2009年7月31日金曜日

熱砂

炎天下の片瀬海岸に行ってきた。

休憩と、砂利道鍛練も兼ねて。

砂浜に下りるコンクリートの階段の上ではだしになり、砂の上に降りて歩き出すと、砂が熱い!

足の裏をヤケドさせることに意義があるはずなのだが、「こりゃシャレんなんねぇ! こりゃシャレんなんねぇ!」と心の中で叫びながら、コンクリートの上に戻る。

はだしではとても砂浜に立っていられず、砂浜に接したコンクリートの上を歩く。

コンクリートの上にもところどころ砂が吹き上がって山になっているところがあるが、そんなところでも、足の裏がどうにかなってしまいそうなくらいに熱い。

はだしのまま、片瀬漁港西堤防の先端まで歩いた。

江ノ島の森から、海をわたってセミの声が聞こえてきた。


2009年7月30日木曜日

酢好きの佐々木

料理によく酢を使う。

菜っ葉類はたいてい、数センチの長さに切り、水数ccを入れて加熱したビタクラフトに入れ強火で1分ほど加熱し、酢醤油で味付けして食べる。

ウドや茄子の場合は、ごく弱火でしばらく加熱し、酢味噌に和える。

豚肉や鶏肉も、同じように加熱して酢味噌で食べることが多い。

ゴボウやレンコンの場合は、フライパンを使って油で炒め、輪切り唐辛子を入れた酢醬油を最後に加える。

魚を煮るときも、酢を少したらす。骨まで柔らかくなる。

料理に使うだけではない。

蒸し暑い夏の夜も、基本的にビールなどのアルコール類は口にしない。酢をたらした水を飲む。

夜寝つけないときも、酢を飲むと寝つきやすくなる。

500mlの普通のボトルだとすぐなくなるので、900mlのボトルで買う。

2009年7月29日水曜日

豊か

小学生の頃、近所の裕福な家で、それまで見たこともなかった薄緑色の果物をごちそうになった。

それが生まれて初めて食べたキウイフルーツだった。

キウイフルーツは皮をむいて3mmぐらいの輪切りにされ、5枚ほどがガラスの小皿に盛られ、小さな二又フォークが添えられていた。

透明感のある緑色の果肉の中に、ゴマ粒大の黒い種が円形に並ぶ美しさ。

甘味と酸味をほどよく併せ持った瑞々しい食感。

さすがに金持ちは食べてる物が違う! と佐々木はすっかり感動したものだった。

今、佐々木は起床後、果物を一個ないし半個食べることを習慣にしている。

今朝冷蔵庫を開けて、昨日4個298円で買ってきたゴールデンキウイが、野菜ケースに無造作に放り込まれているのを目にした瞬間、なぜか、はじめてキウイフルーツを食べたときのことが思い出された。

ゴールデンキウイの一個の皮をむいて丸かじりしながら、俺はなんて豊かな暮らしをしているんだろうと思った。

2009年7月28日火曜日

『悲しき熱帯』を読んだ

今年の古典読破計画の第七弾として、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(、川田順造訳)を読んだ。

高齢の武術の達人に血気盛んな若者が挑みかかり、いいようにあしらわれて目を白黒させる、みたいな話型があるが、あたかもあの若者になったような気分。

あるいは、あまりにもピース数が膨大で、全体像が何なのかも、そもそも一つの全体像を成しているのかも不明なジグソーパズルに取り組まされたような感覚。

『悲しき熱帯』は、レヴィ=ストロースが1938年、30歳のときに調査隊4人で約6か月かけて行った、ブラジル先住民社会の調査旅行について書かれた本だ。

執筆されたのは、1954年、レヴィ=ストロースが46歳のとき。

旅行記でもあり、民俗学的調査報告でもあり、社会構造分析でもあり、西洋文明批判でもあり、哲学的エッセイでもあり、自伝でもあり、しかもそれらの間を唐突に行ったり来たりするので、個々の叙述が全体の中でどのように位置づけられているのかが、見えない。

その見えないことが、決して筆者の側の筆力のなさとしてではなく、あくまでも読者の側の読解力や教養のなさとして感じられるように書かれている、老獪さ。

なんかめちゃくちゃ悔しい。

2009年7月27日月曜日

甘いもの

日垣隆さんの古典読書会メーリングリストの課題で、太宰治の『人間失格』を読み返した。
《 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、〔‥‥〕自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞(むち)とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒(ちゆ)し難い傷でした。
〔‥‥〕
 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、
「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」
 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
 と言いました。
 自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓(みみず)の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。》
諧謔に託して苦悩を語る、というのは『人間失格』の「手記」全体を貫くスタイルだが、「女性と甘いもの」に関する有名なこのくだり、以前読んだときは、そのユーモラスさだけが印象に残った。

