2009年5月31日日曜日

手術後46日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から46日目。

病室に入った時点で目が合う。

声を掛けると
「すごい頭痛い」
とささやく。

言葉が出るのは手術後8日目以来。

その後も何か言おうとする、音声がきちんと出ず、聞き取れない。

聞き返すと、首を振ったりうなずいたりする。

あまり動きのなかった左手脚も少し動かしていた。

執刀医の方から受けた説明を伝えると、うなずく。

また意識が回復してきたようだ。

2009年5月30日土曜日

手術後45日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から45日目。

酸素マスクが外されていた。

点滴はそのまま。

目を閉じたまま、右手足をときどき動かす。

声をかけると目は開く。

視線は定まらない。

2009年5月29日金曜日

手術後44日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から44日目。

日中行った手術の麻酔がまだ切れないのか、いびきをかいて眠っていた。

口には酸素マスク。

頭頂部付近には、前後方向に包帯が貼ってあった。

腕には点滴。

右手首がベッド柵に紐でつながれていた。

2009年5月28日木曜日

手術後43日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から43日目。

自分の傷口を触るのを防ぐため?の大きな指無し手袋が、なぜか右手から左手に移されていた。

目を開けてやや不安そうな表情で身を震わせよじらせるが、しばらく手を握っていると落ち着く。

声を掛けると目が合う。

2009年5月27日水曜日

手術後42日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から42日目。

日中病院に行き、執刀医の方から次の説明を受ける。

●意識がぼんやりしている原因は水頭症。脳に髄液がたまっている状態。

●10日前に比べると覚醒状態がよくなったのは、腰から管を入れて、脳に溜まった髄液を抜く処置を行ったことによるもの。

●腰からの管は、入れっぱなしにはしておけないので、外した。

●このままにしておくと、また脳に髄液がたまっていく。

●この状態を改善するため、脳室から腹腔に髄液を流す管を入れる手術を行いたい。

●この手術は、傷口からの感染などのリスクもあるにはあるが、最初に行った手術に比べれば、ずっとリスクは少ない。

●今度の木曜日の午後に手術室が空いているので、その日に実施したい。

●この手術によって、意識の覚醒状態が安定して得られることが期待される。

●意識の覚醒状態が安定して得られたところで、リハビリに移りたい(覚醒していないとリハビリはできない)。

上記の方針を承諾。

病院事務の方から高額療養費制度について説明を受ける。

4月分の医療費の支払いを現金で済ませた。

2009年5月26日火曜日

手術後41日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から41日目。

日中見舞いに行く。

大きな指無し手袋を付けられた自分の右手を眺めたり、右手でベッドの手すりをなぞったりする。

動きの少なかった左半身でも、脚をゆっくり動かしたりしている。

声を掛けたときだけ目が合う。

2009年5月25日月曜日

手術後40日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から40日目。

前日から大きな変化はなし。

目は開くが、視線が定まらない。

頭の手術跡は少しずつよくなっている。

2009年5月24日日曜日

手術後39日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から39日目。

一人部屋から四人部屋に移動。

頭の骨を戻す手術をしたときの傷に貼り付けられていた包帯が、取られていた。

声を掛けても目をとじたまま。

右手足をゆっくり動かしている。

左手も握ると握り返す。

帰り際に声を掛けると、目を開けてこちらを見る。

こちらを見たり、視線が外れたりの繰り返し。

2009年5月23日土曜日

手術後38日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から38日目。

病院に書類を提出する必要があって、日中に見舞いに行く。

やはり夜よりは脳の活動度が高いように見える。

目を開けて、ときどきこちらを見ながら、「ワーーオーー‥‥ワーーオーー‥‥」と言っているように口を動かす(声は出ない)。

病院に提出する書類に本人の署名・捺印欄があったが、本人の事理弁識能力が失われている状態なので、本人の名前だけ記入し、保証人欄に佐々木の印鑑を押して提出する。

すると病院の受付担当者は、本人の印鑑も押されていないと受領できないと言う。

事情を説明すると、そのような状態でも本人の印鑑を押して提出してください、とのこと。

そうやって本人が与り知り得ない状態で押された印鑑であっても、病院が曝される訴訟リスクの軽減に、おそらく役立ちはするのだろう。

だがそのような形で印鑑を利用することには、目に見えないデメリットも伴う。

一つは、「非人間的な組織」という印象を利用者に与えること。

もう一つは、病院を訴訟から守るはずの「印鑑による意志表明の証拠性」自体が、ジワジワと損なわれていくこと。

本人の印鑑欄には、佐々木の認め印を押して後日提出することにする。

2009年5月22日金曜日

手術後37日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から37日目。

前日よりは、視線が落ち着かない感じ。

声を掛けた時しか目が合わない。

市役所に、健康保険の限度額適用認定証の発行を申請に行く。

思っていたよりも簡単に発行してもらえた。

2009年5月21日木曜日

