラー
2010年5月13日 22:47:18 webから


「自分にできること、あるいは夢に思い描いていることは、すべて実行に移すことだ。大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる」
-ゲーテ
2010年5月12日 23:15:04 webから


《自分ただひとり賢明であろうとするのは大きな狂愚である》
-ラ・ロシュフコー
2010年5月11日 23:48:43 webから


《馬鹿とは何か?--おそらくそれはただ、多くを要求しない精神に過ぎない。取るに足らぬことに満足する者は、取るに足らない者である。》
-ポール・ヴァレリー
2010年5月10日 22:38:36 webから


「欲望を克服するための最も良い方法は、それを満たすことであることがしばしばある」
-ウィリアム・サマセット・モーム
2010年5月9日 23:11:46 webから


「いつだって君は正しい場所にいる。無理してどこかもっと高い場所から始める必要なんてぜんぜんない。君が今いる場所から始めるんだ」
-ジュリア・キャメロン
2010年5月8日 23:31:19 webから


「人々が君について言うことに悩む暇があったら、彼らが敬服せざるをえないことを成し遂げるために時間を使おう」
-デール・カーネギー
2010年5月7日 23:36:57 webから


「達人とは、何かにレーザー光線のように集中しただけの、平凡な人間である」
-ブルース・リー
2010年5月6日 22:36:21 webから


《自分の良心に従えば従うほど、良心があなたに要求するものは大きくなる》
-C・S・ルイス
2010年5月5日 23:32:36 webから


《なぜ日本に希望がないか。自分ではなく日本に希望している人が多すぎるからだ。「日本オワタ\ (^o^)/」といいつつ、日本がハジマるのをいつまでも待っているあなたに希望が訪れることは、ない》
-小飼弾
2010年5月4日 23:09:00 webから


《「利益を上げる資格を得る」ことと、「潜在利益を現実利益に変える」ことはまったく別物である。潜在利益を現実利益に変えるために重要なのは優れた分析と資源の集中投入である》
-マービン・バウワー
2010年5月3日 23:16:44 webから


《悪いことをすれば、必ず悪いことをまたしやすくなる。》
-シラー
2010年5月2日 23:50:45 webから


「この仕事ができるかと聞かれたときはいつも『もちろんできます!』と答えろ。それからどうすればできるかを大急ぎで考えろ」
-セオドア・ルーズベルト
2010年5月1日 22:14:48 webから


《大成しない人間には二種類いる。言われたことができない奴と、言われたことしかできない奴だ》
-サイラス・H・カーティス
2010年4月30日 23:40:13 webから


《断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである》
-「マタイによる福音書」
2010年4月29日 22:46:35 webから


《あなたの周囲の環境は、あなたを二流の地位に引きずりおろそうとするものであふれている》
-ダビッド・J・シュワルツ
2010年4月28日 22:40:12 webから


「もし障害のない道があったとしたら、その道はたぶんどこにも続いていない」
-フランク・A・クラーク
2010年4月27日 22:22:45 webから


《Innovation distinguishes between a leader and a follower.(イノベーションは明らかにする。先導者と追従者の違いを)》
-スティーブ・ジョブズ
2010年4月26日 23:32:53 webから


《寛容の本質は人を許すことですが、「人」の中に自分も含めなくてはなりません。「空気」と異なる他人を許すと同時に、「空気」と異なる自分も許さないといけません》
-宋文洲
2010年4月25日 22:50:05 webから


《Achievement is largely the product of steadily raising one's levels of aspiration . . and expectation.(業績というのは自らの志と期待のレベルを着実に上げていった成果であるのが普通だ)》
-ジャック・ニクラス
2010年4月24日 22:33:33 webから


《「どれだけ辛いか最初から知っていたら誰も始めようとは思わないだろう。だから、最初の一歩に集中するだけでいいんだ。そうすれば道は開ける--おのずとというわけにはいかないが、道は開けるものなんだよ」》
-エイドリアン・スライウォツキー『ザ・プロフィット』
2010年4月23日 22:32:25 webから


《それ自体不可能なことというものはほとんどない。ぜひやりとげようという熱心のほうが、その方法よりもいっそうわれわれに欠けているのだ》
-ラ・ロシュフコー
2010年4月22日 22:19:50 webから


「成功には簡単な公式がある。自分のベストを尽くせ。そうするとそれを気に入る人が出てくる」
-サム・ユーイング
2010年4月21日 23:44:27 webから


《自分は何もできないという思いは、それを乗り越えたときに、これならできるという揺るぎない自信に変わる。根拠のない自信は、簡単に傲慢に変わるが、障害を乗り越えた自信は、愛を伴う》
-神田昌典
2010年4月20日 23:04:49 webから


「夢は一度に一人の持ち主しか持たない。だから夢想家は孤独なのだ」
-アーマ・ボンベック
2010年4月19日 23:11:33 webから


《「老後」という概念が古いことに、気づかなくてはならない。アレは20世紀の遺物さ! しかし、それに気づかないものには、遺物ではない。だから、「老後」を考えるもの本人は、20世紀的な遺物なのだ》
-岡本吏郎
2010年4月18日 23:31:23 webから


《友だちを疑ってかかるのは、あとでかれらにだまされるのよりも恥ずかしいことだ》
-ラ・ロシュフコー
2010年4月17日 21:37:09 webから


《われわれは、ある人がいずれ一握りのちりに帰るであろう日をあらかじめ正確に知っていたら、彼に対してはげしく怒るようなことはおそらくしないだろう》
-カール・ヒルティ
2010年4月16日 22:26:23 webから


「後悔が夢にとって代わるまで、人は老人ではない」
-ジョン・バリモア
2010年4月15日 23:08:50 webから


《The time is always right to do what is right.(正しいことを行うのに、今という時はいつも好機)》
-マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
2010年4月14日 22:48:29 webから


「規律とは自分が何を欲しているのかを忘れずにいることだ」
-デヴィッド・キャンベル
2010年4月13日 23:07:27 webから


「規律なく生きた者は名誉なく死ぬ」
-アイスランドの格言
2010年4月12日 23:50:25 webから


「私はいつも自分にはできないことをやっている。そうすると、自分にはできないことができるようになっている」
-パブロ・ピカソ
2010年4月11日 21:43:08 webから