改めて読み返して、「甘いものを食べさせたぐらいで女の機嫌が直る」ということも、やはり主人公にとっての苦悩の一つとして描かれているのだということが、心に響いた。

論理に頼って思考を進める人間は、論理をすっとばして進められる思考に接すると、ときに孤独を感じる。

論理レスにロンリネス。

とかいって。

かといって、接する誰もがいつも論理的であってくれればそのぶん幸福、というわけでもないのがややこしいところだが。

2009年7月26日日曜日

体温

昨夜何気なしにテレビをつけたら、「佐野元春のザ・ソングライターズ」という番組をやっていた。

ゲストはさだまさし。

大学教室の教壇で佐野と並んださだが、120人ぐらいの学生を前に、「音楽における言葉」に関する自分の考えを熱く語っていて、思わず見入ってしまった。

中でもさだが、学生からの質問に対する答えとして、「歌詞は人の体温が伝わることが大事」という意味のことを説いていたのが、強く印象に残った。

体温が伝わる。

佐々木が書く文章に、一番欠けていることかもしれない。

もちろん、「体温」レベルから離れたところで文章を書くこと自体は、意図してやっていることだ。

これも弁証法で言う「否定の否定」であって、感性レベルの事象は、理性レベルに止揚して認識・表現してこそ、感性レベルの事象としてより深く鮮明に伝達できる。

だが感性レベルで認識されていない事象は、理性レベルへも止揚しようがない。

人の体温を感じること。

文章で人の体温を伝えること。

佐々木のこれからの上達課題だと思う。

2009年7月25日土曜日

一人称

英語の“I”に相当する言葉がないというのは、日本語の豊かさであると同時に、不便さでもある。

子供の頃は、公的な場での男の子の一人称は「ぼく」、女の子の一人称は「わたし」、と刷り込まれる。

これが大人になると、公的な場での標準一人称は、男女を問わず「わたし」に統一されてしまう。

男は、子供の頃はさんざん「使ったらヘン」と刷り込まれた一人称を、大人になると、自分を指す表現として使わなければならなくなる。

この気持ちの悪さ。

しかも男にとって「わたし」というのは、公的な場限定で使う一人称だけに、どうも自分の中の私的な部分を抑圧する感じがつきまとう。

かといって「ぼく」では幼稚、「オレ」では無骨、「わし」では驕慢、「小生」では大仰、「拙者」ではアナクロ 、「ミー」では軽薄。

文書を書くとき、特に男性で、自分の苗字を一人称にする人が増えている気がする。

こうした人たちは、どの一人称を使っても収まりがつかないこの状況に苦吟した挙げ句、とりあえず現時点で最も英語の“I”に近い中立的な一人称として、自分の苗字を使っているのではないだろうか。

少なくとも佐々木はそうである。

2009年7月24日金曜日

IとYou

仕事で英日翻訳をするようになって15年以上経つが、最も日本語に訳せない英単語は“I”と“You”だと思う。

“I”の訳は「わたし」ではない。

第一に、日本語における「わたし」という一人称は、数ある一人称の一つに過ぎない。

「ぼく」、「オレ」、「わたくし」、「ワシ」、「オイラ」、「ウチ」、「ワテ」、「オレ様」、「あたし」、「あたい」、「あっし」、「おいどん」、「こちら」、「こちら側」、「当方」、「小生」、「吾輩」、「拙者」、「予」、「我」、「手前」、「妾(わらわ)」、「臣(しん)」、「愚臣(ぐしん)」、「愚僧(ぐそう)」、「愚老(ぐろう)」、「下官(かかん)」、「寡人(かじん)」、「孤(こ)」、「而公(じこう)」、「侍弟(じてい)」、「賤妾(せんしよう)」、「乃父(だいふ)」、「老漢(ろうかん)」「麻呂(まろ)」、「朕(ちん)」など、大量にある一人称の中から、ほかならぬ「わたし」という一人称を選択したこと自体に、自意識や、選択した(選択させられた)立場(相手との関係性)が表現されてしまう。

英語の“I”にこのようなことはない。

第二に、「わ・た・し」が3音節の単語であるのに対し、“I”は1音節の単語である。カタカナで書けば「アイ」と2音節になってしまうが、英語の二重母音は二つの母音の連結ではなく、あくまで一つの母音である。

音節の数というのは一つの「量」ではあるが、「量の差」も一定限度を越せば「質の差」になる。

「わ・た・し」と3音節発声する面倒くささと、“I”と無強勢で1音節発声する簡単さを比較すればわかるが、音節数が3倍、3分の1というのは、すでに「質の差」である。

この「質の差」には、「意味の差」ととらえてよいほどのものがある。

第三に、“I”は〈主体表現〉の一部として使われることが多い単語である。

たとえば、“I'm sure ...”(「きっと‥‥だよ」)や“I don't think ...”(「‥‥じゃないんじゃないかな」)は、叙述内容に対する表現主体の立場を示す〈主体表現〉である。

日本語の「わたし」は、基本的にそのようには使われない。

これには、英語と日本語の文法構造の違いだけでなく、前述した音節数の差とも関係しているはずである。

以上のことはすべて、“You”にも該当する。

2009年7月23日木曜日

イベント

イベントへの関心が、かなり低いほうだと思う。

飲み会のような人事のイベントも、皆既日食のような天然のイベントも含めて。

理由はいろいろあるが、中でも大きいのは、「習慣の力」に対する強固な確信だろう。

毎日、毎週、毎月と繰り返すことの中からしか、価値あるものは生まれてこないと、佐々木は固く信じている。

いわゆるイベントというのは、基本的には、この繰り返しの中断として行われる。

その中断が、嫌なのだ。

イベントを楽しみにしている人はおおぜいいる。

イベントを楽しんでいない人間がイベントの場にいるのは、イベントを楽しんでいる多くの人々にとって迷惑なことだろう。

そう思うとますますイベントへの足が遠のく。

日垣隆さんの『ラクをしないと成果は出ない』に書かれた「100の鉄則」の一つに、「出欠を迷うイベントには行かない」というのがあった。

この鉄則は読んで即、取り入れさせてもらった。

だから佐々木がイベントに顔を出したということは、そのイベントへの出欠を佐々木が迷わなかったということである。

2009年7月22日水曜日

「全脳思考モデル5ステップ」をやり始めてみる

一読しただけでは消化不良だった神田昌典さんの『全脳思考』を、もう一度読み返した。

とりあえず「全脳思考モデル5ステップ」のチャートを方眼模造紙に描き、弊事務所の業務マニュアル製作サービスのあり方について、「ステップ1」と「ステップ2」の途中までやってみた。

