2008年12月31日水曜日

今年最も感銘を受けた本

佐々木が今年読んで最も感銘を受けた本は、アレクシス・ド・トクヴィル(1805年~1859年)の『アメリカのデモクラシー』(松本礼二訳、岩波文庫、第1巻(上)第1巻(下)第2巻(上)第2巻(下))だった。

傍線というのはあまりたくさん引くと傍線の意味がなくなるのだが、それでもこの本には、興奮して傍線を引きまくらずにはいられなかった。

フランスの古い貴族の家系に生まれ、貴族制の崩壊と民主制への移行を目の当たりにしたトクヴィルは、民主制が世界に何をもたらすのかを考究するべく、民主制が当時最も典型的に発展していた、建国後半世紀に満たないアメリカに渡った。

『アメリカのデモクラシー』は、その約9か月のアメリカ滞在で得た、見聞と資料に基づいて書かれた本だ。

170年以上も前のアメリカについて書かれた本ではあるが、現代社会を正しく理解するための貴重な手掛かりを、豊富に提供してくれる。

民主制が定着した状態を驚きの目で見ることは、現代社会に生きる我々にとって、ほとんど不可能に近い。

トクヴィルが提供してくれるのは、この「民主制が定着した状態を驚きの目で見る」視点。

地上での移動に地図が役立つのは、「地上から離れた位置から見た地上」が描かれているからだ。

同じように、「民主制社会ではない社会から見た民主制社会」を描いたこの本は、民主制社会に生きる指針として、驚くほど役立つ。

地理、人種、先住民、統治、行政、選挙、法律、司法、陪審、経済、労働、奴隷制、地域共同体、家族関係、教育、人生観、宗教、学問、文化、芸術、戦争、革命と、取り上げられていない問題はないのではないかと思われるくらい、あらゆる問題が取り上げられている。

しかも、単にバラバラの事実をバラバラのまま並べ立てるのではなく、事実の背後にある構造や法則性に踏み込んで叙述しているので、全体像から具体例に至るまで、物事がスッキリと頭に入る。

それだけではない。

トクヴィルは、民主制社会と貴族制社会のそれぞれについて、その内部の個人や集団の典型的な性格や行動を、社会構造の特質から説明して見せている。

人はつい、自分の欲望や意思や思想を、自分で自由に持ったものであるかのように思いがちだ。

トクヴィルによる民主制社会の分析を読むと、現代の我々自身の欲望や意思や思想が、実は民主制社会に生きるがゆえに持たされてしまったものであることに、嫌でも気づかされる。

2008年12月30日火曜日

「身体意識を鍛える-リバース」の講座に行ってきた

一昨々日、一昨日に続き、昨日もNido先生ご指導の運動科学総合研究所の講座「身体意識を鍛える」に出席。3日連続。

これが、今年佐々木が出席する最後のセミナー類。

今回は「リバース」。

高岡英夫先生の『図解トレーニング 身体意識を鍛える』には、リバースの効果として、人と親和する能力が高まることが挙げられている。

佐々木は『うちの社長は、なぜ「ああ」なのか』(石原明さん)の自己診断テストでも明らかになったように、「他者不信型」の傾向が強い

その改善に役立つと考えて、出席した。

最初のうちは、ラインを正しく意識するのも一苦労。なんとか指導通りのラインを取っても、視覚的なイメージを指でなぞるのがやっとだった。

それがNido先生のリードでトレーニングを重ねるうちに、指でなぞらなくても、相手と放物線でつながっていることが確かに実感されるようになった。

さらに「息ゆる」で体の内部までゆるんだ後は、単に放物線のラインで相手とつながっているだけでなく、自分の内部が、相手の内部とまるごとつながっているような感覚があった。

一夜明けた今もはっきりと意識が残っているほど、今回はしっかりとラインを作ることができた。

これは仕事にもすぐ活かせそうだ。

2008年12月29日月曜日

「身体意識を鍛える-中丹田」の講座に行ってきた

一昨日に続き、昨日もNido先生ご指導の運動科学総合研究所の講座「身体意識を鍛える」に出席。

今回は「中丹田」。

高岡英夫先生の『上丹田・中丹田・下丹田―自分の中の天才を呼びさます』では、中丹田は「熱性の気を集めて保存する」もので、中丹田ができると「やる気、情熱、闘争心、人を集めるパワー、自負心」といったものが高まると説明されている。

だから講座に出るまでは、何か胸の中に熱いものがみなぎったような、いわゆる「情熱的な」状態になることをイメージしていた。

しかし実際にNido先生のリードで呼吸法をやり、ゆる体操をやり、調整をやり、サモンをやり、と重ねていってできあがった状態は、意外にも「胸の中に熱いものがみなぎる」というのからはまったくかけ離れた状態だった。

行動するエネルギーや人を引き付けるエネルギーが、自分の中に圧倒的に存在している感覚がある‥‥にもかかわらず、そこに「みなぎる」と形容されるような熱さや、重さや、圧迫感はまったくない‥‥むしろ、涼しく軽やかで透明感がある。

そういう、講座に出るまでは、ちょっと想像もしていなかったような精神状態・身体状態だった。

センターを同時に高めながらのトレーニングだったことが、このような状態を可能にしているのだろう。

前日の下丹田の講座でもセンターが強化された感覚があったが、このときは、体の内部の感覚が活性化されたことで、センターのストラクチャーを意識しやすくなった感覚だった。

これに対して今回の中丹田の講座では、天から良質の涼しさをもらえるような、センターのクオリティ面が強化された感覚だった。

中丹田ができれば、クライアントの業務マニュアルでも、弊事務所のホームページでも、もっと人を動かすような、人の心に訴えるような文章が書けるのではないか。そう考えて佐々木はこの講座に出たのだが、その狙いは達成されそうだ。

中丹田のトレーニングを正しく重ねれば、もっと人を動かす力がありながら、押しつけがましさや暑苦しさのない文章が書けるようになる実感がある。

2008年12月28日日曜日

「身体意識を鍛える-下丹田」の講座に行ってきた

昨日は運動科学総合研究所の講座「身体意識を鍛える-下丹田」に行ってきた。

講師はNido先生。午後3時半から夜8時までの3時間半。

難しい呼吸法を、ときに二人一組で補助し合ったりもして体をゆるめつつ、深いところまで行うことができた。

講座の終わりごろには、通常「臍下丹田」という言葉からイメージされるような重苦しさが皆無でありながら、それでいて何事もに動じずにいられそうな、奥深いゆとりのある精神状態を得ることができた。

下腹部に限らず、体の内側がこれまでになくゆるんで意識が活性化したおかげで、センターも感じやすくなった。

主観的な視点が高くなり、あたかも東京タワーの展望台から地上を見下ろしているかのような気分で周囲を見回すことができた。

高岡英夫先生の著書(『仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド』など)でもしばしば紹介されている「坐骨モゾモゾ座り」を、Nido先生はピアノ椅子の座面が割れるほど繰り返したとか。

トレーニングを始めたころはそんなに大それた望みは持っていなかったが、トレーニングを続けていたらこんなところまでこれた、人間の体ってほんとうに面白いと思う、という意味のことをおっしゃっていたのが印象的。

(先月Nido先生=花柳寿惠小英さんの舞踏を見に行ったときの感想はこちらに書いた)

簡単なトレーニングを毎日続けることの重要性も、強調されていた。

上達するためには、
●講師の話をよく聴いて理解する
●講師が実演している姿をよく見る
●自分の体をよく感じる
の三つのどれが欠けてもいけない、とも。

2008年12月27日土曜日

佐々木が予備校生に贈った名言たち

新将命さんの『伝説の外資トップが説く リーダーの教科書』に、ウィンストン・チャーチルの名言
《ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアップ》
が引用されているのを、懐かしく読んだ。

佐々木は大学を卒業後、大学受験予備校に就職し、主に教材やパンフレットの製作を担当していた。

英語の教材の欄外には、受験生を励ますための英語の名言をよく載せていたのだが、中でもチャーチルの
Never, never, never, never give up.

絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、あきらめてはならない。
は佐々木のお気に入りで、テキストの表紙をめくった最初にこの言葉が目に飛び込むようにしておいたものだった。

3回目の「絶対に」まではサラリと読めるのだが、4回目の「絶対に」で、なぜか目の奥から熱いものがこみ上げる。

いまだにそうだ。

以下、当時佐々木が受験生に贈ったその他のモチベーションアップ名言を列挙する。

Shoot for the moon. Even if you miss, you'll land among the stars.
月を狙え。たとえ外したところで、星のどれかには当たる。
-Les Brown


In order to succeed, we must first believe that we can.
成功するためには、まず自分が成功できると信じなければならない。
-Michael Korda


A ship in harbor is safe, but that is not what ships are built for.
港にいれば船は安全だが、それは船が作られた目的ではない。
-William Shedd


Twenty years from now, you will be more disappointed by the things you didn't do than by the things you did. So throw off the bowlines, sail away from the safe harbor, catch the trade winds in your sails. Explore, Dream, Discover.
20年もすれば、自分がやったことより、やらなかったことを後悔するんだ。だからロープを解き、安全な港から出て、貿易風に帆を張れ。探索しろ、夢を見ろ、そして発見しろ。
-Mark Twain


Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail.
道がありそうなところを進むのではなく、道がないところを進んで足跡を残せ。
-Ralph Waldo Everson


It is not because things are difficult that we do not dare, it is because we do not dare that they are difficult.
難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから難しいのだ。
-Seneca


I have learned that success is to be measured not so much by the position that one has reached in life as by the obstacles which he has overcome while trying to succeed.
成功は人が人生においてどれほどの地位に到達したかによってよりも、むしろ成功を目指す過程でどれほどの障害を克服したかによって量られるべきであるということを、私は学んだ。
-Booker T. Washington


I haven't failed, I've found 10,000 ways that don't work.
失敗はしなかったね。うまくいかない方法を10,000通り見つけたのさ。
-Thomas Edison


Great people talk about ideas.
Average people talk about things.
Small people talk about other people.
偉大な人々はアイデアについて語り合い、普通の人々は物事について語り合い、くだらない人々は他人について語り合う。
-Tobias S. Gibson


Obstacles are put in our way to see if we really want something or we just thought we did.
障害が我々の行く手に置かれるのは、我々が何かを本当に望んでいるのか、それとも単にそう思っただけなのかを、明らかにするためである。
-Unknown