《それはできないという言う人は、それをやっている人の邪魔をしないよう、そこをどくべきだ》
-作者不詳
2010年4月10日 22:58:13 webから


《金を残したり、仕事を残したりするより、人を残して一生を終るこそ上の上たるもの》
-後藤新平
2010年4月9日 23:14:11 webから


《失敗とは、その価値がまだ実現されていない将来の財産である》
-エドウィン・ランド
2010年4月8日 22:40:03 webから


《私たちの体は、60兆の細胞で構成されているといわれています。ところが、私たちは日常でその細胞たちのことを意識することは、まったくといっていいほどありません。その意識の無さは“一瞥だにしない”という無視の仕方に相当するほど強烈なものです》
-高岡英夫
2010年4月7日 21:47:15 webから


「夢はきわめて重要だ。イメージできないことは実行できない」
-ジョージ・ルーカス
2010年4月6日 22:02:20 webから


《私たちの思考や行為は、私たちが気づいていることではなく、気づかずにいることによって制約されている。そして私たちは気づかずにいるというそのことに気づかずにいる》
-ロナルド・デイビッド・レイン
2010年4月5日 20:35:15 webから


《われわれには意志を、つまりは鞭を、自分の手で自分自身に振るうことが許されている》
-フランツ・カフカ
2010年4月4日 23:29:31 webから


《Dream as if you'll live forever...live as if you'll die today.(死なないつもりで夢を見て、今日死ぬつもりで生きるんだ)》
-ジェームズ・ディーン
2010年4月3日 23:11:24 webから


「岩の山は、一人の男が大聖堂のイメージを抱いて凝視した瞬間、岩の山であることをやめる」
-アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
2010年4月2日 23:12:44 webから


「何かを成し遂げるのにかかる時間におじけずいて、それを行えなくなることがないように。いずれにしても時間は過ぎるのです。その過ぎる時間を、考えられる最も有益なことに使ったほうがいいではありませんか」
-アール・ナイチンゲール
2010年4月1日 23:02:22 webから


「あえて行き過ぎるリスクを犯す者だけが、どこまで行けるかを知り得る」
-T・S・エリオット
2010年3月31日 23:29:49 webから


「敗北は多くの場合一時的な状態である。それが永久になるのは、あきらめることによってである」
-マリリン・ヴォス・サヴァント
2010年3月30日 22:49:37 webから


「あらゆる偉業は、当初は不可能である」
-トーマス・カーライル
2010年3月29日 23:16:09 webから


「この世で重要なことのほとんどは、希望がいっさいないかのように思われる状況で挑み続けた人々によって成し遂げられた」
-デール・カーネギー
2010年3月28日 22:45:20 webから


「自分がその木陰に座ることはないということを完全に知りながら日よけの木を植えるとき、人は人生の意味の少なくとも端緒を知るのである」
-デビッド・エルトン・トゥルーブラッド
2010年3月27日 23:11:13 webから


「人生の悲劇は、人生があまりにも早く終わることではない。我々があまりにも長い間人生を始めようとしないことである」
-作者不詳
2010年3月26日 23:04:22 webから


《The last dejected effort often becomes the winning stroke.(疲れ切って、もうこれでだめならあきらめようと行ったことが、しばしば勝利の一撃となる)》
-W.J.キャメロ
2010年3月25日 22:23:42 webから


「君の夢を馬鹿にするような人たちとは付き合うな。くだらない人たちはいつもそういうことをするけど、本当にすごい人たちは、君だってすごい人になれると感じさせてくれるものだ」
-マーク・トウェイン
2010年3月24日 23:41:17 webから


《Hope never abandons you, you abandon hope.(希望はあなたを見捨てない。あなたが希望を見捨てるのだ)》
-ジョージ・ワインバーグ
2010年3月23日 22:33:06 webから


《Dream the impossible dream.》(不可能を夢見よ)
-ジョー・ダリオン「The Quest」
2010年3月22日 22:41:16 webから


「誰もが死ぬ。だが誰もが真に生きるわけではない」
-映画「ブレイブハート」
2010年3月21日 23:46:36 webから


「この世で行う価値があることのほとんどは、実際に試みられる前は、不可能と断言されていた」
-アール・ナイチンゲール
2010年3月20日 23:18:31 webから


「障害が我々の行く手に置かれるのは、我々が何かを本当に望んでいるのか、それとも単にそう思っただけなのかを、明らかにするためである」
-作者不詳
2010年3月19日 22:20:09 webから


《Great people talk about ideas. Average people talk about things. Small people talk about other people.(偉大な人々はアイデアについて語り合い、普通の人々は物事について語り合い、くだらない人々は他人について語り合う)》
-トビアス.S.ギブソン
2010年3月18日 23:32:12 webから


「失敗はしなかったね。うまくいかない方法を10,000通り見つけたのさ」
-トーマス・エジソン
2010年3月17日 21:39:05 webから


「成功は人が人生においてどれほどの地位に到達したかによってよりも、むしろ成功を目指す過程でどれほどの障害を克服したかによって量られるべきであるということを、私は学んだ」
-ブッカー・T・ワシントン
2010年3月16日 22:15:22 webから


「難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから難しいのだ」
-セネカ
2010年3月15日 22:52:09 webから


「道がありそうなところを進むのではなく、道がないところを進んで足跡を残せ」
-ラルフ・ワルド・エマーソン
2010年3月14日 22:34:23 webから


「20年もすれば、自分がやったことより、やらなかったことを後悔するんだ。だからロープを解き、安全な港から出て、貿易風に帆を張れ。冒険しろ、夢を見ろ、誰も見たことのないものを見ろ」
-マーク・トウェイン
2010年3月13日 22:44:44 webから


「港にいれば船は安全だが、それは船が作られた目的ではない」
-ウィリアム・シェッド
2010年3月12日 23:42:05 webから


「成功するためには、まず自分が成功できると信じなければならない」
-マイケル・コルダ
2010年3月11日 23:36:32 webから


「月を狙え。たとえ外したところで、星のどれかには当たる」
-レス・ブラウン
2010年3月10日 23:49:08 webから


「絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、あきらめてはならない。」
-ウィンストン・チャーチル
2010年3月9日 21:54:41 webから


《現代の金持ちの定義は、派手な消費ではなく、派手な生産である》
-マイケル・ルイス
2010年3月8日 22:16:55 webから


「コップの水を見て『もう半分しかない』と言う人もいれば、『まだ半分もある』と言う人もいる」
-格言
2010年3月7日 21:45:32 webから


《人生五十功なきを愧(は)ず》
-細川頼之
2010年3月6日 21:07:57 webから


《法律と風習とによって、ある永劫の社会的処罰が存在し、かくして人為的に地獄を文明のさなかにこしらえ、聖なる運命を世間的因果によって紛糾せしむる間は、すなわち、下層階級による男の失墜、飢餓による女の堕落、暗黒による子供の萎縮、それら時代の三つの問題が解決せられない間は、すなわち、ある方面において、社会的窒息が可能である間は、すなわち、言葉を換えて言えば、そしてなおいっそう広い見地よりすれば、地上に無知と悲惨とがある間は、本書のごとき性質の書物も、おそらく無益ではないであろう。》
-『レ・ミゼラブル』
2010年3月5日 22:28:21 webから