2009年7月21日火曜日

歩き始めなきゃゴールは見えない

ゴールや意義が見えない仕事は、意欲が湧きにくい。

昨日使った言葉で表現するなら、最終的な「質的変化」をイメージできないまま「量的変化」だけを重ねていく仕事は辛い。

ただ、草むしりのように、着手する時点でゴール(質的変化)を明確に見通せる仕事はまれだ。

ゴールを把握できないまま、とにかくある程度の量を積み重ねて、はじめてゴールが見えてくる仕事のほうが、むしろ通常だ。

業務マニュアルづくりの仕事でいうと、インタビュービデオを見返して個々の作業や説明を言語化していく部分が、この「ゴールが見えないまま量を積み重ねる」過程にあたる。

この過程が、精神的にきつい。

そのきつさを乗り越え、なんとか言語化してプリントアウトしたものを眺めわたして、はじめて業務全体の構造が見えてくる。

ここでようやく、最終的な「質の変化」を見通せる。

業務全体の構造が明確に言語化・図式化されてしまえば、個々の手順を言語化・図式化していく仕事は楽だ。

「(頭の中での)質の仕事」が済んだあとの「(現実の)量の仕事」は、むしろ楽しい。

ここ最近は、「量の仕事! 量の仕事!(その積み重ねだけが質の変化を浮かび上がらせる!)」と自分に言い聞かせながら、最初の辛いプロセスを乗り切っている。

2009年7月20日月曜日

量の仕事、質の仕事

「量の仕事」と「質の仕事」という区別について、最近よく考える。

ここで「量」とか「質」とか言うのは、「量的変化」、「質的変化」のことだ。

すなわち「量の仕事」とは「量的変化をもたらす仕事」であり、「質の仕事」とは「質的変化をもたらす仕事」である。

たとえば庭の草むしりを考える。

雑草だらけの庭から、雑草を1本抜く。

庭が雑草だらけであることに変わりはない。

すなわち、「雑草だらけ」という質には、何の変化もない。

雑草の数が量的に変化するだけである。

だから、最初の雑草1本を抜く仕事は、「量の仕事」である。

2本目の雑草を抜く。

1本目の雑草を抜いたときと同じで、「雑草だらけ」という質に変化はない。雑草の数が量的に変化するだけである。

3本目の雑草を抜く。

やはり「雑草だらけ」という質に変化はない。雑草の数が量的に変化するだけである。

このように「量の仕事」が延々と続いていく。

ところがある時点から、まだ「雑草だらけ」ではあるのだが、最初の「雑草だらけ」よりは明らかに雑草が減った状態、というのが現れはじめる。

すなわち、「雑草だらけ」という質に、変化がもたらされはじめる。

見かけ上は最初の1本目を抜くのと同じ仕事をしていても、この段階で雑草を1本抜く仕事は、単なる「量の仕事」ではない。

「質の仕事」の性格を帯びた「量の仕事」である。

さらに1本、また1本と雑草を抜いていくと、「雑草だらけ」とはとても表現し得ない状態が現れる。

すなわち、「雑草だらけ」という質の、完全な変化がもたらされる。

「もうこれ以上雑草を抜く必要はないだろう」と判断されるに至る、最後の雑草1本を抜く仕事が、「質の仕事」である。

ところで、人はなぜ最初の雑草1本を抜き始めることができるのだろうか。

それは、この最後の雑草1本を抜く瞬間と、最後の雑草1本を抜き終えた状態を、たとえ漠然とではあっても、頭の中で見ることができるからである。

すなわち、頭の中であらかじめ「質の仕事」ができるからである。

おそらく一般に仕事は、「(頭の中での)質の仕事」→「(現実の)量の仕事」→「(現実の)質の仕事」というプロセスで進んでいく。

「(現実の)量の仕事」が精神的に苦痛であるとすれば、それはおそらく、「(現実の)量の仕事」に先立って「(頭の中での)質の仕事」が成し遂げられていないからである。

「(頭の中での)質の仕事」が精神的に苦痛であるとすれば、それはおそらく、「(頭の中での)質の仕事」が「(現実の)量の仕事」に結び付かないからである。

2009年7月19日日曜日

自分に気合を入れる

玄和会という空手団体の創始者である南郷継正先生が監修した『空手道綱要』という本に、「玄和精神 七か条」として、次の標語が掲げられている。
1.大志を忘るなかりしか
2.誇りを落とすなかりしか
3.情熱消ゆるなかりしか
4.勇武に怯(ヒル)みなかりしか
5.威厳に欠くるなかりしか
6.思想に悖(モト)るなかりしか
7.論理に不足なかりしか
佐々木は学生時代にこの「七か条」を読んでいたく感銘を受け、ここ数年は、この「七か条」を筆ペンでA3の紙に大書きするのが、週末の朝の習慣になっている。


ものすごく気合いが入る。

2009年7月18日土曜日

〈主体表現〉と〈客体表現〉

三浦つとむの文法学の中で特に重要なのは、〈主体的表現〉と〈客体的表現〉という区別だ。

〈主体的表現〉と〈客体的表現〉の区別については、『日本語はどういう言語か』の説明がわかりやすい。

この区別の理解なしに文法を論じることは不可能なはずなのに、いまだにこの区別が一般に理解されていないことを、佐々木は残念に思う。

ただ佐々木は、概念の呼び方については、〈主体的表現〉/〈客体的表現〉より、〈主体表現〉/〈客体表現〉のほうがよいと思っている。「主体的」というと、「主体性がある」ということと混同されやすいからだ。

佐々木は〈主体表現〉/〈客体表現〉について予備校生に説明するとき、「私は絵は上手じゃないんだけど‥‥」と断ったうえで、下のような絵を描き、以下のように話していた。



「これ、何の絵だかかわかる? ‥‥お碗の絵だよね。じゃあ、これは何の絵だかわかる?」



「これもやっぱりお碗の絵だよね。(A)も(B)も、描いてあるものは同じだ。じゃあ、(A)と(B)は、何が違うんだろう? ‥‥この絵を描いた人が、お碗をどの角度から見て描いたかが違うんだよね。だから絵には、“描かれた物”が表現されているだけじゃなくて、“描いた人の位置”も表現されている、ということになる。“お碗を描写した人の位置”を表現せずに、“お碗”だけを表現するということは、絵の場合、不可能なんだ。じゃあ、絵じゃなくて言葉の場合はどうだろう?」



「このように『お碗』と書いてあるのを見ても、この言葉を書いた人がお碗をどこから見ているのかは、わからないよね。“お碗を描写した人の位置”を表現せずに、“お碗”だけを表現できるというのは、絵画と比べたときの、言語の大きな特徴だ。じゃあ、言語では、“お碗を描写した人”のことは何も表現できないのかな? そんなことはないよね」



「この『お碗だ。』の『だ。』の部分は、何を表現してるんだろう? この表現をした人が、自分の判断に自信を持っていることを表現しているんだよね。次の文と比較してみればわかる」