Most of the things worth doing in the world have been declared impossible before they were attempted.
この世で行う価値があることのほとんどは、実際に試みられる前は、不可能と断言されていた。
-Earl Nightingale


Every man dies. Not every man really lives.
誰もが死ぬ。だが誰もが真に生きるわけではない。
-the movie Braveheart


Dream the impossible dream.
不可能を夢見よ。
-Joe Darion "The Quest"


Hope never abandons you, you abandon hope.
希望はあなたを見捨てない。あなたが希望を見捨てるのだ。
-George Weinberg


Keep away from people who try to belittle your ambitions. Small people always do that, but the really great make you feel that you, too, can become great.
君の夢を馬鹿にするような人たちとは付き合うな。くだらない人たちはいつもそういうことをするけど、本当にすごい人たちは、君だってすごい人になれると感じさせてくれるものだ。
-Mark Twain


The last dejected effort often becomes the winning stroke.
疲れ切って、もうこれでだめならあきらめようと行ったことが、しばしば勝利の一撃となる。
-W. J. Camero


The tragedy of life is not that it ends so soon, but that we wait so long to begin it.
人生の悲劇は、人生があまりにも早く終わることではない。我々があまりにも長い間人生を始めようとしないことである。
-Anonymous


A man has made at least a start on discovering the meaning of human life when he plants shade trees under which he knows full well he will never sit.
自分がその木陰に座ることはないということを完全に知りながら日よけの木を植えるとき、人は人生の意味の少なくとも端緒を知るのである。
-D. Elton Trueblood


Most of the important things in the world have been accomplished by people who have kept on trying when there seemed to be no hope at all.
この世で重要なことのほとんどは、希望がいっさいないかのように思われる状況で挑み続けた人々によって成し遂げられた。
-Dale Carnegie


Every noble work is at first impossible.
あらゆる偉業は、当初は不可能である。
-Thomas Carlyle


Being defeated is often a temporary condition. Giving up is what makes it permanent.
敗北は多くの場合一時的な状態である。それが永久になるのは、あきらめることによってである。
-Marilyn vos Savant


Only those who will risk going too far can possibly find out how far one can go.
あえて行き過ぎるリスクを犯す者だけが、どこまで行けるかを知り得る。
-T. S. Eliot


Don't let the fear of the time it will take to accomplish something stand in the way of your doing it. The time will pass anyway; we might just as well put that passing time to the best possible use.
何かを成し遂げるのにかかる時間におじけずいて、それを行えなくなることがないように。いずれにしても時間は過ぎるのです。その過ぎる時間を、考えられる最も有益なことに使ったほうがいいではありませんか。
-Earl Nightingale


A rock pile ceases to be a rock pile the moment a single man contemplates it, bearing within him the image of a cathedral.
岩の山は、一人の男が大聖堂のイメージを抱いて凝視した瞬間、岩の山であることをやめる。
-Antonie De Saint-Exupery


Dream as if you'll live forever...live as if you'll die today.
死なないつもりで夢を見て、今日死ぬつもりで生きるんだ。
-James Dean

2008年12月26日金曜日

格闘技トレーニングの主観的な効果は3か月目に最大になる

石原明さんの『うちの社長は、なぜ「ああ」なのか』に、「振り回され型」の社長が社内でリーダーシップをとることができるようになるためには、武道や格闘技を習うことが効果的と書かれてあった。

これは、佐々木自身の体験から、ものすごく納得がいく。

佐々木は、大学に入ってすぐ体育会の合気道部に入った。

それまで武道や格闘技に縁がなく、スポーツも苦手だった佐々木が、合気道を始めてみて非常に驚いたことは、「自分の考えや精神状態というものが、いかに自分の肉体のあり方に影響されるか」ということだった。

武道を始めるまでは、「自分の考えは、自分が得た経験や情報に基づいて自分の頭で形成するもの」という意識が、どこかにあった。

実際には、「暴力に訴えられたら自分は反撃できない」という潜在意識が、自分の考えを強烈に規定していたのだが、そのことは、「暴力に訴えられてもある程度なら反撃できる」という自信を武道の修業によって得るまでは、まったく自覚できていなかった。

武道によって自分の肉体が変わることで、自分の考えどころか、世界の見え方までもがガラリと変わってしまったことは、佐々木にとって大変な衝撃だった。

石原さんの著書には、古株の役員たちをまったく統率できなかった二代目社長が、ボクシングを始めて3か月で見違えるほどのリーダーシップを発揮するようになるエピソードが書かれているのだが、この「3か月」という期間にも、リアリティがある。

佐々木自身、武道・武術歴はもう20年近くになるが、主観的な「自分が強くなった」感が最も強烈だったのは、修業を始めてから毎日数時間の稽古を重ねて、3か月目ぐらいの頃だった。

自分の実力が0から1になったときの主観的な衝撃は、100から101になったときの衝撃をはるかに上回る。

その上、頭の中で想定できる敵の実力も、修業3か月目ぐらいではまだ大したことがないので、あの頃は「もう誰がかかってきても大丈夫!」ぐらいの自信充実ぶりだったのを思い出す。

2008年12月25日木曜日

『うちの社長は、なぜ「ああ」なのか』を読んだ

石原明さんの新著『うちの社長は、なぜ「ああ」なのか』を読んだ。

これまでの石原さんのご著書同様、弊事務所のクライアントの分析にも、弊事務所の成長にも、佐々木個人の成長にも、必ず役に立つ本と確信して読み始めたが、その期待をはるかに上回る内容だった。
《大企業の問題が主に組織の病であるのに対して、中小企業が発展できない大きな理由は、社長の性格から来る病なのです》
として、社長のタイプを五つに分類。それぞれのタイプが個人として抱える問題が会社の問題にどのように現れるかを、鮮やかに描いている。
《私は、すべての会社は適切に成長するべく生まれていると考えています。そして、すべての会社が、時代とタイミングと事業内容がマッチしさえすれば大きく成長できるはずだと考えています》
として、会社が成長する普遍的な法則性を踏まえながら「中小企業病」を分析しているので、非常に説得力がある。

各タイプの社長への処方箋も、「恋愛をする」、「ボクシングジムに通う」、「イタリア旅行に行く」など、意表を突くもの。それぞれにいちいち「なるほど!」とうなずく。

巻末の自己診断テストをやってみたところ、佐々木の点数は

 タイプ1(目先没頭型)‥‥9点
 タイプ2(振り回し型)‥‥8点
 タイプ3(振り回され型)‥‥12点
 タイプ4(他者不信型)‥‥15点
 タイプ5(リスク回避型)‥‥16点

で、「リスク回避型」と「他者不信型」が強く出た。

自分が「他者不信型」だという自覚は強烈にあったが、「リスク回避型」という診断は意外。

「リスク回避型」の問題は、弊事務所の事業がもっと大きくなったときに現れるのだと思う。

佐々木個人としては、今は何より「他者不信型」の問題を解決することが重要だろう。

石原さんの処方箋は「恋愛をする」。

これも非常に納得。

2008年12月24日水曜日

健康管理と危機管理は同じ

ジャーナリストの日垣隆さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「サイエンス・サイトーク」(TBSラジオ)を、ポッドキャスティングでよく聴く。

最近聴いた「ジャンボ機長の危機管理と健康管理」(2007年3月25日放送)は、健康管理、危機管理、知恵の伝承などの面で、教えられることが多かった。

この回のゲストは、日本航空機長の小林宏之(放送当時60歳)さん。半年に1回の厳しい航空身体検査(二十代だろうが五十代だろうがまったく同じ基準が適用される)を通過し、60歳になっても現役機長を続けている方。

以下、印象に残ったポイントをメモしておく。

●ある意味、健康管理と危機管理はまったく同じ。(1)リスクが実際に起きないように未然防止に力を注ぐ。(2)それでも起こったときは最悪の事態にならないように、被害を極限にするように対応する。(3)正常な状態に戻す。(4)再発を防止する。

●危機管理も健康管理も、リスクの未然防止に必要なのは、ものすごく当たり前のこと。当たり前のことをできるかできないかの差。難しいことは一つもない。ただし10回なら10回、100回なら100回、1000回なら1000回なら続けられる人はなかなかいない。これができるのが健康管理ができる人であり、危機管理ができる人。

●年齢には戸籍年齢、精神年齢、ホルモン年齢、骨年齢、血管年齢といろいろあるが、自分でコントロールできないのは戸籍年齢だけ。健康も、安全も、年齢も、自分で決めるんだという気持ちが大事。

●四十代の中頃に老眼になりかけ、これではいけないと思って自分で訓練したら老眼が止まった。今はかえって視力がよくなった。

●精神面の健康管理で心がけるのは「感謝」、「感動」、「感性」の「3K」。不平不満がたまるとストレスがたまる。「生きてるだけでもありがたい」と思えば、あとはどんなことだって大したことではない。紙コップのお茶を飲んでも「おいしい!」と感動する。「紙コップと瀬戸物のコップでは肌触りが違うな」と感じるのが感性。感性は使わないと退化する。五感を使って感動することで感性がよみがえる。ストレスもたまらない。

●ただしストレスはなくても困る。「怖い」、「心配だ」がないと危機管理はできない。

●マニュアルで教育するうえで大切なのは、なぜ「そのようなマニュアルができたのか」というプロセスを伝える、あるいは考えさせること。

●平時においては、100点満点近い仕事を心がけるのが大事。逆に危機が起こった場合は、最悪の事態を避けるのが大事。場合によっては50点でも20点でもいい。

●伝えるべき知恵を言語化するために必要なのは、しっかりとした目的意識。目的と優先順位がはっきり意識できていれば、多少言葉が拙くても、伝わるべきことは伝わる。

2008年12月23日火曜日

佐々木と自転車

キーワードマーケティング研究所の滝井秀典さんが、DVD教材「Googleアドワーズ「コンテンツ広告」徹底攻略ノウハウ・パッケージ」の中で面白いことをおっしゃっていた。