《優れた企業経営者を讃える言葉として、「天才」というのは的外れだと考える。「天才」が仕えるのはあくまで「才」であって「人」や「モノ」や「カネ」ではないからだ。経営者は自身に「才」がないからこそ、人の才を活かせるのではないか》
-小飼弾
2010年3月4日 22:38:28 webから


「言語の限界は世界の限界を意味する」
-ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
2010年3月3日 22:33:47 webから


《読書の目的は、自分の理想とする人間像を心の中に確立することである》
-亀井勝一郎
2010年3月2日 22:35:27 webから


《タレントが「ああ見えるけど実は‥‥」などということに私は興味がない。「どう見えるか」もしくは「どう見られようとしているか」のほうが意味がある》
-ナンシー関
2010年3月1日 22:35:02 webから


《人を追い抜くのじゃない。自分より前を走っていた人たちが落伍していって、自分の着順があがっていくんだ。問題は、自分のペースで完走できるかどうか、だ》
-色川武大
2010年2月28日 12:39:12 webから


「症状即療法」
-格言
2010年2月27日 22:52:58 webから


「花の春に先立つものは残霜の傷(そこな)ふ所となり、説の時に先立つものは旧弊の厄する所となる。然りと雖も、先だつものあらずんば、後るるもの何を以てか警起せんや」
-勝海舟
2010年2月26日 23:29:21 webから


《大馬鹿とは、人を小馬鹿にする人である》
-新将命
2010年2月25日 21:25:03 Keitai Webから


《人みな我が餓を知りて人の餓を知らず》
-沢庵
2010年2月24日 20:08:27 Keitai Webから


《ぼくがほかの人たちの役に立てるようにと天が与えてくれたもの、ぼくは癌をそんなふうに考えるようになった》
-ランス・アームストロング
2010年2月23日 19:09:09 Keitai Webから


「私が樹木を好きなのは、樹木たちが他のどんな物より、自分がしなければならない生き方に決然と従っているように見えるからだ」
-ウィラ・キャザー
2010年2月22日 22:23:43 webから


《普通、われわれが自分を知っている以上に、人びとはわれわれをよく知っているものである》
-カール・ヒルティ
2010年2月21日 23:22:02 webから


「この世は考える者にとっては喜劇、感じる者にとっては悲劇」
-ホーレス・ウォルポール
2010年2月20日 22:28:11 webから


《力ある者は逆境を愉快に感ず》
-三宅雪嶺
2010年2月19日 22:46:49 webから


「子供泣かすな、来た道ぞ。年寄り泣かすな、往く道ぞ」
-格言
2010年2月18日 22:50:56 webから


「あらゆる罪は虚しさを埋めようとする試みである」
-シモーヌ・ヴェイユ
2010年2月17日 23:53:14 webから


《無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ》
-松下幸之助
2010年2月16日 23:13:20 webから


《初対面の人との共感を得るためには、言葉に出さなくても、「あなたが生まれてきてくれて嬉しい」と感謝しよう》
-神田昌典
2010年2月15日 22:09:56 webから


《Little things affect little minds.》(卑小な精神は卑小な物事に揺らぐ)
-ベンジャミン・ディズレーリ
2010年2月14日 19:06:27 Keitai Webから


「智者とは自己の精神が自己の精神自身を観察している者である」
-アルベール・カミュ
2010年2月13日 19:11:06 webから


《志を立てることは大にして高くすべし。小にしてひくければ、小成に安んじて成就しがたし。天下第一等の人とならんと平生志すべし》
-貝原益軒
2010年2月12日 22:28:25 webから


「人生や仕事で『苦と楽どちらを選ぶか』という選択肢はありません。あるのは『どちらの苦を選ぶか』という選択肢だけです」
-岡本吏郎
2010年2月11日 23:02:58 webから


《物事を従えよ。物事に従ってはならない》
-ホラティウス
2010年2月10日 22:45:26 webから


《偉人は他人を満足させようとするものではなく、自分の満足をねらいとします。かれらは他人から善意の忠告や助言をあたえられたりもしますが、それらは偏狭で、いい加減なものが多い。事態をもっとも正確に理解しているのは偉人たちで、まわりのすべての人は偉人に教えられて事態をとらえるか、少なくとも、事態にうまく対処するかするのです。というのも前を行く精神はすべての個人の内面的な魂をなすもので、偉人たちは、個人の無意識の内面を意識にもたらすものだからです。だからこそ、この魂の指導者に他人がついていくことにもなるので、人びとは、偉人という形で自分の前にあらわれた自分自身の内面精神に、どうしようもなくひきつけられてしまうのです》
-ヘーゲル
2010年2月9日 22:06:56 webから


《歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容をもつ人のことです。偉人が英雄とよばれるのは、その目的や使命を、現存体制によって正当化されるような、安定した秩序のある事態の動きから汲みとるばかりでなく、内容が隠されて目に見える形をとらないような源泉からも汲みとってくる場合に限られます。その源泉とは、いまだ地下にひそむ内面的な精神ともいえるので、この精神は種子の殻をたたくように外界をたたき、外界をこわしてしまう、--つまり、英雄とは自分のなかからなにかを創造するように見える人物のことであり、その行為が、かれのもの、かれの作品であるとしか思えない事態や状況をうみだす人です》
-ヘーゲル
2010年2月8日 22:52:17 webから


《一丈の塀をこえむと思わん人は、一丈五尺をこえんと、はげむべきなり》
-「一言芳談」
2010年2月7日 21:11:16 Keitai Webから


《人を使うには使われねばならぬ》
-三宅雪嶺
2010年2月6日 20:14:01 Keitai Webから


《問題は、あなたが認めるまで悪化していく》
-フィリップ・マグロー
2010年2月5日 20:55:06 Keitai Webから


《天才とは殆ど如何なる時にも訓練を受ける機会を逃さぬ才能と言うことも出来る》
-芥川竜之介
2010年2月4日 21:24:43 Keitai Webから


《孤独の中ではお前こそ、お前自らのために群衆であれ》
-ティプルス
2010年2月3日 21:07:51 Keitai Webから


《無駄を取り除くのに必要なのは粘り強さであって、賢明さではない》
-カール・ライヒャルト
2010年2月2日 22:29:29 webから


《人を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ》
-手塚治虫
2010年2月1日 23:25:33 webから