「この『お碗かもしれない。』の『かもしれない。』の部分は、この表現をした人が、自分の判断に自信を持っていないことを表現している。だから言語でもやっぱり、“表現されたもののこと”だけじゃなくて、“表現した人自身のこと”も表現できるんだ。こういう、“表現した人自身のこと”の表現を、〈主体表現〉と呼ぶんだ。それに対して、“表現されたもの”の表現は、〈客体表現〉と呼ぶ。今説明した例でわかってほしいんだけど、絵画の場合は、〈主体表現〉と〈客体表現〉はまったく切り離せない。言語の場合は、〈主体表現〉と〈客体表現〉を切り離して行うことができる

2009年7月17日金曜日

三浦文法学

大学受験予備校に勤めていたころ、英文解釈(和訳)の講義をいくつか受け持っていた。

生徒の和訳は、日本語として奇妙であることが少なくなかった。

そういうとき、単に日本語が奇妙であることを指摘したり、より適切な表現を提示したりするだけでは、佐々木の気は済まなかった。

「その表現がなぜ奇妙なのか」という理由を生徒納得させる義務が、教師の自分にはあると思っていた。

日本語表現の適否について、生徒にも佐々木自身にも納得のいく説明をするうえで、最も助けになったのは、三浦つとむの文法学だった(『認識と言語の理論』、『日本語はどういう言語か』、『こころとことば』他)。

日本語表現について生徒に本質的に考えて欲しいとき、佐々木は三浦つとむにならい、黒板に次のように書いて説明しはじめたものだ。

 日本語   
 英語    }?
 中国語 
 ‥‥ 

「日本語、英語、中国語‥‥。こういうのを合わせて、なんて言う? そう、『言葉』、難しく言うと『言語』だよね」

 日本語   
 英語    } 言語
 中国語    絵画   }?
 ‥‥      音楽 
          ‥‥

「じゃあ、言語、絵画、音楽‥‥。こういうのを合わせて、なんて言う? 難しいかな? 『表現』と言うんだよね」

 日本語   
 英語    } 言語
 中国語    絵画   } 表現
 ‥‥      音楽 
          ‥‥

「ものごとは小さな部分だけ見ていても、正しく理解することはできないんだ。日本語について正しく理解しようと思ったら、『そもそも日本語ってどういう言語なんだ?』とか、『そもそも言語ってどういう表現なんだ?』とか、そういう大きな観点で考えてみる必要があるんだ。だからまず、〈言語での表現〉にはどんな特徴があるのかを、〈絵画での表現〉と比べながら考えてみよう」

2009年7月16日木曜日

「なにがなんだかわからない」ということも「なにがなんだかわからない」

認識学者の海保静子は『育児の認識学―こどものアタマとココロのはたらきをみつめて』で、生まれたばかりの赤ん坊の認識を、(絵で表現することのの難しさを断ったうえで)次のような絵で表現している。



以下は海保による上の絵の説明。
《 〔‥‥〕図のなかには外界である産室にいるお医者さんと看護婦さんと赤ちゃんを産んだお母さんがいますが,この外界は赤ちゃんの認識=像のなかにははいっているとともにはいってはいません。なぜなら,赤ちゃんにとって産室の現象形態のすべてとその雰囲気が外界としてどっと押しよせているのですが,当の赤ちゃんにはそのすべてが「なにがなんだかわからない」ものに一挙に押しかぶせられた状態となっているからです。
 ここで雰囲気が一挙に押しかぶさったとの表現を「オーバーな!」と思わないでいただきたく思います。胎内にしかいたことのない赤ちゃんにとっては,雰囲気そのものを伝えてくれる産室の空気は,みたことも聞いたことも味わったこともない,真の意味ではじめての体験なのであり,そのはじめての体験を,五感器官もまたはじめて体験するのですから。ここで赤ちゃんは五感器官をとおしてはじめて空気といわば面接したのですから。というより,面接させられたということなのですから。
 これらの五感器官をとおしてはじめていわゆる面接させられた雰囲気なるものは,前にも述べたように外界である産室であり,そのなかにある器具であり,お母さんであり,お医者さんであり,看護婦さんであり,これらの人々と室内がかもしだすものなのです。
 それだけに,当の赤ちゃんの五感器官は,すべてを単一性のすべてとして反映するしかできまん。ですから,赤ちゃんの脳細胞がこれまたはじめて描く認識=像は,まったくもって無茶苦茶というより以上の,でたらめという以上のなにがなんだかわかることが絶対不可能な「なにがなんだかわからない」ということも「なにがなんだかわからない」ところの像なのです。
 それは有体には,像というより,濃霧がいわば荒れ狂っている状態といった,かたちをなすことがまったくないかたちであるといってよいと思います。これが,はじめて脳細胞が描くことのできる初体験であるところの認識=像なのです。
 ですから,外界であるお医者さんや看護婦さんやお母さんはすべて対象が定かでない,ないし定まらない,というより定めるスベも知らないだけに,いわば濃霧に包まれたかたちそのままであり,お母さんの声も,お医者さんの声も,看護婦さんの声も,お母さんの体も,お医者さんの手も,看護婦さんの手も,すべて濃霧のまっただなかの出来事,状態であるととっていただくのが,正解に近い像=認識であるといってよいと思います。それゆえに,当の赤ちゃんの認識=像を描くには,このようにしか描くことができない! ということになるのです。》
“「なにがなんだかわからない」ということも「なにがなんだかわからない」”状態を出発点として個人の認識が発展するのだという海保の指摘は、人間の認識の発展を理論的に解明しなければならない立場の人々から、もっと真剣に受けとめられてよいと思う。

2009年7月15日水曜日

青空

晴れた空を見上げるのは気持がいい。

最近特に気持ちがいい。

2009年7月14日火曜日

主部と述部

文法上、「主部」と「述部」という区別がある。

「象がいる。」

という文の場合、「象が」の部分が主部であり、「いる」の部分が述部である。

一般な順序としては、主部が先に述べられ、述部が後から述べられる。

だがこの順序は、表現上の規則もしくは慣例であるに過ぎない(特に日本語の場合は、規則としての性格よりも慣例としての性格の方が強い)。

表現上の順序は、表現者の認識の順序とは、必ずしも一致しない。

「象がいる。」

という文の場合は、

「(何かが)いる」
   ↓
「(何がいるかと思ったら)象が」

という認識の順序が表現されている。

(一般的な定義ではないが)仮に認識の出発点を「主題」と呼ぶならば、上記の例文の場合、「いる」という述部が主題ということになる。

これに対して

「象は哺乳類である。」

という文の場合は、

「象は(どの類に属する動物か?)」
   ↓
「(属する類は)哺乳類である」

という認識の順序が表現されている。

後者の例文の場合は、「像は」という主部が(ここで言う)主題ということになる。

人類の発展史、もしくは個人の成長史という観点で見たとき、「主部を主題とする文」と「述部を主題とする文」とでは、どちらが先に生まれた(生まれる)のだろうか?