なんでも滝井さんのクライアントであるインターネットビジネス実践者たちには、自転車やバイクなどの二輪好きが多いのだとか。

一人でリスクをコントロールするのが好きだから、というのが滝井さんの分析。

なるほど。

そういえば、佐々木も15歳~20歳ぐらいの頃は自転車少年だった。

中学生の頃乗っていたのは、安いドロップハンドルの子供用自転車。

一時期はほぼ毎週末、これに乗って神奈川県某市の自宅(当時)から芦ノ湖までの片道約65kmを往復していた。ちょっと時間が空くと江ノ島までの片道約25kmを往復。

高校生になると、輪行(=分解して袋に入れ電車などで運び現地で組み立てて乗ること)ができるツーリング用自転車を買ってもらった。これのサドルを本皮のやつに代えて、丹沢や箱根や伊豆や奥多摩の山道を走りまくった。舗装されていない山道を自転車で走るのが大好きだった。

当時の愛読誌は八重洲出版から出ている「サイクルスポーツ」。週末はサイクリングから帰ってくるたびに自転車を分解して磨いていたので、親からは「自転車屋さんになるつもりなの?」とあきれられていた。

高校2年生の夏休みには、北海道の東部を、駅の待合室で寝たりしながら自転車で1週間かけて旅行。夜の知床峠(羅臼のユースホステルの人に車で連れて行ってもらった)で見た「夜空に星が見えるのではなく星の隙間に夜空が見える」星空は、一生の思い出だ。

大学に入ってからは、新しく始めた合気道やら介護ボランティアやらに忙しく、あまり自転車で遠出することもなくなったものの、春休みや夏休みには、丹後半島だとか四国だとかにサイクリング旅行に出かけていた。

ところが、たしか大学一年目の終わりごろ、学生寮の駐輪場に止めておいた高校生以来の愛車を盗まれてしまう。それがショックで、以後、自転車からはまったく遠ざかってしまった。

それからは、旅行は徒歩ですることにした。

自転車をやめ、徒歩旅行を始めてみると、その景色の移り変わりの遅さが新鮮だった。道端の草花にも、家々のたたずまいにも、ゆっくり目を向けるようになった。批評家・小林秀雄の有名な一節が、しみじみと思い出された。
《言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だと解る。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、かって見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。》(「美を求める心」)
自転車で旅行していた頃は、山を見ても花を見ても、すぐ頭の中で「山」とか「花」とかいう言葉に置き換えてしまっていた。よくて「美しい紅葉の」とか「満開の桜の」とかいう形容詞が加わるだけで、今まさに自分が向き合っている山や花の、今まさにこのときの姿やたたずまいを、味わっていなかった。

そういう気づきを得てからは、旅行に出たときに限らず、日常生活においても学問においても、ものごとを安易に言葉に置き換えて理解した気にならないように、ものごとの理解には意図的に時間をかけるように、より心がけるようになった。

目的地やスケジュールを定めた旅行はしないようになり、ただその場その場の思いつきで行き先を定め、過程を味わう旅をするようになった。

体の深いところで、徒歩のリズムやスピードを最も心地よく感じるようになり、自転車やバイクや車を乗り回したいという欲求がほとんど起こらなくなった。

ただ最近は、勝間和代さんや滝井秀典さんの影響で、また自転車を乗り回す生活もよさそうだなぁと思い始めている。

2008年12月22日月曜日

忘年会

昨日は横浜市内で、所属する武術団体の地区組織の忘年会。

佐々木はこの地区組織でマネージャーを務めている。

宴会や食事会のセッティングや取り仕切りは、佐々木にとって苦手中の苦手。

しかしありがたいことに、組織にはそういうことを得意にしているメンバーがいて、佐々木はただ一切お任せ気分でいるだけで、こうして楽しく忘年会を開くことができる。

人それぞれ短所や欠点は持っていると思うが、これぐらい人数が集まれば、ちゃんと自分の短所や欠点を補ってくれる人がメンバーの中にいる。

逆に、自分の長所や強みというものは、自分が属する組織や社会の人々が持つ短所や欠点を補う形で、伸ばされていく。

この組織を、これからもお互いが自分の短所や欠点を補い合い、長所や強みを伸ばし合う組織として、大切にしていきたい。

‥‥というようなことを、忘年会冒頭のマネージャー挨拶で申し上げた。

2008年12月21日日曜日

鎌倉を散歩

昨日は鎌倉を散歩してきた。

一日快晴。

登りの坂道ではコートを脱いでシャツ一枚でも汗ばむほど。

鎌倉といっても神社仏閣めぐりではなく、海、街、家々、人々、木々、草々、花々を愛でる散歩。

「将来はこんなところに住みたい」と心から思う場所にも。

海岸からの富士山もきれいだった。

2008年12月20日土曜日

運をつかんだ話

食事どきの方には失礼。

というか、食事しながらネットなんか見るな、という話だと思うが。

先日も書いたが、佐々木は学生時代、重度身体障碍者の介護ボランティアをやっていた。

一人では衣服を脱ぐことも、便器に座ることもできない方の介護だったから、小便のときはズボンのチャックを開けパンツを下ろして溲瓶を当て、大便のときは新聞紙を敷いた上にポータブル便器を置いて便器の中にトイレットペーパーを敷き、ズボンとパンツを脱がせて抱き上げポータブル便器に座らせ、後から支えながら前には溲瓶を当てて、用を足してもらっていた。

用を足し終われば、小便のときはトイレットペーパーで先をぬぐいパンツとズボンを戻し溲瓶を洗い、大便のときはトイレットペーパーでお尻を拭き前をぬぐいパンツとズボンを履かせ、便器の中身をトイレに捨てて湯沸器のお湯で便器を洗って片づけ、便器に下に敷いた新聞紙を捨てる。

便秘ぎみの方だったから、大便のときは用を足すだけで10分前後、用意と後片付けを含めると20分以上はかかっただろうか。

大便介護は慣れないと一人では難しかったから、新人ボランティアが介護に入っているときに便意をもよおされたときは、佐々木が住んでいる学生寮に電話が掛かってきて、佐々木が自転車で15分ぐらい掛けて飛んでいくこともあった。

大便や小便を排泄する他人の体を支え続けたり、大便を終えた他人の肛門をトイレットペーパーで拭いたり、他人の大便が付着した便器を洗ったりする仕事は、決して心踊る仕事ではなかった。むしろ、惨めさに心蝕まれる仕事だった。

やっていてあまりにも辛い仕事だったので、この心理的苦痛をなんとか和らげる方法はないだろうか? と佐々木は真剣に考えた。

それでふと思い出したのが、『盗まれた手紙』(エドガー・アラン・ポー)の次の一節だった。
《「〔‥‥〕僕は八歳ばかりの子供を知っていたが、この子は『丁か半か』という勝負で言い当てるのがうまくて、みんなに褒められていた。この勝負は簡単なもので、はじき石でやるのだ。一人がこの石を手にいくつか持っていて、相手にその数が丁か半かときく。もし当てたら、当てたほうが一つ取るし、違ったら、一つ取られるのだ。いま言ったその子供は学校じゅうのはじき石をみんな取ってしまったものだよ。むろん、彼は当てる法則といったようなものを持っていたのだ。というのは、ただ相手のはしっこさを観察して、その程度をはかるということなんだ。〔‥‥〕僕はこの子供に、彼の成功の基であるその〔自分の知力と相手の知力の〕完全な合致をどんな手段でやるのかと尋ねたら、こう答えた。『僕は、誰かがどれくらい賢いか、どれくらい間抜けか、どれくらい善い人か、どれくらい悪い人か、またその時のその人の考えがどんなものか、というようなことを知りたいと思うときには、自分の顔の表情をできるだけ正確にその人の表情と同じようにします。それから、その表情と釣り合うように、または一致するようにして、自分の心や胸に起ってくる考えや気持を知ろうとして待っているんです』というのさ。この生徒のこの答えは、ロシュフコーや、ラ・ブリュイエールや、マキアヴェリや、カンパネラのものとされている、あの、あらゆる贋の深遠さよりも深いものだよ」》
自分の表情を相手の表情に合致させると、自分の思考や感情も相手の思考や感情に合致してくるのか‥‥考えてみると、ウンコをして便意が解消されることや、トイレットペーパーでお尻がぬぐわれて肛門がきれいになること自体は、けっこう気持ちがいいことだよな‥‥ということは、自分が大便介護をしている間、介護されている相手の気持ちに自分の気持ちを合致させることができたら、大便介護が苦痛どころか、むしろ快楽になるんじゃないか?

そう考えた佐々木は、大便介護の間、実際に「ウンコをいきみ出す表情」や「汚れた肛門がトイレットペーパーでぬぐわれてきれいになる表情」をやってみた。

するとどうだろう。「ウンコがいきみ出される気持ちよさ」や「汚れた肛門がきれいになる気持ちよさ」が、自分の中に湧き起こってくるではないか。

感情レベルで相手と一体化してしまうことで、大便介護を「する」苦痛が、大便介護を「される」快楽によって大幅に低減されてしまったのだ。

デール・カーネギーの『人を動かす』に、自動車王ヘンリー・フォードの
《成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である》
という言葉が紹介されている。

今から考えると、あの大便介護で得た気づきは、この「他人の立場からも物事を見る」能力を培う上で実に貴重な体験だった。

経営コンサルタントの岡本吏郎さんはビジネスを始めたころ、借りている事務所の前に犬の糞が落ちていると「うんこを拾う」を「運を拾う」と言い換えて、楽しみながら犬の糞を片づけたのだとか(『成功はどこからやってくるのか?』)。

その伝でいくと、佐々木がこれまで大筋において幸運な人生を送ってこれているのは、学生時代の大便介護で「運をつかんだ」おかげではないかとも思う。

2008年12月19日金曜日

単語帳を使い始める

英語の語彙の貧しさを、ずっと以前から自分の課題として感じてはいた。

辞書で調べた単語をノートに書きつけるなどしてみたが、長続きしなかった。

最近また英語語彙力増強を決意して、今度は単語帳を使うことにした。

単語帳を使うなんて、大学受験期以来だ。

朝食後、購読している英字新聞(「International Herald Tribune」)の見出しの中で知らない単語、自信がない単語を単語帳に書き写す。電子辞書で意味を調べて、裏に書く。一通り調べたところで、(その日の分だけでなく)単語帳の最初から読み直す。