《良識がなくては博学も何の役に立とう》
-ストイペイオス
2010年1月31日 22:19:34 webから


《人は幸運の時には偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時だけである》
-シラー
2010年1月30日 23:24:50 webから


《ユーモアは、みんなが使うことを忘れている、恐るべきビジネス兵器である》
-トム・ピーターズ
2010年1月29日 21:53:16 Keitai Webから


《ひとは遠廻りと他人の救助による以外に、自己の最高点には達しない。》
-ポール・ヴァレリー
2010年1月28日 22:23:33 webから


《人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である》
-シラー
2010年1月27日 22:39:02 webから


「物質の研究では、そんなに大失敗ってないんですよ。物には、我々が考えてるよりもいろんな要素があるから。我々が初めから考えている要素がたとえば10だとすると、物の持ってるいろんな面っていうのは、100はある。初めの10を狙ってやって失敗しても、90の部分が初めから見えてないから、やればなんか見えちゃうんです」
-細野秀雄
2010年1月26日 22:44:04 webから


「一夜にして成功するには20年の歳月を要する」
-エディー・カンター
2010年1月25日 23:34:11 webから


《“基本フォーマット”の意味を十分理解して活用しない限り、“基本フォーマット”を活用すること自体が、ウィークポイントになる》
-田中靖彦
2010年1月24日 22:10:50 webから


《その日その日を傑作にするつもりで生きれば、天使にだってできないことができるようになる》
-ジョン・ウッデン
2010年1月23日 22:36:42 webから


《「ビジネスの成功に不可欠な、利益に対する純粋で絶対的な興味--これを持っている人が、実はほとんどいない。」》
-エイドリアン・スライウォツキー『ザ・プロフィット』
2010年1月22日 23:06:20 webから


《「何か新しい能力を完璧にマスターしようとするとき、たとえば投資でもいいんですが、一番大切なものは何だと思われますか?」「とてつもない粘り強さだよ」》
-エイドリアン・スライウォツキー『ザ・プロフィット』
2010年1月21日 22:45:25 webから


《自分の知識をひけらかしてばかりいたら、成長にとって必要な自らの無知を自覚することなどどうしてできるだろうか》
-ソロー
2010年1月20日 22:57:54 webから


《変えられない意見は悪い意見である》
-ププリウス・シルス
2010年1月19日 22:53:17 webから


《やるかやらないかというときは、それが新しいものであればやる。今やっていることを続けるか続けないかというときは、それが今までずっとやってきたことならやめる》
-安田佳生
2010年1月18日 22:56:41 webから


《相手を大切に思うのであれば、相手にとって大切なことを、あなたも大切に思う必要がある》
-スティーブン・R・コヴィー
2010年1月17日 22:12:19 webから


《コストという言葉がさかんに使われるが、働く人間の魂というコストが、その中に含まれていたためしがない。ベストを尽くさずに、ベストを尽くしているふりをすることは、嘘をつくことである。そして、自分を偽ることは、魂を腐敗させる》
-ジョエル・バーカー
2010年1月16日 22:12:38 webから


《毎年、新しい才能をひとつずつ身につけよう》
-ロルフ・カー
2010年1月15日 22:19:58 webから


《よい表現とはただひとつ、人の心を打つもの》
-ルカヌス
2010年1月14日 23:07:13 webから


《われわれはコーヒーを売るために商売をしているのではない。人々を喜ばせたいと思い、その手段としてコーヒーを扱っているのだ》
-ハワード・ビーハー
2010年1月13日 19:54:41 webから


「ストーリーを語るものは、世界を制す」
-アメリカ先住民ホピ族の言い伝え
2010年1月12日 22:29:19 webから


《「平凡な人間と戦士の違いは、平凡な人間はすべてを祝福か、天罰のいずれかと思うのに対して、戦士はすべてを挑戦の機会と考えることである」》
-カルロス・カスタネダ『未知の次元』
2010年1月11日 22:37:54 webから


《「もっとも堕落した人間ってどんな人間のこと?」「目的のない人間のことだ」》
-アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』
2010年1月10日 22:04:19 webから


《「ほんとうのところ、誰をも愛し、どこにいても寛げる人間というのは、ほんとうは人間嫌いなのです。なぜならば、そういう人間は、人間に何も期待していないからです。どんな形の堕落に対しても、そういう人間は怒りを感じないのですよ」》
-アイン・ランド『水源』
2010年1月9日 22:00:55 webから


《選ばれた者とは、われこそは他に優る者なりと信じ込んでいる僭越な人間ではなく、たとえ自力で達成しえなくても、他の人々以上に自分自身に対して、多くしかも高度な要求を課す人のことである。》
-オルテガ・イ・ガセット
2010年1月8日 22:12:38 webから


《大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。》
-オルテガ・イ・ガセット
2010年1月7日 22:49:01 webから


《早朝に新聞を手にすることは絶対にしないことにしている。夜の睡眠から解放されたときが疲労がいちばん回復している状態だから、読む時間があったら本をとり上げる。それ用の本を前の晩から用意しておいて読書をすれば、一月に何冊かは読めるようである。前の日になにか事件があって、どんなに新聞を早くあけてみたいときでも、その前にかならず本を五分なり十分読む習慣をつけると、そのうち新聞を読むのがバカらしくなってくるものである》
-板坂元
2010年1月6日 22:17:49 webから


《内的進歩をしめす最もよい徴候は、きわめて善良な、心の気高い人びとのなかにいると心地よく感じ、凡俗な人たちのなかではつねに不快を覚えることである》
-カール・ヒルティ
2010年1月5日 22:11:59 webから


《「車をほしがるなんて、まだ子供よ」 「じゃ、車は買いませんよ。しかし何を買ったらいいんです? 大人は」 「ほんとうの大人は、ほしいものなどなくなって、人にあげたいものが多くなるのよ」》
-三浦綾子『残像』
2010年1月4日 21:33:49 webから


《現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう》
-ゲーテ
2010年1月3日 20:24:22 webから