「述部を主題とする文」の方が先である、と考えて間違えないと思う。

2009年7月13日月曜日

川喜田二郎さん

KJ法創始者の川喜田二郎さんが先週亡くなられたことを、先週末知った。

川喜田さんの仕事も、時代を越えて有効性を発揮していくことだろう。

KJ法とマインドマップの比較については、以前書いた

付け加えるなら、マインドマップの方法論には「自分の能力」に対する信仰があるのに対し、KJ法の方法論には「自分の努力」に対する信仰があるように思う。

同じことかもしれないが、KJ法の方法論は、マインドマップの方法論に比べて、「現在の自分の見解」に対する謙虚さと、その限界を越える可能性への希望が、より濃厚であるように感じられる。

川喜田さんの次のような言葉には、学者としての熱い使命感が感じられ、読むたびに居住まいを正される。
《二次ノートの文章や画は完全なものでなければならない。すわなち、仮に自分が突然死んでも、自分の残した記録はけっして意味を間違えずに他人に活用できるという精神でやるべきである。》
(『発想法』「野外科学の方法と条件」)
《たとえそれを書きおえた瞬間に自分が死んでも、そこまで書きすすめてきた文章の内容が、叙述と解釈の区別の上で、他人にも誤解なく伝わるはずであるという態度で書くべきなのである。》
(同前「発想をうながすKJ法」)

2009年7月12日日曜日

マッカーサー

連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが解任され日本を離れるとき、20万人の日本人が見送りに駆けつけ、女性の多くは涙を流したのだとか。

今朝の東京新聞の記事。
《 「あの朝の見送りは本当に異様で不思議な光景だった。今も鮮烈に覚えています」
 評論家の森本哲郎さんは、今年八十三歳。その長い記者人生の中で最も記憶に残る衝撃的なニュース、それは連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の解任と日本人二十万人の送別風景だった。今から五十八年前、東京新聞で駆け回った若き記者時代のことである。》
《 〔‥‥〕元帥がトルーマン米大統領と対立して突然解任され、帰国の途についたのは昭和二十六年四月十六日のことである。日本人にとって、それは驚天動地の衝撃だった。
 この時取材に当たった一人が当時、東京新聞の社会部記者だった森本さんだ。》
《 元帥の特別車が大使館から走り出てきたのは午前六時すぎ。警視庁音楽隊の演奏が響き渡る中、ゆったり走る元帥の車を森本さんも車で追った。そして沿道の異様な光景に目を見張る。早朝なのに多くの商店が店を開け、どの家も「日の丸」が掲げられていた。道の両側は両国の小旗を手にした群衆が埋め尽くす。森本さんは先回りしてはその風景を取材し本社に送った。
 「六時三十五分、十二台の白バイが日本の奔流となって眼前をかすめ去り、朝日を浴びて元帥の車がさしかかると群衆は、『万歳、万歳』とどよめきながら車道になだれ出た。夫人は白いハンカチを目に当てている。込み上げる激情を抑えきれなかったのだろう。それを見て顔を覆う若い婦人たち…」(当時の夕刊記事から)
 羽田までの沿道を埋めた群衆は約二十万人。女性の多くが哀惜の涙を流して旗を振ったという。それは戦争に勝った凱旋将軍を迎えるような光景だった。数年前まで「鬼畜米英」と叫び、憎悪を抱いていた敵国指導者に対し、なぜこうも熱狂して送ることができるのだろうか…。
 日本人の不思議な感情に違和感を覚えつつ森本さんは「あえて主観を交えず、ありのままを書いて送った」と振り返る。》
(2009年7月12日朝刊「東京の記憶 戦後65年目 焦土からの出発<15> マッカーサー元帥離日 異様 20万人が感涙の送別」)
日本人にとって最後の〈英雄〉はマッカーサーなのかもしれないと、佐々木は思った。

2009年7月11日土曜日

日本語の文法

マーケティングの教科書によく、「人間は快を求めるよりも不快を避ける」という法則が取り上げられる。

その法則の証明として、「単細胞生物であるアメーバさえそのような行動を取る」という事実が提示される。

快/不快の認識こそ、生物にとって最も根源的な認識であるに違いない。

アメーバたちの認識をあえて言葉で表現するなら、「快!」、「不快!」という感じだろうか。

現状の認識だけでなく行動の認識も含めて表現するなら、「快!(これを求めよう!)」、「不快!(これを避けよう!)」となるかもしれない。

アメーバたちにとっては、この二つが認識のすべてなのではないか。

これは、地球上に生命が誕生して間もない頃の単細胞生物の認識にしても、同じだったことだろう。

その後、生存上の必要から生物が進化するに伴い、生物の認識もより細かく、より体系的で、より高次元なものへと進化していったことだろう。

最初は、快/不快の原因(「何が」)と、快/不快の様態(「どのように」)が、徐々に識別されていくところから、認識の進化が進んだのではないだろうか。

さらに、ただ水中をただようだけだったクラゲ類の段階から、自ら水中を移動していく魚類の段階へと進化するに至り、「ここ」と「あそこ(ここではない特定の場所)」が識別され、場所の認識が生まれるに至ったに違いない。

さらに生物の進化のどこかの段階で、「今」と「いつか(今ではない特定の時)」が識別されるようになり、時間の認識が生まれたのだろう。

人類が登場し、認識が徐々に本能の統括から解放され、また集団内での認識の交流が行われるようになった結果、「自分の認識」と「相手の認識」が識別されるようになり、認識主体の認識も生まれた。