手術後36日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から36日目。

前日よりは、しっかりとこちらを見続ける。

あまり夜遅くならなかったせいもあるかもしれない。

病院の事務の方から、電話で費用に関する説明を受ける。

2009年5月20日水曜日

手術後35日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から35日目。

声を掛けたときだけ目を合わせる。

無表情。

大きな指無し手袋を付けられた右手で、しきりに、ゆっくりと、自分の右腿裏や股間をさする。

手術数日後に「かったるい、かったるい」と言いながら自分の脚をさすっていたことを思い出す。

左手、左脚の動きは少ない。

2009年5月19日火曜日

手術後34日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から34日目。

いつものように夜に見舞いに行く。

声を掛けると目が合うが、すぐに天井のほうを見たままになる。

昼間のほうが夜よりも脳の活動が活発ということか。

夜でも目が合うようになっただけでも進歩。

点滴や採血が続くせいか肌が荒れていた腕に、ネット状の包帯が巻かれていた。

2009年5月18日月曜日

手術後33日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から33日目。

夜用事があったので、夕方に見舞いに行く。

病室に入って声を掛けるとこちらを向き、目が合う。

ずっと目があったまま。

まともに目が合うこと自体、22日ぶり。

口を開い動かし、何か話そうとする。

数回音が出たが、聞き取れない。

こちらのことや、こちらの言葉をどれくらい理解しているのかは不明だが、ときどきうなずく。

病室を出るまで、ほぼこちらを見たままだった。

2009年5月17日日曜日

手術後32日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から32日目。

顔の腫れ、だいぶ引く。

熟睡したまま、大きな指無し手袋を付けられた右手で、ときどき自分の頭の傷口に触っていた。

そのせいで、粘着テープで止められた包帯がはがれ落ちていた。

2009年5月16日土曜日

手術後31日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から31日目。

熟睡。

顔の腫れは少し引いてきた。

しばらく付けられていなかった大きな指無し手袋(自分で自分の頭の傷を広げるのを防ぐためのもの)が、右手にだけ付けられていた。

流動食を入れるチューブが、左の鼻の穴から右の鼻の穴に移されていた。

2009年5月15日金曜日

手術後30日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から30日目。

四人部屋から一人部屋に移動。

状態に大きな変化なし。

顔の左半分、特に左目尻付近の腫れ上がりがひどい。

前日は顔の右半分の腫れをひどく感じたが、左半分も腫れた結果、相対的に右半分がましになったようにも見えるが、やはり右半分も腫れたまま。

声を掛けると、びっくりしたように視線は動く。

しかしこちらは認識しない。

咳をするので背中をさするが、やはりこちらを認識することはない。

2009年5月14日木曜日

手術後29日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から29日目。

前日から特に変化なし。

着いたときは完全熟睡。

しばらくして、ゆっくり咳をし始め、目を開ける。

背中をさするが、こちらには気づかない。

咳がおさまっても目は開けたまま。

視線を泳がせることもない。

2009年5月13日水曜日

手術後28日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から28日目。

前日装着されていた酸素マスクが外されていた。

点滴は受けていた。

ほぼ目を閉じたまま。

手を握ると握り返す。

顔の右半分がだいぶ腫れ上がっている。

日中、市役所に介護保険の申請に行った。

介護保険の施設ではなく、健康保険のリハビリ病院に転院するならば、介護保険の申請はまだ先でよいとのこと。

2009年5月12日火曜日

手術後27日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から27日目。

午前中に頭蓋骨を戻す手術。

夜行くと、酸素マスクを装着されて点滴を受けていた。

眠ったまま。

顔全体が腫れぼったい。

手を握ると握り返す。

帰りがけ、執刀医の方に会う。

「今日手術やって、手術無事終わりました」

と説明していただく。

2009年5月11日月曜日

手術後26日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から26日目。

眠ったままだが、ときどきゆっくり体を動かしている。

近所の人がお見舞いに来てくれたようで、手書きのメッセージと花が置いてあった。

点滴中だったので体はゆすらず、しばらく手を握っただけで帰ってきた。

2009年5月10日日曜日

手術後25日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から25日目。

鼻の管から流動食が入れられているところだったので、体をゆするのはやめておく。

執刀医の方から以下の説明を受ける。

●脳浮腫による圧迫を防ぐため外してあった頭蓋骨を戻す手術を、5/11(月)の午前中に行う。

●今のところ元気がないが、頭蓋骨を外して脳が外気圧にさらされている影響もあると思われる。頭蓋骨を戻せば、状態が上向くことが期待される。

●5/1のCTスキャンでは、血管攣縮の影響で多少の脳梗塞はあったが、それほど広範囲の脳梗塞にはなっていなかった。別に広い範囲で脳に障害が発生しているわけではない。だから今後状態が上向く可能性は十分にある。希望を持ってやっていきたい。