夜寝る前にも単語帳をめくる。

ノートと違って単語帳だと、自分が覚えていない単語がはっきりとわかる。

何度目を通しても覚えられない単語があることに、悲しくなりもする。

しかしこの習慣を続けていけば、一年後には英字紙の見出しでつまずくことはほとんどなくなるように思う。

2008年12月18日木曜日

学生時代のクリスマス

佐々木は四年制の大学を5年がかりで卒業した。だから大学生として、5回のクリスマスイブを過ごしたことになる。

そのうち、彼女や友人と過ごしたクリスマスイブは、ただの一度もなかった。学生時代のクリスマスイブはすべて、重度の身体障碍を持つ人の自宅で、介護ボランティアとして過ごした。

佐々木が学生時代を過ごした京都は、学生の街でもあったから、ボランティア活動が比較的盛んだった。重度の身体障碍を持ちながら、施設には入らず、ボランティアの支援を組織して自宅で生活している人が多かったのだ。

「ボランティア活動が比較的盛ん」とはいっても、あくまで「比較的」であって、毎日の介護者を確保するのは、それはそれは難しいことだった。

当時はいわゆるバブルがまだ崩壊し切ってないころだったから、「若者はクリスマスイブの夜を恋人と楽しく過ごすもの」というキャンペーンは、マスコミを通じて今以上に盛んに行われていた。それだけに、普段でさえ困難な介護ボランティアの確保が、クリスマスイブの夜ともなると、ほとんど不可能といってよいほど難しいものになった。

そんなわけで、佐々木のように「誰もやる人がいないことに限ってやる気になる」ヒネクレ者が、毎年介護に入ることになる。

六畳一間の公団アパートで、通所サービスから帰ってきた彼の体を抱え上げて車椅子から下ろし、聞き取りにくい不自由な発話からなんとか意図を推測しながらコミュニケーションし、スーパーに行って買い物をし、溲瓶で小便の世話をし、食事を作り、食べ物飲み物を口に運び、銭湯に連れて行って体を洗い、帰ってきてポータブル便器を用意して大便の世話をし、便器を洗い、介護者を探す電話を掛け、多くの介護者の体臭が染み込んだ布団にくるまって眠り、夜中でも喉が渇いたといっては起こされ、翌朝も食事や排泄の世話をし、体を抱え上げて車椅子に乗せ、通所サービスからの送迎バスを待つ。

佐々木はクリスチャンではないが、「聖夜」という言葉はこういう夜にこそふさわしいのではないか、などとぼんやり思いながら、そんないつも通りのクリスマスイブの夜を過ごしたものだった。

2008年12月17日水曜日

本のカバー

辞書の箱やカバーは、高校時代に現代文の先生から「捨てろ」と教わって以来、買ってすぐ外すようにしている。

ただそれ以外の本については、カバーどころか、帯までそのままにしておくことが多かった。

やはり物を捨てるというのは何であれ抵抗を感じるものだし、とっておくまでもない本はブックオフやAmazonマーケットプレイスで売ってしまっていたから、できるだけ買ったままの状態で読み始めるようにしていたのだ。

ただ最近は、時間の使い方にますます敏感になってきたこともあり、読み終わった本をわざわざ売るために要する時間が惜しくなってきた。

「本は使うもの」という観点に立つと、帯もカバーもとっぱらってしまった本のほうが、やはり「使い」やすい。

本棚から取り出すとき、ページをめくるとき、書き込みをするときなど、表紙とカバーがずれ合うことで生じる「グリップ感の低下」が、物理的なハードルになるだけでなく、精神的なハードルにもなると感じる。

それで近ごろは本を買うと即、帯もカバーも外して捨ててしまうようになった。

「もったいないなぁ」という抵抗感は相変わらずある。

その抵抗感も、本を「使う」効率が上がるというメリットの前には打ち消されてしまう。

2008年12月16日火曜日

辞書の箱

佐々木が高校一年生のとき、現代文の市川先生が次のように教えてくれた。
「辞書の箱は捨てろ。箱に入ってると、そのぶん引くのがめんどうになって、辞書を引かなくなる」
これは、実にありがたい教えだった。

「辞書は箱から出しておくと引きやすい」という、単なるノウハウを教えられただけではない。

少しでもわからない言葉に出会ったとき、躊躇なく辞書を引くことがいかに重要か。

辞書を引くことをめんどうがって、わからない言葉をそのままにしておくことが、どれほど膨大な損失であるか。

そのことを、この教えは佐々木の頭に叩き込んでくれた。

特に疲れているときなどは、わからない言葉に出会っても、辞書を引くのが億劫になることがある。

そんなときも、箱から出されカバーを取り払われた辞書が目に入ると、市川先生のこの教えが頭に浮かび、佐々木の手を辞書へと伸ばさせるのだ。

2008年12月15日月曜日

平仮名地名

佐々木が住む相模原市では、現在、新しい区の名前についての意向調査(アンケート)を行っている。2年度後の政令指定都市移行に向けたもので、市在住・在勤・在学者が対象だ。

(→市のホームページ

アンケートが行われていることは、あちこちの掲示板に貼られたポスターなどで知っていた。だが、区の名前がどうなろうが別に大した問題ではないような気がして、わざわざよい区名を考えたり投票したりする気も起こらないまま、やりすごしていた。

ところが昨日、新聞に挟まれていた市の広報にたまたま目を通して、「これはなんとしても投票しておかなければ」という気になった。

区名の候補に、「みどり区」「あじさい区」「ひばり区」などの平仮名地名が入っていることを知ったからだ。

平仮名地名のところに住んでる方は、あるいは気を悪くするかもしれないが、佐々木は地名などの正式名称を平仮名表記にするのは、好ましいことではないと感じている。

たとえば常用漢字表では「日」は「にっ」とは読まないし「神」は「か」と読まないからといって、「日本」ではなく「にっぽん」を、「神奈川」ではなく「かながわ」を正式表記にしていいのか、という話だと思う。

2008年12月14日日曜日

問題を解決するのではなく機会を成果に結び付ける

P.F.ドラッカーの言葉の中で特に印象に残っているのは、
《問題の解決、すなわち昨日の均衡の回復などよりも、機会を成果に変えることのほうが、はるかに生産的である》
という言葉だ(『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか』)。

自分が困難な状況に直面したときや、強いフラストレーションを感じたときは、よくドラッカーのこの言葉を思い出して「問題を解決しようとするな、今この機会からどんな成果が上げられるか考えろ」と自分に言い聞かせる。

問題というのは大抵、すぐには解決できないから問題なのだ。

解決できない問題を気に病んでも、時間やエネルギーが浪費されるだけだ。

それよりも、目の前の状況から生み出し得る明るい未来を想像したほうがずっと楽しいし、行動に結び付くアイデアも出やすい。

2008年12月13日土曜日

『人生の旋律』を読み返した

経営コンサルタントの神田昌典さんの『人生の旋律 死の直前、老賢人は何を教えたのか?』を読み返した。

プロローグで神田さんが書かれている

《戦争を知ることは、これから一〇年を生きるうえで、とても大事なヒントを与えてくれる》


という言葉が、半年前に読んだときには想像もつかなかったほど強い実感をもって胸に迫ってきたことに、状況の変化の速さを改めて思い知らされる。

この本は、神田さん自身が認めているように、動乱の時代を生きるヒントを得るための物語として読むべき本だ。

この本を「ビジネスには役に立たない」とか、「事実と違う」とかと批判する向きもあるようだ。

だが、この本が役に立たないと断ずることができるのは、平和にビジネスを行える状況が、今後も続くと信じきっているからだ。

事実との違いは、読者がより有益なヒントを得られるようにするための、脚色と考えればよい。

2008年12月12日金曜日

ベストは日常生活に役立つ

高岡英夫先生の『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に、「ベスト」と名付けられた身体意識(体性感覚的意識)が紹介されている。

「ベスト」というのは「一番」のベストではなく、洋服のベスト(いわゆるチョッキ)。

ベストの襟ぐりに似たラインに沿った身体意識なので、この名前がある。

本でも紹介されているが、このベスト、日常生活でもなかなか役に立つ。

たとえば仕事で難しい交渉をしなければならないとき、佐々木は自分の背中のベストラインを意識する。

できれば、胸から背中まで、ベスト面で自分の体がスッパリ切れてしまったような意識を持つ。

そうすると、交渉相手と会う前から自分の前方にモヤモヤと存在していた「やっかいな相手」の意識や「やっかいな交渉」の意識が、自分の背中側に抜けてしまう。

相手とぶつかる境界面自体が、自分の背中側に行ってしまったような感覚だ。

そうすると、自分の前方、つまり自分と相手との間には、何ら衝突が存在しないような感覚になる。

この感覚になると、難しい交渉にも、やたらと気楽に臨めるようになる。

2008年12月11日木曜日

KJ法とマインドマップ

川喜田二郎さんの『発想法―創造性開発のために』は、「もっと若い頃に読んでおきたかった!」と佐々木が悔やむ本の一つだ。

佐々木がこの本を読んだのは、三十代になってからだった。

川喜田さんが提唱した発想法(KJ法)を学生時代に知っていれば、あの頃のモヤモヤした思いを、もっと自分自身に対してはっきりさせて、文章にまとめることもできたような気がする。

KJ法のほうが、マインドマップよりも、日本語の構造には合っていると思う。

英語は、自分の立場を示してから、対象を示す、という語順をとる(「I don't agree with you.」)。

日本語は、まず対象を提示し、次にその対象に対する自分の立場を示す、という語順をとる(「君の意見には反対だ」)。

中心から枝を伸ばしていく、というマインドマップのやり方は、そもそも英語的発想なのだ。

日本人がマインドマップを作ろうとすると、自分の頭に浮かんでいるさまざま思いの断片を、マインドマップのどこに位置付けていいか、困惑することが多いのではないだろうか。

あるいは、枝の先に後から書いた項目のほうが、むしろ中心近くに位置付けられるべき項目だった、ということが頻発するのではないだろうか。

英語の、単語同士の間隔を開けて記述するスタイルも、マインドマップ的だ。

日本語の単語は、切り離して書くと、発想を引き出す力を失ってしまう。

マインドマップに英語で「at」とか「on」とか書くと、そのあとにさまざまな発想が広がる。

マインドマップに日本語で「で」とか「に」とかだけを切り離して書いても、発想が広がらないし、そもそもそのように書く気が起こらない。

マインドマップのよいところは、KJ法ほど手間がかからないし、場所を取らないところだ。

それで佐々木は、マインドマップを取り入れてからは、あまりKJ法を使うことがなくなってしまった。

ただマインドマップでは、最初から自分の頭の中にある枠組みを打破するような発想を出しにくい。

大枝、小枝、その先の枝‥‥とどんどん枝を広げていんたとき、離れたところにある小枝同士の関係が、わからなくなることがよくある。

そんなときは、手間はかかるが、改めてKJ法をやらないとブレイクスルーは得られにくい。

2008年12月10日水曜日

平川克美さんのビジネス論

平川克美さんのビジネス論のおもしろさ、というか有効性は、「ビジネスの内部」と「ビジネスの外部」の両方の視点から、ビジネスを語っているところにあるのだと思う。

平川さんの本を読むと、戦略とか、商品とか、組織とか、仕事とか、給与とか、モチベーションとか、ビジネスに関わるあらゆる事象が、それまで考えてもいなかったような角度から見えてくる。