《宇津木兵馬が入門の初め、島田先生はかういふことを教へました。剣術は自得である。筑後梁川の藩に大石進といふ者がある。性質愚に近いほどの鈍根で、試合に出ては必ず負ける。後輩年下の者にさへ散々に打ち込まれる。その度毎に笑はれ嘲られる。或時、非常なる辱めに会ってから、さすがの鈍物も藩の道場に姿を見せなくなつた。それより門を杜ぢて、天井より糸で毬をつるし、それを突くこと三年間。遂に天下無敵の突きの一手を発明してしまつた。再び道場に現はれた時は藩中は愚か、天下、その突きの前に立ち得るものがない。島田先生からこの話を聞いた兵馬は、同じ方法と同じ熱心を以て突きの手を工夫し、今や同じやうな成功を見るに至つたわけです。》
-中里介山『大菩薩峠』
2010年1月2日 22:11:03 webから


《何に努力するかによってその努力した対象にふさわしい精神が創出されていく》
-南郷継正
2010年1月1日 13:18:10 webから


《立志尚特異》(志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
-吉田松陰
2009年12月31日 12:47:12 webから


《偉大な足跡を残した人たちはかならず、『素晴らしい見方だが、単純化しすぎだ』という批判を受けている》
-マービン・ブレスラー
2009年12月30日 19:53:36 webから


《努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る》
-井上靖
2009年12月29日 22:11:26 webから


《いいか! 人は与えることで裕福になるんだ! いいかげん、それを理解しろ! 生き残るのは物惜しみしないやつだけだ!》
-チャールズ・ストロス「アッチェレランド」
2009年12月28日 20:46:51 Keitai Webから


《自分が悩んでいることが、最も人を幸せにできる》
-神田昌典
2009年12月27日 20:09:03 Keitai Webから


《できるだけ偉大な人物を見習おうとする態度そのものが、自分を偉大にする非常に効果的な方法である》
-ナポレオン・ヒル
2009年12月26日 20:32:12 Keitai Webから


《毎日をいつもお前の最後の日だと考えよ。そうすれば思わざる今日を儲け得て喜ぶことができよう》
-ホラティウス
2009年12月25日 19:07:10 Keitai Webから


《わしかってあほやけど、あんたかってあほやがな。同じあほやったら、めちゃくちゃ、やってやって、やりまくらな、おもろないがな。あかんでもともと。ダメもとやがな。ええがな、ええがな。人にどう見られようと、何と思われようと、なんでもええがな。どうでもええがな。あほに徹したら、なんでもできまんがな。》
-杉村晶孝
2009年12月24日 20:52:22 webから


《人は人生の大半を、厚い壁の前で過ごす。どう体当たりしてもびくともしない壁の前で、死にたくなることもあるかもしれない。しかし人は、その厚い壁の前で、ほんとうの力をつけていくのである》
-トム・ピーターズ
2009年12月23日 15:13:15 webから


《人はてらったり威張ったりしなくても賢者でいることができる》
-セネカ
2009年12月22日 21:56:29 webから


《個人の価値はその人の手本の価値に比例する》
-ポール・ヴァレリー
2009年12月21日 22:20:44 webから


「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず」
-「ローマの信徒への手紙」
2009年12月20日 21:19:54 webから


《年長者たちの顔には、さまざまな皺が刻まれます。皺は思いやりによっても、強く気高い思いによっても、また理性を欠いた思いによっても創られます。それらを識別できない人間が、この世にいるでしょうか》
-ジェームズ・アレン
2009年12月19日 8:44:58 webから


《わたしは急がなかった。しかし、わたしは休まなかった。休みなく努力を続けた》
-鈴木鎮一
2009年12月18日 20:58:50 webから


《強い想像は出来事を生む》
-セネカ
2009年12月17日 20:56:56 webから


《深さは、澄んだ明るさの中にある》
-ヘルマン・ヘッセ
2009年12月16日 22:10:06 webから


《苦しい事件に出会ったときは、まず、それについて感謝に値する事柄をさがし出し、それを率直に感謝しなさい》
-カール・ヒルティ
2009年12月15日 20:27:24 webから


《罪人にとっての第一の刑罰は、良心の裁きを免れないことである》
-ユウ゛ェナリス
2009年12月14日 21:35:36 webから


「年齢を理由とする弁解には、二つの形がある。『年をとりすぎている』というのと『若すぎる』というものだ。今こそ『ちょうどよい年だ』と思っている人は極めて少ない。これは驚くべきことだ」
-ダビッド・J・シュワルツ
2009年12月13日 19:03:26 webから


「あなたが口を開いて話すとき、そのことばは、沈黙よりも価値あるものでなければならない」
-アラビアの格言
2009年12月12日 20:30:18 webから


《徳はこれを行なうのに骨がおれればおれるほど楽しい》
-ルカルス
2009年12月11日 21:21:48 webから


《潤沢さは新たな稀少さを生みだす。100年前には娯楽は稀少で、時間が潤沢だったが、今はその逆だ。あるモノやサービスが無料になると、価値はひとつ高次のレイヤーに移動する。そこに行こう》
-クリス・アンダーソン
2009年12月10日 20:36:06 webから


《どうか死がわたしの働いている真最中に来ますように》
-オヴィディウス
2009年12月9日 20:36:01 webから


《人間の細胞数はだいたい60兆前後といわれています。企業でたとえると細胞が社員の一人一人にあたりますから、あなたの会社の社員数は60兆になります。〔‥‥〕わずか100年足らずの期間では、必要な経営努力をすべてなし終えることができないことはすぐに理解されるでしょう。身体を、60兆の社員を持った企業体と考えてみてください。そうすると、膨大な経営努力の余地のあることが見えてくるはずです。膨大な経営努力の余地があるということは、ほぼ無限に改善できるということで、無限の成長が見込めることになります》
-高岡英夫
2009年12月8日 20:50:24 webから


《避けられない運命には調子を合わせよう》
-デール・カーネギー
2009年12月7日 20:08:21 webから


《仕事ができる人というのは、「物事を終了させていくことができる人」である》
-佐々木かをり
2009年12月6日 20:26:56 webから


《あなたは、現在のあなたの力、それを自分の力の全部と思ってはなりません》
-後藤静香
2009年12月5日 20:34:47 webから


《あの人に頼めば絶対に大丈夫--そう言われる人が、ブランド人である》
-トム・ピーターズ
2009年12月4日 20:24:07 webから


《見知らぬ人からの挨拶を大切にせよ。昔からの友人の挨拶と同じように大切なのだ》
-ゲーテ
2009年12月3日 21:06:40 webから


「嘘は問題を先送りし、真実は問題を過去のものとする」
-リック・ピティーノ
2009年12月2日 21:14:36 webから


「自分の中で消えかかっていた心の火を再び燃え上がらせてくれる人には、心から感謝しなければならない」
-アルベルト・シュバイツァー
2009年12月1日 21:59:52 webから