2009年5月9日土曜日

手術後24日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から24日目。

夕食直後の時間に行くと、半透明プラスチックの筒型タッパーのような容器が点滴風に吊り下げられ、鼻のチューブにつながれている。なるほど、食事はこういう風に取らせているのかと思う。

目は閉じたまま。

前日は冷たく感じられた右手も、握ると温かい。

リハビリになると思い、右手の指や手のひらを持ってゆすると、握り返すような反応がある。

繰り返していると、目を開ける。

こちらは見ない。

両手を持って軽く吊り、体幹まで揺れるくらいゆすり続ける。

基本的に無表情のままだが、一度ひどく悲しそうな表情になった。

しかし、大きなあくびをするとまた無表情に戻る。

あくびを何度もしていた。

2009年5月8日金曜日

手術後23日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から23日目。

寝たまま。左手が熱く、右手が少し冷たい。

病院の医療ソーシャルワーカーの方と、一回目の面談。

以下の説明を受ける。

●これから転院先のリハビリ病院を探し、2~3週間以内の転院を目指す。

●リハビリ病院への転院を急ぐのは、法律で、リハビリ病院に入院できるのは病気になって2カ月以内と決められているから。

●リハビリ病院で3カ月から4カ月のリハビリを行い、それでも介助が必要な状況が変わらなかった場合は、長期療養病院に転院するか、自宅で介護するか、どちらかになる。

●リハビリ病院と長期療養病院には下記の違いがある。

 【リハビリ】
 リハビリ病院:集中的に行う
 長期療養病院:それほど力を入れない

 【受入条件】
 リハビリ病院:病気になって2カ月以内の人だけ
 長期療養病院:上記の条件はなし

 【可能な入院期間】
 リハビリ病院:3~4カ月に限定
 長期療養病院:通常は半年~1年まで。期限を切らないところもある

 【数】
 リハビリ病院:少ない
 長期療養病院:多い(近所にもある)

●相模原市周辺のリハビリ病院の数は下記(東京23区内を除く)。

 町田市:3
 八王子市:4
 多摩市:1
 相模原市:3
 横浜市:12
 川崎市:3
 秦野市:1
 厚木市:2
 大和市:1
 藤沢市:2
 茅ヶ崎市:1
 山梨県笛吹市:1

●本人は現在、口からの食事ができず、鼻から入れた管で食事をさせている状況。

●上記の状況では、受け入れてもらえないリハビリ病院がある。

●上記の状況での受け入れ実績があるリハビリ病院の数は下記。

 町田市:1
 多摩市:1
 相模原市:1
 横浜市:1
 川崎市:1
 秦野市:1
 山梨県笛吹市:1

●リハビリ病院によっては、医療費や病衣・オムツ代以外に、1日3,000円~4,000円の部屋代が必要になるところがある。

●この部屋代が必要ないリハビリ病院に限ると、選択肢が下記に絞られる。

 多摩市:1
 相模原市:1
 横浜市:1
 山梨県笛吹市:1

●リハビリ病院への転院までの流れは、次のようになる。

 主治医に紹介状を書いてもらう。
   ↓
 紹介状が出来次第、候補となるリハビリ病院に、医療ソーシャルワーカーの方が連絡する。
   ↓   
 向こうの病院で判定会議が行われる。
   ↓
 受け入れられることが決まったら、医療ソーシャルワーカーの方から佐々木に連絡がある。
   ↓
 佐々木が受け入れリハビリ病院に見学に行く。
   ↓
 佐々木がO.K.であれば、転院となる。

●転院まで2~3週間掛かる見込み。

●いずれにしても介護保険の申請が必要なので、今のうちから佐々木が市役所または地域包括支援センターに申請に行く。

●申請には介護保険の保険証と印鑑が必要。

●介護保険の申請書には主治医の名前を書く欄があるので、現在の主治医の名前を書く。

●申請してから介護保険を利用できるまでには、1カ月ほどかかる。入院しているうちから担当者と打ち合わせた上で、退院後の介護体制が整えられる。

●リハビリを数か月行って、まだ後遺症が残っていた場合は、身体障害者手帳の申請をする。一般には、病気になって半年ぐらい経ってから申請する。リハビリ病院の退院目前ぐらいのタイミング。