一貫して「ビジネスの内部」の視点を維持すれば、あるいは一貫して「ビジネスの外部」の視点を維持すれば、ビジネスを明快に語ることは可能なのだろう。

あえて「ビジネスの内部」の視点と「ビジネスの外部」の視点の両方を行ったり来たりする平川さんの叙述は、決して明快ではない。

しかしだからこそ平川さんのビジネス論は、個人としてビジネスに向き合うとき自分の心の中に生まれる「言葉にならない思い」に、光を当ててくれるのだ。

たとえば佐々木には、『ビジネスに「戦略」なんていらない』の以下のような言葉が刺さった。

《ビジネスは一回半ひねりのコミュニケーション》

《ビジネスという現場では、個人の欲望は必ず「商品」を媒介として迂回的に実現する他はない》

《ビジネスの舞台では、それぞれがそれぞれのキャラを身にまといながらも、そのキャラを操っている交換不可能な「わたし」という個性が同時に存在している》

《ビジネスにおいて交換されるのはモノやサービスとお金であると同時に、技術や誠意といったものが満足や信用といったものと交換されているという二重の交換こそが、あらゆるビジネスの課題の中心であり、そこからビジネスの過酷さも面白さも派生してくる》

《ビジネスのほとんどの問題解決の要諦は「折り合い」と「やりくり」のふたつのタームで語りうる》

2008年12月9日火曜日

サイン本を本棚に飾る

「本は使うもの」という言い方がある。

きれいに保管したりせず、傍線を引いたり、書き込みをしたりすることを、奨励する言い方だ。

同じ発想で、サイン本も「使うもの」と考えていいのではないか。

佐々木は著者サイン会に並ぶ習慣はないので、サイン本はほとんど持っていない。

ただ数少ないサイン本のうち、高岡英夫先生石原明さんからサインをいただいた本は、サインをいただいたページが見えるように折り曲げて、自宅の本棚の上段に飾っている。

自分の日々の成長エネルギーの糧にするためだ。

サイン本を「使って」いるのだ。

下がその写真。



上が高岡英夫先生のサイン本(『丹田・肚・スタマック』)、下が石原明さんのサイン本(『「成功曲線」を描こう。』)。

 

高岡英夫先生は、佐々木が入門して身体意識(体性感覚的意識)のトレーニングや武術の指導を受けている方。

サインは、3年前に『丹田・肚・スタマック』が出たとき神田の三省堂書店で行われたサイン会でいただいた。

高岡先生は一人一人の顔を見ながらサインの雰囲気を変えられていて、佐々木のときは「君はバサーッ系でいこう」とおっしゃって、上の写真のようにサインされた。「一刀両断」という言葉が似つかわしいキャラクターとして認めていただいたように感じられて、とても嬉しかった。

 

石原明さんは、経営コンサルタントで日本経営教育研究所の代表をされている方。

キーワードマーケティング研究所の滝井秀典さんが昨年秋に開催された起業法セミナーで、ゲスト講演をされたのが石原明さんだった。たいへん励みになる内容の講演で、サインはそのときにいただいた。

サインをいただくとき、佐々木が「業務マニュアルを作る仕事をしています」と申し上げると、石原さんは「それは面白いですねー!」とたいへん興味を示されたうえに、「機会があれば私のところでもお世話させてくださいね」とまでおっしゃってくださった。

実は佐々木はそのころまだ実務翻訳の下請けをやっていて、業務マニュアル製作については、まだやっとホームページを作ったばかりで、お客様を一人もとれていなかった。

だからとても石原さんのお世話になるようなレベルではなかったのだが、いつかはそういうレベルになりたいという思いを強くさせられた。

「成功曲線」を描こう。』という本の内容自体も、とても力づけられるものだった。

だから石原さんのサインが見えるようにこの本を飾ってときとき眺めると、ものすごくエネルギーをもらえるのだ。

2008年12月8日月曜日

心にぴったりくる数字を探せ

先月の末、「来年はどんな年にしたいか?」と自分に問うたとき、「もっと古典をたくさん読みたい」という願望が心に浮かんだ。

続いて「毎月1冊、一年で12冊」という数字が頭に浮かんだとき、この願望が実現する可能性が一気に高まった気がした。

数字が持つ力はすごい、と改めて思う。

経営コンサルタントの神田昌典さんの教えにならい、佐々木は自分のさまざまな願望を紙に書きクリアファイルに入れ持ち歩いているが、そのほとんどにはまだ、期限や基準などの数字が付いていない。

自分の願望を探る最初の段階では、数字や言葉などを頭に描くより、生々しい五感情象を心に描くほうが大切だと思う。

しかし数字を伴わないイメージのままでは、願望は目標にならない。

自分が持っているさまざまな願望について、「この願望に関して、心にぴったりくる数字は?」と改めて自分に問うてみようと思う。

2008年12月7日日曜日

石橋を飛び越す

岡本吏郎さんのセミナー音声を聴いていたら、
「石橋は叩くものではなく、飛び越すもの」
という言葉が出てきて、けっこう衝撃を受けた。

ある目的を達成するための手段が目の前にあるとき、その手段に内在するリスクを検討することにとらわれるあまり、より確実に目的を達成する方法が他にもあることに気づかなくなる、ということは、実は頻繁にあるのではないか。

そしてまた、自分の実力(や可能性)を低く見積もり過ぎることが、リスキーな手段への依存を生むのではないか。

そんなことを考えさせられた言葉だった。

2008年12月6日土曜日

ウォークマンを買った

ポータブルオーディオプレーヤーを買った。

本が読めない満員電車の中でも勉強ができるように、前から欲しい欲しいとは思っていた。

もっと優先順位の高い買物に押しやられて入手できずにいたのだが、ヨドバシカメラのポイントがたまってきたので、ポイントで買ってしまうことにした。

ブランドは普通にiPodを考えていたのだが、経営コンサルタントの岡本吏郎さんがブログでウォークマンを褒めていたので、そちらを購入することに。

機種はNW-E026Fという動画再生なし、4GBのメモリータイプのもの。



ウォークマン用のソフト(SonicStage)ではポッドキャストの購読ができないということは、買ってから知った。

ポッドキャストを聴くことをメインに考えていたので、「こりゃ失敗したかな?」と思ったが、iTunesでポッドキャスト購読してSonicStageに取り込む作業は、実際やってみればたいした手間ではない。

2008年12月5日金曜日

近寄りがたい雰囲気のホームページ

仕事上の必要があって、ある業界十数社のホームページを見てまわった。

「頭の良さ」が求められる業界なだけに、どの会社のホームページも、そのことを強調するデザイン・内容になっていた。

業界の外部から見ると、自分たちの能力の高さをカッコよくアピールしている様子には、頼もしさを感じる反面、近寄りがたさを感じもする。

そういう目で改めて弊事務所のホームページを見ると、やはりまだまだ、自分たちの能力の高さばかりをアピールし過ぎではないかと反省させられる。

2008年12月4日木曜日

呼びかけられて生まれるもの

「良心に訴える」という言い方がある。

こういう言い方をした場合、「訴える」以前に、その対象となる「良心」が存在することが前提されている。

だが、「良心」それ自体が、「良心に訴える」ことをされた結果として生まれる、という面もあるのではないか。

そう考えると、「良心に訴える」というのは、いかにも良心的な人だけを対象に行えばよいというものではない、ということになる。

あたかも良心が欠落しているかのような人に対しても、「良心に訴える」必要はあるのだ。

2008年12月3日水曜日

『伝説の外資トップが説く リーダーの教科書』を読んだ

新将命さんの『伝説の外資トップが説く リーダーの教科書』を読んだ。

グローバルビジネスの世界における長年の実績に裏付けられた、新さんの明哲瞭明たる体験知と、硬骨毅然たる自信が溢れる本。

全章全頁から、明確な方向性と、高いエネルギーを与えられる。

この本自体が、自分にとっての「リーダー」の役割を果たしてくる。

新さんが「ダメな人の七つの特徴」として挙げている
1.自分がダメだと思っている人
2.すぐにあきらめる人
3.友を持たない人
4.師(メンター)を持たない人
5.目標を持たない人
6.快適ゾーンに閉じこもっている人
7.学ばない人
の中で、佐々木が最も当てはまるのが「1.自分がダメだと思っている人」ではないかと思う。

この本からは、「自分をダメだと思わず成長していこう」という強い意思を与えられた。

そのために必要なのことも、わかりやすく、実践しやすい形で示されている。

たとえば
《願望+時限設定+行動計画=目標》
とか
《理念+目標+戦略=方向性》
とかだ。

「この『願望』を『目標』にまで高めるには、『時限設定』と『行動計画』が必要なのだな」

とか、

「『方向性』が定まるには、まだ『理念』の部分が詰められていないな」

という形で、自分の思考を整理できる。

2008年12月2日火曜日

師走の挨拶に思いがけず自己の成長を実感する

「1年ってはやいですねぇ」が挨拶代わりの季節になった。

これは挨拶に過ぎないのだから、佐々木も「そうですねぇ」と返しはする。

しかし今年は、「1年が過ぎるのは速い」という言葉に何の実感も湧かないことに、自分で驚く。

昨年までは、そんなことはなかった。

明らかに、時間の使い方が上達しているのだと思う。

今はただ、今年より良い来年、来年よりさらに良い再来年、再来年よりさらにさらに良い明明後年にしていくための計画を考え実行していくことが、楽しくて仕方がない。

2008年12月1日月曜日

来年は古典を月1冊読む

「来年1年をどのような年にしたいか?」と自分に問うたとき、さまざまな願望の一つとして、「古典をたくさん読みたい」という思いが浮かんだ。

古くから多くの論者たちが言及していて、自分でもずっと読みたい読みたいと思っていながら、いつまで経っても読めないたくさんの本がある。

書籍代も無限ではない中、気がつくと買うのは、当面の問題を解決に必要な本や、新しく出た本ばかりになっている。

これではいけない。

来年は、最低月1冊、計12冊以上は古典を読むと決めた。

それでは来年はどの12冊を読もうか? と考えてリストアップしていくと、この作業はなかなか楽しい。

読みたい本のリストアップに限らず、12月という月は、こうして来年の目標を数値化して決めたうえで、その実現計画を考えることに使えば楽しいのだと気づく。

2008年11月30日日曜日

佐々木のスケジュール帳

これが、スケジュール帳をマインドマップ式で書くために特注したスタンプ(の原稿)。

 
下は、今年のスケジュール帳。高橋書店の業務日誌(No.871、A5サイズ1頁2日ワイド記入型)に、上のスタンプを押して使っている。

 
こちらは、来年用に買った能率ダイアリーメモリー2(No.7121、A5サイズ1日1頁バーチカル型)。
A5サイズ1日半ページでは狭く感じるようになったので、同じサイズで1日1ページのものに変えた。