生物の認識は、おそらくこのような形で進化してきた。

言語は、このような過程を経て細分化・複雑化・体系化・高次元化してきた認識を、そのような細分性・複雑性・体系性・高次元性を有するものとして表現し得るように、発展してきたものだ。

日本語だろうが印欧語だろうが、この事情は変わらない。

ただ日本語と印欧語では、認識の細分性・複雑性・体系性・高次元性を表現する仕組みに、かなり大きな違いがある。

日本語の文法について理論的に説明するためには、高度化する認識の要求に対して、言語一般がどのような進化で応えてきたかという問題と、日本語がどのような進化で応えてきたかという問題の両方を、論理的に解明することが欠かせない。

印欧語の文法概念を機械的に日本語に当てはめても、まともな説明にはならないはずである。

2009年7月10日金曜日

本質

三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』に、下ような絵と説明が出てくる。
《(A)図は、誰が見てもドロボウが警官にひっぱっていかれるありさまです。(B)図は何でしょうか? 見たところドロボウが警官をひっぱっていくようにも思われますし、そういうこともありますが、ここではニセ警官が私服の変装した警官にひっぱっていかれるありさまです。
(A)も(B)も基本的には同じですが、見かけは逆になっています。本質と現象とは必ずしも一致しないこと、時・所・条件によって時には逆立ちしたかたちで現象することがわかります。》
「本質は目に見えない(=目に見えないのが本質である)」ということの、これほどわかりやすい説明は、ちょっと他には見当たらないと思う。

2009年7月9日木曜日

10年、100年

2009年も既に半分が過ぎた。

来年は2010年だ。

21世紀も10年目、その10分の1が終わるということになる。

小学生の頃、21世紀は遠い未来のことのように思えた。

計算してみて、21世紀になっても自分が大人として活きている可能性が高いことがわかったときには、軽い興奮を覚えたものだった。

その21世紀が始まったのは、ついこの間のことのようだ。

1世紀=100年などという単位は、普通は歴史上の尺度であって、個人的な生活の尺度としては、なかなか実感が湧きにくい。

だが10年という時間がたった10回過ぎるだけとわかれば、1世紀という単位も、ずいぶん実感を伴ったものになる。

自分が既に40歳近くなったことで、10年という時間を、頭ではなく体で理解できる度合いが高まったせいもあると思う。

10年などという時間単位を、自分の生活尺度として使うようになったのは、せいぜい18歳ぐらいからのことだろう。

だから38歳の今は、10年という時間単位が、自覚的な生活尺度として2回過ぎたことになる。

1回過ぎただけの時点では、「ああこれが10年なのか」という感想を持てただけだった。

2回過ぎてようやく、「10年とはこういう時間の長さである」という実感が出てきた。

3回過ぎたときには、今よりももっと、10年という時間単位への理解が深まるはずだ。

その頃になれば、100年、200年という単位で有効性を発揮していくような仕事も、できるようになれると期待している。

2009年7月8日水曜日

社会科学

社会科学は自然科学よりも有効性が低い、という考え方がある。

政治学者の滝村隆一さんは、この考え方を次のように批判している。
《 社会科学だろうが自然科学だろうが、〈科学〉というからには、対象の直接の現象的諸形態に関わる個別性・特殊性を捨象して、その背後の一般的性格を論理的に媒介・止揚しながら抽象し、一般的な理論・法則として構成する点で、共通の〈方法的〉特質をもっている。因みに現象的または即物的にみるならば、〈地代〉は恰も土地生産物であるかの如く土壌それ自体から直接生み出されるかに錯覚させられて、決してそれが、直接眼には視えない社会的諸関係によって大きく媒介された所産であることを、看取できない。同じように、ニュートンの万有引力の法則は、落下したリンゴそれ自体の特質ではなく、〈リンゴの落下〉現象の背後に潜む〈重力〉としての一般的性格を直観的に看取することによって生じたものである。
 ただ社会的事象に対する〈科学的〉解明には、対象的事物を直接の実体的にとりあつかうのではなく、実体的事物が孕む幾重にも錯綜した諸形態・諸属性・諸関係を、何よりも論理的に区別しその内的関連を統一的に把握(再構成)し整除するための、極めて特殊で高度な論理的・方法的能力の錬磨と開発を要する。従って、〈科学者〉というにふさわしい研究者の輩出が極めて稀であるばかりか、かく構成された理論自体が、かかる特殊な訓練をへた者でないと、なかなか理解されにくいという特徴をもっている。これに対して自然科学の場合には、この種の特殊に高度な論理的能力上の困難は存在しない。それは、自然法則の発見・定立とその論証過程において、自然的事象をごく単純に直接の実体的事物としてとりあつかうことによっても可能だからである。例えばそこでは、直接の実体的事物として扱うことのできる当該生物個体の顕著な特徴が、そのまま生物生理学上の一般法則としての性格を把持している場合が多い。しかもかかる実体的な自然的事物としての把握には、その直接的観察と直接的再現が前提となっている。すなわち自然的事物からの任意的摘出や純粋の人工的設定等の形態をとった、いわゆる〈実験〉的実証がそれである。
 かくて自然法則の成否如何が、〈実験〉的実証という素人にも有無をいわせない即物的確実性をもって論証されることは、自然科学の大きな特徴といってよい。しかもかかる特質は、一方で自然科学者に高度の論理的・方法的鍛練を不要たらしめると共に、他方で〔‥‥社会科学の分野における〕即物的経験論者からの全面屈伏を獲得せしめる所以ともなったわけである。》
(『国家論をめぐる論戦』「唯物史観をめぐる論戦」)
佐々木は学生時代にこの批判に接し、滝村さんの言う「極めて特殊で高度な論理的・方法的能力」を身につけ社会のため役立てることに、自分の生涯を捧げようと思った。

業務マニュアル製作という仕事は、佐々木個人にとって、そのような意義も持っている。

2009年7月7日火曜日

『ガープの世界』を読み返した

ジョン・アーヴィングの小説『ガープの世界』(新潮文庫、筒井正明訳)を再読した。

不寛容かつ過激な女権運動家集団への怒りをあらわにする主人公ガープに、妻ヘレンが言った次のセリフを読み返したくなったから。
"Tolerance of the intolerant is a difficult task that the times asks of us."
《「不寛容なものに対する寛容さは、時代がわたしたちに要求している困難な課題じゃないかしら」》
(下巻「18 ひきがえるの習性」)
このセリフを読み返したくなったのは、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』を読んで、彼の過激な反ユダヤ思想に触れたから。