●申請先は市役所の身体障害者福祉課。

●身体障害者手帳が交付されると、級の重さによって、公共料金や税金が安くなる。在宅介護者への手当ても出る。

●医療ソーシャルワーカーの方には、一回目の面談以降はいつでも相談可。

2009年5月7日木曜日

手術後22日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から22日目。

眠ったまま。

両手首をベッド柵につなげていた紐が外されていた。

見舞いに行ったとき、これまでは基本的に腕や脚に手を置くだけだったが、安静が大事な時期はもう終わったように思えたので、自分の手、腕、体幹をゆるめて、指や手のひらや腕や脚をさすったり、ゆすったりしてみる。

両手ともときどき握り返すような反応がある。

両腕、両脚の筋肉とも柔らかい。

2009年5月6日水曜日

手術後21日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から21日目。

目は開いたままだが、声を掛けても、目の前で手を振っても、反応なし。

手を握ると筋肉の動きはある。

ときどきあくびをする。

2009年5月5日火曜日

手術後20日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から20日目。

点滴がすべて外されていた。

体に付いているチューブは、左の鼻の穴に入った吸引用?のチューブと、おしっこのチューブのみ。

やはりほとんど眠りっぱなし。

一度あくびのようなことをして、目が開き目が合うが、やはり反応なし。

2009年5月4日月曜日

手術後19日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から19日目。

これまでの一人部屋から、四人部屋に移動。

夕食後の時間だったが、ベッドサイドチェストの上にお碗と「濃厚流動食 白湯100」と書かれた伝票が置かれていた。

食事も始まったということなのだろう。

2009年5月3日日曜日

手術後18日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から18日目。

前日と変わらず。目が合ってもこちらを認識しない。

執刀医の先生から以下の説明を受ける。

●先週末に悪化した細菌感染はその後快方に向かい、採血データも非常に良好、血圧なども安定している。微熱は続いているが。命に関わる状況ではない。落ち着いている。

●ただ細菌感染が一時期悪化した影響で、頭の元気がなくなっている。引き続きリハビリなどが必要。

●前日にCTスキャンを撮ったが、脳に水はそれほどたまっていない(写真を見せてらもらう)。

●食事はまだ行えず、点滴で栄養を取っている。

●脳浮腫による圧迫を防ぐため外して冷凍してある頭蓋骨を戻す手術を、経過を見て5/7か5/8、または5/11以降に行う。

●その手術が終わったら、歩く練習などのため、リハビリ病院に転院となる。5月の半ばか下旬。ただしリハビリ病院はどこも満床なので、今から探す必要がある。

●リハビリは長期に及ぶので、今後の方針について、改めてソーシャルワーカーと相談。

●(「目を開けてボーッとしているが、記憶が失われているのか?」と質問すると)記憶に関しては評価が難しい。記憶は意識状態と連動して動くので、記憶力も今は低下している可能性がある。まず目指すのは、目をしっかり開けて、コミュニケーションを取れるようになること。

今日は帰るときに声を掛けても、こちらを見ているだけでうなずかなかった。

海岸に散歩に行った。

2009年5月2日土曜日

手術後17日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から17日目。

目を開けたまま、横になっていた。

倒れてから初めてのこと。

ただしこちらには気づかない。

こちらに視線をやることもなく、視線をあちこちに動かしている。

たまに視線が合っても特に反応はない。

ずっと装着されていたシリンジポンプが外されていた。

脳に溜まった血や水を出す管も外されいた。

腕や脚を触ると熱っぽい。

帰るとき大きな声で「また来ます!」と言うと、こちらを見て、うんうん、とうなずく。

驚いてしばらく見ていると、また視線をそらして無反応に。

とにかく良いほうには向かっているようだ。

2009年5月1日金曜日

手術後16日目

家族がくも膜下出血で倒れて、手術から16日目。

相変わらず眠ったまま。

ただ、頭部右側、脳浮腫による圧迫を防ぐため頭蓋骨を外したままにしてある部分の陥没が、前日より大きくなったような気がする。

脳の腫れが引いたということなのだろうか。

周囲の青アザっぽい色もかなり引けて、顔色がよくなったようにも感じる。

心配された左の腕や脚も、触ると温かい。筋肉の動きもある。

右手を動かす動作も見せた。

帰り際に看護婦さんから、「痛い」という発話があったこと、意識が少しずつ戻り始めていると思われることを伝えられる。

また執刀医の方から説明があるだろうとのこと。
 
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