2008年11月29日土曜日

マインドマップ式ノートの利点

ノートをマインドマップ式(放射型書式)で書く一番の利点は、補足がしやすいことだと思う。

通常の書式で書かれたノートは、補足できるスペースが限られている。

最初に書かれたときの状態で、完結してしまっている。

マインドマップ式で書かれたノートは、基本的にどの部分にでも補足できる。

むしろ補足を促す。決して完結することがない。

だからアイデアも拡がる。

佐々木はスケジュール帳もマインドマップ式で書けるように、一日の流れを放射状に書き込めるフォーマットのスタンプを、わざわざ特注してしまった。

この特注スタンプを、市販のスケジュール帳にペタペタと押して使っている。

2008年11月28日金曜日

マインドマップに何色ものカラーペンを使う理由

マインドマップは、何色ものカラーペンを使って、枝ごとに細かく色分けしながら書く。

マインドマップの教科書を読むと、色を使うのは右脳を刺激するため、みたいな説明が書いてある。

たしかにそういう意義もあるだろう。

ただ佐々木にとってはそれよりも、時間が経ってから読み返しても瞬時に理解できる、という意義のほうが大きい。

単色で書かれたノートやメモは、ほぼすべての文字を読み直さないと、理解できない。

要素ごとに色を変えてあるノートやメモは、わずかな文字が目に入るだけで、内容をほぼ瞬時に理解できる。

マインドマップを書くとき、枝ごとにいちいちペンを持ち変えるのは、めんどうだし時間がかかる。

だが後で読み返すときには、その労力と時間を補って余りあるリターンが得られる。

2008年11月27日木曜日

リバース武蔵が効いたクリスマスツリー?

今伊勢丹の店内に飾ってあるクリスマスツリーは、見ていると妙に背中の身体意識を喚起される。



ツリーに巻いてある太いリボンが、裏側に切り込んでいく感覚を呼び覚ますのだろう。

高岡英夫先生の『丹田・肚・スタマック―自分の中の天才を呼びさます』に「リバース武蔵」という身体意識(体性感覚的意識)の解説がある。

剣豪宮本武蔵が、自分の背中、腰、もも裏から自分の頭越しに相手に向かう放物線の形で形成していた身体意識で、武蔵はこの身体意識を、戦闘時における敵に対して利用していただけでなく、平時においてもあらゆる対象物や出来事の認知に利用していたのだとか。

それは武蔵が描いた絵画にもあらわれていて、特に『枯木鳴鵙図』には、対象を自分の背中で認知する武蔵の身体意識が、典型的に表現されているという。

で、佐々木はあのクリスマスツリーを見た瞬間「リバース武蔵が効いている!」と思ってしまった、という話。

2008年11月26日水曜日

魔法の三時間

ハイラム・W. スミスの『TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究』で「魔法の三時間」というコンセプトを知ってから、朝の3時間をより生産的に使えるようになった。

一日24時間のすべてを後悔なく、自分にとって満足のいくように過ごすことは難しい。

朝5時から朝8時までの3時間だけなら、なんとか自分の意思でコントロールできる。

自分にとって最も価値のある過ごし方を考えて、実行できる。

「魔法の三時間」をより充実させようとすれば、残りの21時間も自然と最適化されてくる。

朝5時からフル活動するためには早い就寝が必要だし、早い就寝を守ろうとすれば日中の過ごし方も決まってくる。

「魔法の三時間」さえ充実していれば、残りの時間はだらけてもいいし非生産的なことをしてもいい、と決めてしまえば、自分で自分のダメぶりを責めて無意味にネガティブになることも減る。

2008年11月25日火曜日

メッセージ一文字が達人への一歩

高岡英夫先生の『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に、地球の中心を意識し、地球の中心に乗るように意識しながら歩くというトレーニング方法が紹介されている。

このとき「地、地、地、地‥‥」と口ずさむように指示があるので、佐々木も外出するときは、できるだけ「地、地、地、地‥‥」と(周囲に聞こえない程度の音量で)口ずさみながら、地球の中心に乗る意識で歩くようにしている。

この「地、地、地、地‥‥」に限らず、高岡先生のメソッドには、身体意識(体性感覚的意識)を喚起するさまざまなメッセージが組み合わされていることが多い。

佐々木はこうしたメッセージをつぶやくとき、「メッセージ一文字が達人への一歩」と考えるようにしている。

このように考える効果は三つある。

一つ目は、忘れずにメッセージをつぶやく動機になること。

メッセージもメソッドの大事な一部であるにもかかわらず、つい面倒がって省略しがちだ。

二つ目は、トレーニングを続ける希望になること。

「千里の道も一歩から効果」と言ってもよい。

「達人になる」というのはあまりにも遠い目標で、ともすると希望が失われがちだ。

達人を目指すトレーニングの中でつぶやくメッセージの一文字一文字を、遥か遠い目的地に向けて歩む一歩一歩のイメージに重ね合わせれば、目覚ましい成果が一向に現れない現実にあっても、自分は間違いなく目標に近づいているのだという確信が得られる。

三つ目は、メッセージのクオリティが上がること。

達人になるという長期的な過程の中に位置付ければ、メッセージ一文字分の発声といえども、より効果的なものにしなければならない、間違った方向に向かうものにしないようにしなければいけない、と自戒せざるをえない。

2008年11月24日月曜日

嫌な気持ちを断ち切る

嫌なことがあって、腹立たしい気持ちがなかなか消えないとき。

たとえば混雑した立ち食いそば屋でさんざん待たされた挙げ句に先に同じものを頼んだ人のぶんを間違えて持っていこうとして「そ~れ僕のなんですけど!!」とやたらとトゲのある声で抗議されたうえに「チェッ!!」っと露骨な舌打ちまでされたとき(一昨日実際にあった出来事)。

今記憶喪失になったとして‥‥これって取り戻したい記憶だろうか? と自分に問うてみる。

そんなはずもなく‥‥もっと大切にしたい記憶が、次々に蘇ってくる。

そうするとわりとあっさり、直前にあった嫌なことから気持ちを切り替えられる。

不愉快な気持ちを引きずらずに済む。

突然記憶喪失になったら、なんていうアイデアが浮かんだのは、ちょっと前に「パコと魔法の絵本」という映画を見たからなのだが。

2008年11月23日日曜日

ジンブレイド未だし

昨日は運動科学総合研究所の講座。

自分のジンブレイドの実技について高岡先生から

「軸足のウナを使えてない。スォードの中心はウナ。ウナ・スォードを残して他を全部抜くというのができない。抜けないで残ってるから何も起こらない。それで“こっちに動かなきゃ”って思うからムリヤリ足を前に出すことになる」

と指摘していただく。

腰から下、足・脚の力を抜くというのが未だにできない。

そこをもっと対象化しないといけない。

 

(ジンブレイド、ウナ、スォードついては『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に詳しい説明がある)

2008年11月22日土曜日

心ここにあらず

スターバックスに入ってコーヒーを注文し、テーブル席に座って考え事に集中する。

しばらくすると、店員さんがトレーに何かをのせてウロウロしているのが視界に入る。

なにか時間がかかるものを頼んだ人がいたのかな‥‥などとぼんやり思っていると、その店員さんが近づいてきて、佐々木のテーブルの上にコーヒーを置く。

何やってんだろ。

お金は払ったのに、肝心のコーヒーを受け取るのを忘れてた。

「あッ‥‥も、申し訳ない」

と謝ると、店員さんは苦笑いを浮かべながら

「いえ‥‥」。

あー恥ずかしい。

2008年11月21日金曜日

自宅でもスーツ

翻訳や執筆は自宅ですることが多い。

サラリーマンをやめて自宅で仕事するようになった当初は、いわゆる部屋着のまま仕事をすることが多かった。ジャージとかTシャツとかフリースとか。

部屋着のまま仕事ができることにある種の贅沢を感じたこともあったし、体を締めつけない方が脳への負担が少なくていいような気がしたこともあった。

もちろん単なるズボラというのが大きかったのだが。

だが部屋着はしょせん部屋着。

服装がだらけていれば必然的に思考もだらける。

思考がだらけていてはいい仕事はできない。

今は仕事をする時間になったら自宅でもスーツだ。

2008年11月20日木曜日

アイデアが浮かびやすいタイミング

佐々木の場合、玄関を出て歩き始めてから1分以内にアイデアがひらめく確率が高い。

朝起きてすぐ「カラダをゆるめて美しく健康に ゆる体操」というDVDに合わせてゆる体操をしているときも、よくいい考えが浮かぶ。

いずれも、ちょっとメモを取りにくいタイミングだ。

外出した瞬間というのは目的地に向かって体を加速させていくときだから、それを中断してメモ帳を出すというのは、よほどいいアイデアでない限り躊躇してしまう。

ゆる体操のDVDも段階を追って体をゆるめていくように出来ているし、筆記具を出して紙に書きつけるというのもけっこう体が固まりやすいから、浮かんだアイデアは覚えておいて後で書こう、となりやすい。