《運命は我々よりも機転がきく》
-メナンドロス
2009年11月30日 21:10:01 webから


《たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい。これは一般的にいって、人生の多くの苦渋と心配事を最もたやすくのり越える道である》
-カール・ヒルティ
2009年11月29日 20:54:10 webから


《見えなくなるより 笑われていたい/言えなくなるより 怒られていたい》
-真島昌利(THE BLUE HEARTS)「裸の王様」
2009年11月28日 20:58:13 webから


《成功した企業では、きまって誰かがかつて勇気ある決断をした》
-ピーター・F・ドラッカー
2009年11月27日 21:26:05 webから


《確実性を必要とする人は、起業家に向かない。そのような人は政治家、軍の将校、外国航路の船長など、いろいろなものに向かない。それらのもののすべてに意思決定が必要である。意思決定の本質は、不確実性である。》
-ピーター・F・ドラッカー
2009年11月26日 22:03:15 webから


「選んだ孤独はよい孤独」
-フランスの格言
2009年11月25日 21:53:43 webから


《こけたら立ちなはれ》
-松下幸之助
2009年11月24日 20:54:09 webから


「人間の本当の価値は、すべてがうまくいって満足しているときではなく、試練に立ち向かい、困難と戦っているときに明らかになる」
-マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
2009年11月23日 20:07:02 HootSuiteから


《価格というのはストレッチですから、高くしないと自分が商売人として成長できません》
-岡本吏郎
2009年11月22日 20:22:34 HootSuiteから


《どんな小さなことでも、気づいたことはすぐ実行に移す。自分をむち打ちむち打ち、へこたれないでやり抜く。--これが身につき習慣になれば、わたしたちは、不可能と考えられたことも可能になり、閉ざされた道もひらけてくることを、わたしはいろいろなばあいに発見します》
-鈴木鎮一
2009年11月21日 20:26:46 HootSuiteから


《サプライズの神髄は、原点に気づくこと、「原点回帰」なんです。サプライズをしたことによって、された側が原点に戻る。「あー、おれって昔はこうだったよな」とか、「これを最近は忘れていたよな」とか、ぼくはそれが、一番素敵なサプライズだと思うんですよね》
-小山薫堂
2009年11月20日 21:12:38 HootSuiteから


「最後には必ず勝つという確信、これを失ってはならない。だがこの確信と、それがどんなものであれ、自分が置かれている現実の中で最も厳しい事実を直視する規律とを混同してはならない」
-ジム・ストックデール
2009年11月19日 22:34:16 HootSuiteから


「人は視点が変わったときに感動する。感動してはじめて、行動が起きる」
-干場弓子
2009年11月18日 20:15:48 HootSuiteから


《青年は教えられるより、刺激されることを欲する》
-ゲーテ
2009年11月17日 21:37:01 HootSuiteから


「偉大なものを築くことが、凡庸なものを築くより難しいとは思わない。〔‥‥〕確かに飛躍のためにはエネルギーが必要だが、勢いをつけていけば、使うエネルギーより入ってくるエネルギーのほうが多くなる。逆にいつまでも凡庸さに甘んじていれば、意気消沈させられることになり、入ってくるエネルギーより使うエネルギーのほうが多くなる」
-ジェームズ・C・コリンズ
2009年11月16日 21:05:06 webから


《「なぜ偉大さを追求しなければならないのか、そこそこの成功で十分ではないのか」と問わなければならないのであれば、おそらく、仕事の選択を間違えている》
-ジェームズ・C・コリンズ
2009年11月15日 21:04:24 webから


「上り坂で出会う人たちに親切にしなさい。彼らはあなたが下り坂で出会う人たちなのだから」
-ウィリアム・ミズナー
2009年11月14日 20:55:28 webから


《魂を朽ちさせるものはただに自分の魂のみ》
-南郷継正
2009年11月13日 21:15:27 HootSuiteから


「分単位の時間に注意を払えば、時間単位の時間も、おのずとうまく流れる」
-フィリップ・チェスターフィールド
2009年11月12日 22:08:08 webから


「人間力は、世の中の役に立つことを、見返りを期待せず、人に気づかれないようにやることによって鍛えられる」
-ハービー・山口
2009年11月11日 22:01:28 webから


「ビジネス倫理などありえない。あるのは、限定のつかない倫理だけだ」
-ピーター・F・ドラッカー
2009年11月10日 21:14:55 webから


《良き助言者の前では、弱さをさらけ出すことを恐れてはならない》
-ハワード・シュルツ
2009年11月9日 22:04:13 webから


《過去において、人は、人生の縦走の背景に、神の召命を感じ、先祖代々の生きる苦労を感じ、民族的使命を感じ、歴史を感じた。そして、人生の終る死の先に、来世を望見し、家の繁昌を思い、国家の発展を思い、“無”の深淵を見、人類の進歩する像を描いた。そのような世界のなかで、人生は、一つの短いエピソードの如きものであるにしても --ちょうど大河小説のなかのエピソードがそれ自身美しく光り、前後の文脈に浸透する余韻を残すように--各個人は、自分の生涯がよりひろい客観的な世界に何らかの足跡と余韻を残すことを求めている》
-高畑昭久
2009年11月8日 21:48:02 webから


「世の中にあるものは、すべて利用してよい」
-石原明
2009年11月7日 21:23:19 webから


《理想は万事、精神的な高揚にかかっている。現実は万事、精神的な粘りにかかっている》
-ゲーテ
2009年11月6日 22:13:20 webから


《つねに金銭に関して心やすらかな生活を送りたいと願うならば、たとえどんなに少額でも、その収入の一定の歩合を善行の目的のために使うことから始めねばならない。これはだれにもできることであって、そのためにそれだけ貧しくなるなどと思うなら、とんでもない思いちがいである》
-カール・ヒルティ
2009年11月5日 21:37:08 webから


「希望を求めるのではなく、 自分が誰かの希望になりなさい」
-干場弓子
2009年11月4日 14:34:02 webから


《1日に少なくとも1人の機嫌も損なわないようでは、十分な行動を起こしているとはいえない》
-ダン・S・ケネディ
2009年11月3日 19:11:35 webから


《ある年齢以後になると、友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合の方が多い。》
-アンドレ・ジッド
2009年11月2日 20:25:39 webから