〈過激な国家社会主義におけるユダヤ人の位置づけ〉が〈現実の国民国家とユダヤ人の関係〉から逸脱している様子は、〈過激な女権主義における男性の位置づけ〉が〈現実の女性と男性の関係〉から逸脱している様子になんとなく似ていると、佐々木は以前から思っていた。

『ガープの世界』という小説自体は、〈ユダヤ人(もしくはユダヤ的とされる思想・行動)に対する不寛容〉などといったテーマと重ね合わせて読まれるべき作品ではない。個人の人生や日々の生活に引き寄せてのみ、読まれるべき作品だ。

ただ「不寛容なものに対する寛容さ」という言葉には、何か個人レベルの生活信条を超えた大切さがあるような気がしたのだ。

と同時に、「寛容なものに対する不寛容さ」もまた、「時代がわたしたちに要求している困難な課題」なのではないかという気も。

2009年7月6日月曜日

客観性ぐるい

アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』(平野一郎、将積茂訳)は、彼の人種論、文化論、国家論、組織論などそれぞれ興味深かったが、特に宣伝論がおもしろかった。

ドイツ人は「客観性ぐるい」で宣伝が下手だ、という批判は、佐々木自身のこととして身につまされた。
《 〔‥‥〕宣伝はだれに向けるべきか? 学識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか?
 宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである!》
《宣伝の課題は、個々人の学問的な形式ではなく、ある一定の事実、ある過程、必然性等に大衆の注意を促すことにある。そのために宣伝の意義は、まず大衆の視野にまでずらさねばならない。
 〔‥‥〕もともと学問的経験のあるものや、教養を求め洞察をうけるために努力しているものの教化にあるのではないから、その作用はいつもより多く感情に向かい、いわゆる知性に対してはおおいに制限しなければならない。
 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない。〔‥‥〕
 宣伝の学術的な余計なものが少なければ少ないほど、そしてそれがもっぱら大衆の感情をいっそう考慮すればするほど、効果はますます的確になる。》
《 宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
 大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてそこれをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に行わなければならない。》
《 宣伝の課題は、たとえば種々の権利を考慮することではなく、まさに宣伝によって代表すべきものをもっぱら強調することにある。宣伝は〔‥‥〕絶えず自己に役立つものでなければならない。
 戦争の責任について、ただドイツだけがこの破局の勃発に責任があるのではない、と論ずることは、この観点からすれば根本的に誤りであった。かえって実際には、ほんとうの経過はそうでなかったにしても、事実そうであったように、この責任をすべて敵に負わすことが正しかったであろう。》
《 大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。一度、自国の宣伝によって敵側の一まつの権利さえも認められるようになると、すでに自己の権利に疑惑をもたらす根拠を置いたことになる。大衆は相手の不正がどこで終り、自分の不正がどこからはじまっているか、その時判断する立場にはない。そういうばあいにかれらは不安になり、邪推したりする。特に相手が必ずしも同じように無意味なことをせず、何もかも責任をこちら側に負わせてくる場合がそうである。そこで団結して一元的に行われる敵の宣伝を、ついにわが民族が、しかも自国の宣伝より以上に信ずることは、はっきりしないだろうか? ドイツ人のようにもともと非常な客観性ぐるいになっている民族のばあいにはなおさらだ! というのは、ドイツ人のばあいは、自分の民族や国家のこのうえなき重荷や、そのうえ破滅の危険をおかしてまでも、敵に対してとにかく不正なことをしないように、すべてのものが努力するからである。
(「第六章 戦時宣伝」)

2009年7月5日日曜日

共感能力

「共感すること」と「共感を示すこと」はイコールではない。

共感を示す言葉や身ぶりを頻繁に使う人間が、共感能力が高いわけではない。

「大変ですね」という言葉が相手にとって慰めになるのは、相手が置かれている状況が、それほど「大変」でない場合に限られる。

本当に大変な状況に置かれた人間にとって必要なのは、現状の中に幸福や希望を発見し、確認することだ。

現状が「大変」であることを改めて確認させられても、有難迷惑以外の何ものでもない。

共感する能力が高い人間であれば、そうした相手に対して、むやみと「共感」を示すことはないはずだ。

2009年7月4日土曜日

哲学

ヘーゲルの『小論理学』(松村一人訳)を読み返していたら、次の文が目にとまった。
哲学の歴史が示すことは、異った姿をとってあらわれるさまざまの哲学体系は、発展段階を異にする一つの哲学にすぎないということであり、それぞれの体系の基礎にある特殊な原理は、同じ一つの全体のにすぎないということである。》
(「エンチクロペディーへの序論」)
この文を読んで、大学生の頃「ヘーゲルにはまっている」と友人に言ったら、「ヘーゲルの哲学って、どんな哲学なの?」と聞かれて、絶句してしまったことを思い出した。

友人はたぶん、哲学を思想と同じものだと思っていたのだろう。

たとえば物理学者の名前を挙げて、「だれそれの物理学って、どんな物理学なの?」と聞かれたら、普通は奇妙に感じるだろう。

物理学は、それぞれの物理学者が頭の中で勝手に作り上げるものではない。

物理学者は、全体で一つの体系を成している物理学の発展と継承を、それぞれの局面、それぞれの分野で担うに過ぎない。

哲学だって、物理学的と同様、一つの体系的な学問だ。

それぞれの哲学者が、頭の中で勝手に作り上げるものではないのである。

ただ哲学の場合、物理学など他の学問分野に比べて、その学問の発展と継承を担えるだけの学者の出現が、あまりにも稀であるという違いはあるが。

2009年7月3日金曜日

呼吸法で命拾い

12、3年ほど前、信州のある有名リゾート地で、遭難しかかったことがある。

数か月ががりの仕事を終え、衝動的に息抜きがしたくなり、ろくに計画もせず、地図も持たず、中央線の特急に乗車。

適当に下りた駅で、水も食料も持たないまま、景色のよさげな山道へ。

有名リゾート地ということで「軟派な観光スポット」となめきっていたら大間違い。

歩き続けているうちに、思いのほか本格的なトレッキングコースに。

1時間も歩けば食べ物屋もあるだろう、との勝手な思い込みも裏切られ、突然、歩くのが困難なほどの空腹に襲われる。

これは遭難するかも、と思ったら、恐怖で頭も体もロックされたように動かなくなった。

どうすればいい?