で、そのまま忘れることが少なくない。

アイデアはメモをとりにくい場面でこそ浮かびやすい、とさえ言えるかもしれない。

そういえば脚本家の三谷幸喜さんは、シャワーを浴びているときにいいひらめきがあるから、行き詰まると一日に何回もシャワーを浴びると何かで言ってたっけ。

2008年11月19日水曜日

佳き一日

一昨日はなんとツイてない一日かと落ち込んだが、ものは考えようだ。

携帯電話を置いて外出したときの不便さを実地に体験できてよかった。もう同じミスは繰り返さないだろう。

電車内に忘れたのが木剣・木杖程度のものでよかった。お客様の資料やデータを忘れたりしたらシャレにならない。いったいどんなとき置き忘れをするのかがよくわかった。それがわかれば、対策も立つ。

移動ルート選びの失敗も、どんなルートが不便なのかを知る勉強だ。

さて昨日は一転、佳きことの多い一日だった。

業務マニュアル製作でインタビューにうかがったお客様から、事業経営や集客についてたくさんのアドバイスをいただいた。

業務マニュアル製作というサービスの性格について、目からウロコの指摘をしていただくことができた。

インタビューから帰ると、新しいお客様からマニュアル製作の申し込みメールが。

うれしい。

新しいお客様からは、代金の支払方法に関するご意見をいただくこともできた。

弊事務所の<業務マニュアル3万円製作サービス>は、サービス内容と比較してかなり思い切った価格を設定しているので、そのぶん、支払方法についてはわがままを出させていただている。

ただ、最初の取引で顔を会わせる前から全額を振り込むのは不安というのもごもっとも。

なんとかいい方法を考えたい。

2008年11月18日火曜日

失敗の多い一日

昨日は携帯電話を忘れて外出。

電車内でそのことに気づいて動揺したためか、武術の稽古に行くため持っていた木刀・木杖を車内に忘れて改札を出てしまう。

終点だったので、改札を出てから気づいてあわてて電車に戻り事なきを得たが。

携帯電話がないため、必要な連絡を取るにも一苦労。

ネットカフェを探して移動したり、公衆電話から電話を掛けたりするプロセスでも選択ミスの連続。

理髪店選びにも失敗。

「何とツイてない一日だろう!」と驚くやら落ち込むやら‥‥。

単なる偶然とかツキとかの問題ではないだろう。

危険を察知して回避する意識下の能力が、かなり低下していたのだと思う。能力が低下した結果として起きる失敗に引きずられて、さらに能力が低下する悪循環。

先週新しいホームページをアップするためにMAXに近いエネルギーを発揮した反動かもしれない。

もちろん悪いことだけの一日などあろうはずもなく、いいこともたくさんあった。

お客様との食事の約束をいただいたり。

家に帰ると『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第五巻』が届いてたり。

2008年11月17日月曜日

花柳寿惠小英さんの「藤娘」を見てきた

国立劇場小劇場で開催された、第五十九回いづみ会舞踏公演を見に行ってきた。

お目当ては花柳寿惠小英さんの「藤娘」。

花柳寿惠小英さんは、佐々木と同じように高岡英夫先生の元で体をゆるめて身体意識(体性感覚的意識)を鍛えるトレーニングを続けて来られた方。

佐々木よりずっと先輩で、佐々木よりはるかに上のレベルまで行ってしまっている方だが。

花柳寿惠小英さんの舞踏を見ていると、人間の体ってすごい、女性の体ってすごい、と心から、というよりも体の底から思える。

まばたきするのも惜しいぐらいの気持ちで見入ってしまった。

ちょっとした動きの一つ一つに、自分の体に電撃が走るのを覚えた。

最後の決めの神々しい姿など、永遠にそのままの姿でいるべき珠玉の芸術作品そのものと感じられた。

2008年11月16日日曜日

課題はその解決手段と同時に発生する

カール・マルクスは様々な名言を残している。

経済学批判』の序言にある次の句もその一つ。
《人間が立ち向かうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに詳しく考察するならば、課題そのものが、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、または少なくともそれが出来はじめている場合に限って発生するものなのだ、ということが常にわかるであろう》
佐々木はこれを
「課題は、その解決手段と同時に発生する」
と要約して、座右の銘の一つにしている。

課題が存在すること自体が、その解決手段が(まだ気づかれていないだけで)既に存在していることの証拠なのだ、ということだ。

たとえば飛行機が存在しない時代に「どうすれば空を上手に飛べるのか」という課題は存在しなかった。「空を飛べたらいいなぁ」という願望が存在するだけだった。

この座右の銘のおかげで、とても解決できないような課題に直面したときでも、自分がまだ気づいていないだけで解決手段は必ず存在する、という確信が持てる。

少なくとも解決方法を探し求めている間は、絶望しないで済む。

2008年11月15日土曜日

外部から見たわかりにくさを内部で気づく難しさ

弊事務所でもお世話になっているオーバーチュア(インターネット広告の運営会社)から、検索エンジン広告の利用方法を解説したパンフレットが郵送されてきた。



きれいなパンフレットだ。デザインにもお金をかけているのだろう。

ただ一部、いくら読んでも意味がわからない箇所があった。

たとえば次のような表現だ。
《キーワードを追加する広告グループにすでに登録されているキーワードをもとに表示される関連キーワードリストから追加したい場合に選択します。》
これだけのパンフレットを作るのに、まさか執筆者が書いた原稿をそのまま印刷ということはないだろう。

「内容に間違いがないか?」、「わかりにくい表現はないか?」と、社内で二重、三重のチェックをしているに違いない。

それでもオーバーチュアの社内では、誰もこの表現を意味不明と感じなかった。

それは、このパンフレットの内容をチェックした全員が、オーバーチュア管理画面の操作方法を「わかっている」人だったからだろう。

ある方法を「わかっている」人は、「わかっていない」人がどのように「わからない」かがわからない。

だから、「わかっていない」人でも理解できるような説明を、「わかっている」人がするのはとても難しい。

弊事務所のように、業務マニュアルを社外の視点から製作する業者の存在意義は、こんなところにもある。

2008年11月14日金曜日

「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきた

江戸東京博物館で開催されている「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきた。

カスタマワイズ社長の村中明彦さんが、ブログで熱く推薦されていたので。

保存上の理由から通常は公開されていない貴重なコレクション約150点が、柵もない展示壁に延々と並ぶ。

思いっきり目を近づけて見られるのは嬉しいが、当然ながらガラス額に入れての展示なので、浮世絵が本来想定している鑑賞条件での絵肌は、ガラスの反射を差し引いて想像するしかない。

それでも、十分に魅了される展示だった。

「浮世絵初期の大家たち」→「春信様式の時代」→「錦絵の黄金時代」→「幕末のビッグネームたち」という時代順の構成で、浮世絵の洗練と革新が進む様子がよく見てとれた。

幕末期の作品は、構図の大胆さといい描写の躍動感といい、さすがに見事というほかなかったのだが、永谷園のお茶漬け海苔のおまけから外国人向けお土産Tシャツの絵柄まで、すでに何らかの形で目にしてしまっている作品が多く、いまひとつ楽しみきれないところがあった。

テレビやガイドブックでさんざん目にした観光名所に、実際に行ってみたときの気持ちに近いというか‥‥。

既知の作品ではなくても、その表現様式がすでにあまりに見慣れたものになってしまっているという意味では、それは同じことだった。

むしろ自分には、「春信様式の時代」のあたりの展示が一番楽しめた。

構図的には、まだ単純だ。基本的には中心に主題を描いて、主題の周りにあるものを周囲に描く、というパターンだ。幕末期の大胆さにはまったく及ばない。

この時代の作品群は、描写の精細さがすばらしい。初期の浮世絵の線は、まだあいまいで荒っぽかった。

それは、写実というのとは違う精細さだ。物理的な細かさではなく、感覚的な細かさとでも言うべきだろうか。

どんな部分でも細かく描くというのではなく、細かく描いて美しいところは細かく描き、細かく描いても美しくないところは大胆に省略する。そのメリハリに、たいへん心ひかれた。

2008年11月13日木曜日

携帯電話で声メモ

今使っている携帯電話にはカメラが付いていない。

その代わり、ボイスレコーダー機能が付いている。

この機能、外出中に思い付いたアイデアを声で記録するのに重宝する。

アイデアは基本的には紙に書きつけているが、急いで歩きながら荷物で片手がふさがっているときなど、筆記がめんどうな状況もある。そういうとき、片手で操作できる携帯電話はありがたい。

公認会計士で経済評論家の勝間和代さんはICレコーダーに音声メモを吹き込んでいるそうだが、人通りのあるところでICレコーダーに自分の声を吹き込むのは、やっぱりちょっと恥ずかしい。

携帯電話のボイスレコーダー機能なら、留守番電話にメッセージを吹き込んでいる姿と区別がつかないので、あまり恥ずかしくない。

‥‥多分。

録音が済むと自動的に保存されるように、設定をカスタマイズしてある。

録音したまま忘れないように、携帯電話の音声メモのチェックを、オンラインタスク管理ツール「RTM」に登録もしている。

2008年11月12日水曜日

内田樹さんの本をよく読む

フランス現代思想研究者で評論家の内田樹さんの本を、最近よく買って読む。ほぼ毎日更新されるブログも、楽しみにしている。

内田さんが書いたものを読むと、自分が想像もしていなかったものの見方に気づかされる。

世の中の風潮に惑わされないように、自分にとって満足のいく人生を送れるようにと、自力で培ってきたつもりの考え方が、実は、特定の人々にとって都合がいいようにできている考え方で、自分を豊かさから遠ざける考え方だった、ということを、内田さんはしばしば気づかさせてくれる。

「他人に依存しなくても生きていける状態はそうでない状態よりも貴い」とか、「仕事を選ぶときは自分の適正とかやり甲斐を重視すべきだ」とかいう考え方も、内田さんのエッセイを読むまでは、ほぼ疑いなくその価値を信じていた。

今内田さんの文章は、中学校から大学までの入試問題に使われることがとても多いのだとか。

少年少女時代の受験勉強で読む文章がその人の考え方に与える影響は、自分の経験に照らしても、決して小さくないと思う。

内田さんの文章を真剣に読み込む受験時代を送ってきた子どもたちがエリートになっていく社会というのは、なかなか希望の持てる社会であるような気がする。

2008年11月11日火曜日

サービス体系とホームページを全面改訂

ここ数か月取り組んできた、ビー・ドキュメントのサービス体系とホームページを全面改訂する作業が、ようやく一区切りつき、本日、新ホームページをアップした。

日付も11月11日の1並びで、新しいスタートにふさわしく感じられる。

2008年11月10日月曜日

ジンブレイドのトレーニングを習慣化する

身体意識(体性感覚的意識)を鍛えるトレーニングを、運動科学総合研究所の指導の下、もう10年以上続けている。

身体意識を鍛えるというのは、たとえば体の中を上下に貫く「センター」と呼ばれる意識や、自分の中心から対象の中心に向かって一直線に伸ばす「レーザー」と呼ばれる意識を強化することだ。