《「できない」と言わずに、「したくない」と言え。成そうと欲する者は、成し得る》
-ウラジーミル・レーニン
2009年11月1日 20:29:45 webから


「急いで行きたいなら一人で行け、遠くまで行きたいなら仲間と行け」
-格言
2009年10月31日 18:55:37 webから


《多くの人は考えるくらいなら死んだほうがましだと思い、実際そうする》
-バートランド・ラッセル
2009年10月30日 21:47:59 webから


《進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む》
-福澤諭吉
2009年10月29日 17:33:31 webから


《苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる》
-スピノザ
2009年10月28日 19:05:53 webから


《形容詞は名詞の敵なり》
-ヴォルテール
2009年10月27日 19:28:36 webから


《人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である》
-エリック・ホッファー
2009年10月26日 18:22:48 webから


《箇条書きは思考を停止させる》
-久恒啓一
2009年10月25日 22:13:54 webから


《良心の声はいかにもか細くもみ消すことは簡単である。しかしその声はあまりにも明解で聞き間違えることはない。》
-アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール
2009年10月24日 19:48:41 webから


《諸君たちは「ここまでやったけれども駄目だった」とよくいいます。けれども、そのときに私がいうのは「ところで君はいったい何回やったのか」ということです。すると諸君は五回、十回といったレベルの返事をします。その時私は零が四つ少ないのではないかというのです。》
-南郷継正
2009年10月23日 17:41:31 webから


《現代社会で出会う多くの人々は、まるでロボットのように機械的に振る舞い、自分のことを知りもせず理解することもない。唯一知っているのは、社会が要求しているイメージだけである。真のコミュニケーションをもたらす語らいの代わりに意味のないおしゃべりを繰り返し、心からの笑いの代わりに見せかけだけの笑顔をつくり、心底からの痛みの代わりに鈍い絶望感しか味わっていない。》
-エーリヒ・フロム
2009年10月22日 14:09:03 webから


《金は、金を生む。〔‥‥〕ある程度まとまれば、君自身より君の金が生む金の方が大きくなる。数億円もあれば、「家族の面倒は私が見ます。もう貴方は逝ってよし。お疲れさまでした」と金がささやくようになる。感受性が強ければ強いほど、その声は早く聞こえるようになるだろう。》
-小飼弾
2009年10月21日 20:58:44 webから


「考えるうえでの最大のハードルは考え始めることである」
-細谷功
2009年10月20日 18:46:30 webから


《今日も生涯の一日なり》
-福澤諭吉
2009年10月19日 20:01:21 webから


《ぼくは自転車選手であることが人生における自分の役目であるとはもう感じなくなった。自分の役目は癌を克服した人間として生きることなのではないかと思うようになった。ぼくが一番強い結びつきと共感を感じたのは、癌と闘い、ぼくと同じように、「自分は死ぬのだろうか?」と問い続ける人たちだった。》
-ランス・アームストロング
2009年10月18日 20:23:09 webから


《私の体験のおおまかな感じでは、反対といわれている声の八、九割までの原因は、じつは提案の性格がわからないところからきている。》
-川喜田二郎
2009年10月17日 18:25:50 webから


《大きく考えることによって大きく伸びよ!》
-ダビット・J・シュワルツ
2009年10月16日 19:48:48 webから


《なすべきことを決心する。決心したことは必ず実行する》
-ベンジャミン・フランクリン
2009年10月15日 21:07:32 webから


《大きなもの、あるいはむずかしいものは、近づいてみると意外な解決策が出てくる》
-竹田陽一
2009年10月14日 17:43:02 webから


《自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ》
-江副浩正
2009年10月13日 14:37:39 webから


《「『おまえらは自由じゃない』なんて誰にも言っちゃだめだ。そんなことを言ったら、やつらは自分が自由だってことを証明するためにやっきになって、人を殺したり傷つけたりしかねないからな」》
-映画「イージー・ライダー」
2009年10月12日 8:51:32 webから


「必然性は偶然性を媒介に作用し、偶然性は必然性を媒介に作用する」
-三浦つとむ
2009年10月11日 17:50:30 webから


《幸福は自己満足によってではなく、価値ある目的に忠実であることによって得られる》
-ヘレン・ケラー
2009年10月10日 18:38:49 webから


「願いごとは慎重に選ぶことだ。願いは叶うかもしれないのだから」
-格言
2009年10月9日 13:17:18 webから


《現場で使われる言葉が常にそのビジネスの姿を表す》
-ケリー・リッチー
2009年10月8日 16:32:17 webから


《企業が競争相手よりすぐれた製品を供給し、価格と利益率を高めようと努力すると、市場を追い抜いてしまうことがある。顧客が必要とする以上の、ひいては顧客が対価を支払おうと思う以上のものを提供してしまうのだ》
-クレイトン・クリステンセン
2009年10月7日 14:25:52 webから


《多くの人が、「お金が足りない」と考えているようだ。しかし、私はあなたに尋ねてみたい。あなたが、本当に失っているものは「誇り」ではないのか?》
-滝井秀典
2009年10月6日 21:12:46 webから


《人は自分の力だけで何もかも実現できるわけではない。だからこそ、求めない人たちには進歩がないのだ》
-パトリス・ジュリアン
2009年10月5日 22:08:26 webから


《いっしょにご飯を食べていると、カップラーメンでも美味しく感じられるという相手であれば、それ以外の共同的な作業においてもだいたいうまくゆく可能性が高い。共同体のパフォーマンスを条件づけるのは何よりも「周波数の同期」だからである》
-内田樹
2009年10月4日 15:13:43 webから


《その時に目の前にいる人よりも大切な人はいない。》
-ロバート・キヨサキ
2009年10月3日 21:04:32 webから


《自信と傲慢の分け目は、学ぶ心の有無》
-新将命
2009年10月2日 14:42:01 webから


《無用の学が有用の学に幅と厚みと深みを加える》
-新将命
2009年10月2日 14:41:54 webから


《目標を設定することは、計画的に現状と対立することである》
-Hyrum W. Smith
2009年10月2日 13:42:57 webから


「牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。〔‥‥〕あせつては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、花火の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後から出て来ます。さうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。」
-夏目漱石
2009年10月1日 15:48:21 webから


「いい文章が書けるようになりたければ、できるだけいい文章を、できるだけたくさん読むことである。それ以外に王道はない。」
-立花隆
2009年10月1日 15:27:56 webから


「推論面での誤りは、「前提の置き方」「論理展開」「結論の導き方」の三つの段階のどこででも起きうるが、圧倒的に多いのは、「前提の置き方」においてであるということは覚えておく価値がある。」
-立花隆
2009年10月1日 15:26:53 webから