ふと、

「呼吸は精神や肉体の状態を反映するが、逆に呼吸をコントロールすることによって、精神や肉体の状態をコントロールすることもできる」

という教えが頭にひらめいた。

高岡英夫先生から習った「呼吸体操」、「胸腹呼吸法」、「腹腰呼吸法」をやってみた。

ものの数分で頭も体も軽くなり、空腹も気にならなくなった。

そのまま景色を楽しみながら元気よく数時間歩き続け、無事、里に出ることができた。

修業というのは思いもかけないところで役だつものだ。

(「呼吸体操」、「胸腹呼吸法」、「腹腰呼吸法」については高岡英夫先生の『本番に強くなる!奇跡の「ゆる呼吸」』を参照)

2009年7月2日木曜日

金銭を悪と見なす思想

福澤諭吉の『福翁自伝』に、諭吉が子供のころ、諭吉の兄と姉が九九を習っていると聞いて、父が激怒したという話が出てくる。
《〔‥‥〕私の父は学者であった。普通(アタリマエ)の漢学者であって、大阪の藩邸に在勤してその仕事は何かというと、大阪の金持、加島屋、鴻ノ池というような者に交際して藩債の事を司る役であるが、元来父はコンナ事が不平で堪らない。金銭なんぞ取り扱うよりも読書一遍の学者になっていたいという考えであるに、存じ掛けもなく算盤を執って金の数を数えなければならぬとか、藩借延期の談判をしなければならぬとかいう仕事で、今の洋学者とは大いに違って、昔の学者は銭を見るも汚れると言うていた純粋の学者が、純粋の俗事に当るという訳けであるから、不平も無理はない。ダカラ子供を育てるのも全く儒教主義で育てたものであろうと思うその一例を申せば、こういうことがある。
 私は勿論幼少だから手習いどころの話でないが、もう十歳ばかりになる兄と七、八歳になる姉などが手習いするには、倉屋敷の中に手習いの師匠があって、其家には町家の子供も来る。そこでイロハニホヘトを教えるのは宜しいが、大阪のことだから九々の声を教える。二二が四、二三が六。これは当然(アタリマエ)の話であるが、そのことを父が聞いて「怪しからぬことを教える。幼少の子供に勘定のことを知らせるというのはもっての外だ。こういう所に子供くを遣って置かれぬ。何を教えるか知れぬ。さっそく取り返せ」と言って取り返したことがあるということは、後に母に聞きました。》
それから、当時の武士たちが、自分で買い物をするのが恥ずかしいので、夜、頬冠(ほおかぶり)をして買い物に行っていた、という話も出てくる。
《〔‥‥〕私が世間に無頓着ということは、少年から持って生まれた性質、周囲の事情に一寸(ちょい)とも感じない。藩の小士族などは、酒、油、醤油、などを買うときは、自分自ら町に使いに行かねばならぬ。ところがそのころの士族一般の風として、頬冠をして宵(ヨル)出掛けて行く。私は頬冠は大嫌いだ。生まれてからしたことはない。物を買うのに何だ、銭をやって買うに少しも構うことはないという気で、顔も頭も丸出しで、士族だから大小は挟すが、徳利を提げて、夜はさておき白昼公然、町の店に行く。銭は家の銭だ、盗んだ銭じゃないぞというような気位で、却って藩中者の頬冠をして見栄をするのを可笑しく思ったのは少年の血気、自分独り己惚ていたのでしょう。》
当時の武士階級から、いかに金銭が「悪」と見なされていたかがわかる。

これは必ずしも、当時の武士たちが愚かだった、という話ではないと思う。

貨幣経済の浸透が伝統的共同体の解体につながることが、共同体の支配層に正しく認識されていた、と解釈すべきだろう。

現に伝統的共同体が実生活の基盤として機能しているところで、その解体を促進する要素の蔓延に倫理的な歯止めをかけることは、合理的だ。

このような過去の倫理を、すでに貨幣経済が実生活の基盤として機能している現代の常識から、非難したり軽蔑したりすることはできない。

そしておそらく、貨幣経済が実生活の基盤となった現代にあっても、こうした倫理的な歯止めの必要性そのものは失われていない。

2009年7月1日水曜日

支配欲

ヘーゲルの『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)の中で、佐々木が好きな箇所を一つ。
《歴史的人物を考察するには、その関心と情熱がどのような全体的事業にむけられたかを見なければなりません。〔‥‥〕こうしたものの見かたは、いわゆる心理的考察をも排除します。心理的考察とは、嫉妬心の満足には大いに役だつもので、すべての行動をその心理にわけいって説明し、主観的形態に還元してしまう。すると、行動をおこした人はすべてを大小なんらかの情熱にもとづいて、つまり欲心にもとづいておこなったことになり、この情熱ないし欲心のゆえに、道徳的人間ではないことになります。マケドニアのアレクサンダー大王はギリシャの一部を征服し、ついでアジアを征服した、だからかれには征服欲があった、といわれる。かれの行動は名誉欲や征服欲にもとづくもので、欲がかれをかりたてたことの証明は、かれが名誉を得、征服をおこなった事実にもとめられる。アレクサンダー大王やユリウス・カエサルをあつかう学校教師のなかで、この二人がそうした情熱に突きうごかされた不道徳な人間であることを証明してみせなかった人がいるでしょうか。そこからただちに出てくる結論として、大それた情熱をもたない学校教師のほうが、アレクサンダーやカエサルよりも立派な人間だということになり、それを証明するものとして、学校教師はアジアを征服もしないし、ダリウスやポロスを打倒もせず、人に危害をくわえることなく安穏にくらしている、という事実があげられるのです。》
(「序論 B 歴史における理性とはなにか」)
「支配者」や「征服者」に対する批判的な言辞に接するたびに、この一節を思い出す。
 
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