運動科学総合研究所所長の高岡英夫先生の著書でその存在を知り、我流でトレーニングを始めたのが1991年、20歳のとき、高岡先生が指導するワークショップに通い始めたのが1997年、26歳のときだった。

今は上級の講座に通っているが、上級ともなると、初級の講座でやるような基礎的なステップはごく短時間で通過して、すぐに高度なトレーニングに入ってしまう。

せっかく出席しても、基礎的なステップをうまく積み重ねられず、メインのトレーニングにうまく入っていけないことがある。

そういう基礎的なことは、ふだんから一人でやっておきなさい、ということなのだろう。

足裏から脚裏を上がっていく「ジンブレイド」と呼ばれる身体意識など、トレーニングのために積み重ねなければならないステップが多く、なかなか一人でいるときにやることがなかった。

しかしここ最近、ジンブレイドができていないために講座の内容についてけいないことがあまりにも続いたので、意を決して、ジンブレイドのトレーニングを朝のルーティーンの中に組み込んだ。

きわめて難しいトレーニングを、十分な準備もなく、10秒ほどで終えなければならないので、意に満たないところだらけではあるが、その意に満たないところに向き合うだけでも、大きな意味があると思う。

(ジンブレイドを含む身体意識全般については、高岡先生の著書『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に詳しく説明されている)

2008年11月9日日曜日

ホームページの改訂作業が快調に進んでいる

ビー・ドキュメントのサービス体系とホームページを改訂する作業が、ここのところ快調に進んでいる。

サービスをもっと利用してもらいやすくする形の漠然としたイメージは、今年の8月には頭に浮かんでいた。

ところがいざイメージを具体化しようとすると、現実性や整合性のある形になかなかならず、暗闇の中でもがくような状態がずっと続いていた。

特に8月末に3日間の武術合宿に参加して帰ってきてからは、疲労で脳ミソが砂になったようになり、身動きさえも億劫な状態が1か月近くも続いた。

不思議なもので、そんな状態でもお客様から依頼があれば脳や体は勝手に仕事をしてくれたのだが、自分の事業内容の変革のような依頼も締切もない仕事に対しては、脳も体も頑として動こうとしなかった。

10月になってようやく重い脳疲労は解消されたものの、アイデアを具体化できない状態は相変わらず。

それでも手探りで形を作っては壊し、作っては壊ししているうちに、ようやく具体的な形が見えてきた。

形が見えてきたことで、作業の勢いも加速されてきた。

あともう少しで、新しいホームページをアップできそうだ。

2008年11月8日土曜日

『TQ 心の安らぎを発見する時間管理の探究』を読んだ

TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究』(ハイラム・W・スミス著、黄木信、ジェームス・スキナー訳)を読んだ。

これまでに読んだ時間管理に関するさまざまな本に登場していた考え方が、網羅的に書かれていた。この本がネタ本になっているケースも多いのだろう。

「いかに自分の考えが正しいか」を証明することだけに懸命になっている文章に特有の薄っぺらさが全体に溢れかえっている本ではあるけれども、学ばされることはいろいろあった。

「I形鋼の上を歩く」のたとえ話は、自分の命よりも大事なことがあることを、とてもわかりやすく教えてくれた。

他人を説得するために「“私は”というメッセージ」を使う話は、目から鱗だった。佐々木は他人を説得するとき、むしろ「“私は”というメッセージ」を避けていた。そのせいで相手の心を閉じさせていたケースも多かったと思う。

集中力について子どもに教えるために、子どもの手のひらに虫眼鏡で太陽の光を少しずつ集中させていって、日光がやけどするほど熱くなることにびっくりさせた、というエピソードも、とても心に残った。虫眼鏡で徐々に光を集中させるのと同じように、精神の集中力も、ぼんやりした状態から集中し切った状態まで少しずつ高めていけるイメージを持てたし、あるレベルを越えると突然「火がつく」というイメージも、集中力を高める努力に対する希望になった。

五つの要素かなる「リアリティ・モデル」は、自分自身の行動モデルとしては、いまひとつ実感できなかった。

フランクリン・プランナーのような表形式のスケジュール管理は、自分には向いていないと思った。自分には、マインドマップ式の放射型書式が合っている。

2008年11月7日金曜日

スタビロのカラーペンを買った

紙の上でアイデアを練るときに使う太字のカラーペンを、新しく12本買ってきた。

STABILO Pen68」という商品名のもの。

アイデア練り用のカラーペンは、太字のものと細字のもの、両方が必要だ。

太く強調して描かなければならないところもあるし、細かく文字を書き込まなければならないところもある。

それぞれ2セットずつ用意して、家用、外用としている。家用セットはトレーに入れて机の上に常備してあるし、外用セットはペンケースに入れて鞄に入れっぱなしにしている。

最近まで外用に使っていた太字ペンは、キャップが外れやすく、ペンケースの中ですぐにインクが乾いてしまった。

それで試しに買ってみたSTABILO Pen68が非常にいい具合だったので、家用セットの太字ペンも、すべてこれに切り替えた。

これまで家用に使っていた太字ペンは、描かれる線がモサッとしていて、使っていると自分の思考までモサッとしてくる感じがあった。

STABILO Pen68の線は、十分な太さがありながら、シャープさもある。使っていて思考がぼやける感じがない。

鉛筆のような六角形のボディも、頭をシャープにしてくれる。持って軽いし、ペンケースの中でキャップが外れることもない。

 

下の写真は家用セット。細字は無印良品の中性(ゲルインキ)ボールペン0.38。トレーは無印良品のメイクトレー。

こちらは外用セット。細字はユニボールシグノ極細。

2008年11月6日木曜日

静かなカフェで大声を出しながら勉強していた人に注意する

スターバックスでコーヒーを飲みながら仕事のプランを検討していたら、向かいの席で若い女性が、英語のマンツーマンレッスンを、男性のネイティブスピーカーから受けていた。

テキストを朗読する女性の声の大きさが、静かなカフェにはふさわしくないように思われたので、「もう少し小さな声でもできますか?」とおだやかに注意する。

女性は「すいませんでした」と素直にあやまると、すぐ声量を落とし、熱心な朗読を再開していた。

佐々木も小さな頃から公共の場で、見知らぬ大人からさまざまな注意をしてもらってきた。

さすがにその機会は減ったとはいえ、大人になった今でも、佐々木のマナー違反を注意してくれる人がいる。

そのことに佐々木は、とても感謝している。

だから不作法が目に余る人には、できるだけ声を掛けるようにしている。

とはいえ、見知らぬ人にいちいち注意していたら身が持たない。

今回ほぼ躊躇なく声を掛ける気になったのは、佐々木自身が特に集中して考えごとをしたかったから、というだけではない。

相手の女性に、強い向上心を感じたからでもあると思う。

向上心に乏しい人間に態度や行動の変更を求めても、愉快な反応は期待できない。

わざわざネイティブスピーカーからマンツーマンで英語のレッスンを受ける、というだけでもたいへんな向上心だが、その女性には、よくカフェで見かける一般的な英会話学習者以上の熱意を感じた。

大きな声もその熱意の現れと感じられたのだ。

2008年11月5日水曜日

何に涙腺をやられるかはほんとに人それぞれ

日垣隆さんの推薦で見た映画「容疑者Xの献身」は、推薦どおりの傑作だった。

日垣さんが以前個人メルマガで「泣ける映画」の第一に紹介されていた某ボクシング映画は、見てもほとんど泣けず、わざわざDVDを買ったのを後悔したほどだった。

映画でも本でも、人から「泣ける」作品として紹介されたものは、見ても読んでも、たいてい後悔させられている。

笑いのツボ、怒りのツボ、感心のツボ、学びのツボ、どれも人それぞれだろうが、最も個人差が大きいのは、感涙のツボだと思う。

笑いや怒りや感心は、本やテレビなどで得た知識をベースにしても起こる。

涙腺が決壊するほどの共感は、実体験をベースにしてしか起こらない。

実体験には、知識のような普遍性がない。

「歳をとると涙もろくなる」というのは、髪が抜けたりシワが増えたりするのと同じ、生理的な機能の低下の一形態であるかのように理解していた頃もあった。

それが実体験の豊かさの現れであることが、子どもの頃にはわからなかった。

2008年11月4日火曜日

「容疑者Xの献身」を見てきた

映画「容疑者Xの献身」を見てきた。

ジャーナリストの日垣隆さんが、個人メルマガで「今年最高の傑作映画」と紹介していた映画。

映像の撮り方とかセリフの選び方とかがうまくて、そのうまさにいちいち興奮させられた。

決して「泣ける」映画ではなかったのだが、一か所だけ、泣けてしょうがなかったところがあった。

それは数学教師・石神が留置場に寝かされているシーンで、天井についたシミの点々が、石神の空想の中でチョークの線で結ばれて、数学上の「四色問題」を表す図になっていくところ。

学問に取り憑かれた人間の悲しさが(ストーリー上はそういう位置づけではなかったけど)、あのシーンにはありありと表現されていた。

抽象的な概念に魂を奪われた人間は、日常接するあらゆる事象を、抽象的な概念の問題として見てしまう。

その問題のしかたは、日常生活において問題にされるべきしかたとは、いつも大きくズレている。

ハードルを低く

ハードルを上げ過ぎない。

最初はむしろ、意識的にハードルを下げる。

楽々と越えられる高さに設定する。

低いハードルを楽々と越える経験を、一つ、また一つと積み重ねながら、少しずつ、少しずつ、ハードルを高くしていく。

これが、長く仕事を続けるコツなのだとか。

ブログを続けるコツも同じだろう。

3年前に趣味で始めたブログは、最初から気合を入れ過ぎて、半年も持たずに中断してしまった。

今度はそういうことのないように、要求水準を意識的に抑えながら、書き続けていきたい。

 
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