「いい話を聞くための条件を一語で要約するなら、こいつは語るに足るやつだと相手に思わせることである」
-立花隆
2009年10月1日 15:24:48 webから


「〔聞き取り取材で〕最も大切なことは、自分がその相手から聞くべきことを知っておくことである。〔‥‥〕私にいわせれば、これ以上に本質的に大切なことは何もなく、あとは大部分が瑣末なテクニック論である。〔‥‥〕聞くべきことがわかっていれば、半分聞き出したも同然なのである。」
-立花隆
2009年10月1日 15:23:40 webから


「速読に必要なのは、ひとえに精神の集中である。それ以外に何の訓練もいらない。〔‥‥〕最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。むしろ精神集中訓練に役に立つのは、きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。」
-立花隆
2009年10月1日 15:18:57 webから


「志(こころざし)を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命(いのち)をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半(なか)ば達せられたといってよい。」
-松下幸之助
2009年9月30日 21:32:38 webから


「夢半ば、夢成就なり」
-渡邉美樹
2009年9月29日 20:26:49 webから


「善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。善ほど他人を傷つけるものはないのだから。」
-ポール・ヴァレリー
2009年9月28日 21:20:45 webから


「カッコ悪くたっていいよ/そんな事問題じゃない/君の事笑う奴は/トーフにぶつかって 死んじまえ」
-真島昌利(THE BLUE HEARTS)「ダンス・ナンバー」
2009年9月28日 21:11:56 webから


《成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けることである。成人の条件というのは「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている」ということである》
-内田樹
2009年9月27日 22:49:17 webから


「人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである。人間の精神の偉大さと力とについては、いくら大きく考えても、すぎるということはないのである」
-ヘーゲル
2009年9月27日 22:23:33 webから


「宗教は天国を説きますが、そんなものは空想で、死後の生活などというものはありません。そんな空想は必要ありません。自分が天国に行くよりも、残される者の心の中で愛され尊敬されながら生きつづけるほうが、さきに世を去った者としてより幸福なのではないでしょうか」
-三浦つとむ
2009年9月27日 22:20:46 webから


「未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者と言うべからず。」
-福澤諭吉
2009年9月26日 20:33:31 webから


「チャランポランに生きた人間と、目的を抱いて激しく努めた人間とは自ら異るものである。これはその生き様の心の過程が顔に浸透していくからである」
-南郷継正
2009年9月26日 20:12:13 webから


「誤りを犯さないのは何もしない者だけである」
-ウラジーミル・レーニン
2009年9月26日 8:39:00 webから


「どちらも大切だと思っていることの二者択一を迫られるときは、一方を採り、一方を捨てるしかない状況そのものを根底から疑うようにしている。二つの選択肢しか見えない状況に自分を縛ってはいないか。そもそもなぜその二つなのか。アイデアは二律背反を疑うところから始まる。」
-山中俊治
2009年9月26日 8:37:08 webから


《依頼があり、それも引き受けることによって仕事が始まるということは、「時代の最先端」が実は注文(依頼)に内在している、という事実を示唆する。できることがわかっている依頼に最先端は宿らないが、「できるかどうかわからないができることが望ましい」という依頼は最先端たりうる。》
-日垣隆
2009年9月25日 23:31:02 webから


《仕事の本質は「依頼」と「締め切り」にある。同じことだが、仕事と趣味を分かつのも依頼と締め切りの有無である。》
-日垣隆
2009年9月25日 23:30:56 webから


「その後私は一人である。天にも地にもたった一人である。[‥‥]私の周りには誰も私をわかってくれる人はいない。[‥‥]一つの難問題が、反り立った絶壁のようにそそり立ったとき、それをよじ登るために足場になってくれる親切な肩は一つもない。たった一人、私はこの邪魔物のでこぼこに捉まり、度々落ちては血塗れになって起き上がり、またもやかかって行かねばならないのである。たった一人、励ましのこだまの声さえなく、私はその頂きに達し、努力に疲弊して、やっといくらか彼方を見られるとき、勝利の叫びをただ一人で発するだけである」
-アンリ・ファーブル
2009年9月25日 21:25:47 webから


「愛し合うことは見つめ合うことではなく、同じところを見つめること」
-アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
2009年9月25日 10:47:18 webから


「夢を見るがいい--試すがいい--失敗するがいい--成功するがいい」
-キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
2009年9月25日 10:38:13 webから


「しゃべっただけ 動こう/動いただけ 深い海の底に沈み/ことばを磨いて 浮き上がろう」
-磯永秀雄「海」
2009年9月25日 10:35:13 webから


「あなたがいま立っているところ、そこがあなたのステージだ。さあ、力の限りを尽くして、ひとさし舞ってみろ。あなたのステージを、みんなが見てる。誰も見ていなくても、天が見ている。」
-トム・ピーターズ『ブランド人になれ!』
2009年9月24日 21:50:50 webから


「成長に対して現役であれ。石にかじりついてでも現役であれ」
-高岡英夫
2009年9月24日 21:43:51 webから


《一生を終えた後に残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。》
-ジェラール・シャンドリ
2009年9月24日 21:40:28 webから


《「忘れてはいけません、決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは。」》
-ユーゴー「レ・ミゼラブル」
2009年9月24日 21:36:56 webから


「ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」
-三浦つとむ
2009年9月24日 21:30:32 webから


「汝の道を行け、人をして云うに任せよ」
-ダンテ「神曲」
2009年9月24日 21:25:51 webから


「人生にとって安易な道はありえません。いかなる道を歩こうとそれなりに困難です。となれば、大道を歩けるように苦労するのが最高によいことです。そう思えば大した努力ではないはずです。大変であっても、まずは頑張ってみることです。」
-南郷継正
2009年9月24日 21:22:43 webから


「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
-「コリントの信徒への手紙」
2009年9月24日 14:49:37 webから


「妄りに人の師となるべからず。また、妄りに人を師とすべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし」
-吉田松陰
10:57 AM Sep 23rd, 2009 webから


「恥ずかしいこと、それは尊敬されることだ。自分のすべてを、何もかも見通す方がいられるのに、尊敬されるなんて、そんな恥ずかしいことがあるのか」
-太宰治
8:47 PM Sep 22nd, 2009 webから


「善く且つ高貴に行動する人間は唯だその事実だけに拠っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う」
-ベートーヴェン
8:42 PM Sep 22nd, 2009 webから
 
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